10月2日に始まった第2会期は27日に終わり、最終文書が出されたが、筆者はまだ読んでいませんので、最終文書についての3つのカトリック系メディア(ALETEIA, The Pller,Catholic News Agency)の概要の記事から主なものを紹介しますが、その前に、シノドスの進め方の主な部分を紹介します。その後、今回のシノドスに参加したトマス・ゼーディンクがドイツに送ったメールから幾つか紹介します。
*最終文書の重み、そして意義は・・
その前に、フランシスコ教皇が、通常なら最終文書が出たあとで『シノドス後の使徒的勧告」を公刊なさるはずなのに、それをしないで、約360名で成し遂げたシノドスの最終文書をすぐに認可し、これをもってご自分の通常の教導権(マジステリウム)の内にあるとされたことは、極めて異例ですが、また同時に、このことによって極めてシノダルな教会の姿を見せてくださったと筆者は思います。(ただし、このやり方を今後も規範をするとはしていません。)
これまでのシノドスは司教だけの会議でしたが、今回のシノドスは司教以外が96名、そのうち女性は57名(カトリック新聞10月20日付けによる)。フランシスコ教皇は前々から「教える教会」と「学ぶ=教えられる教会」を厳密に分けてはいけないと言っています。「神の民」は同じ信仰の感覚を持ち、司教と同様に聖霊の働きもいただいているわけですから、司教以外が参加しても、ただ型破りというだけで、支障はないと言えます。そもそも司教だけの会議という「上から下へ」というやり方が旧式なのです。
*シノドス総会第2会期の議事内容は何か
発言・討議の内容は前もって周知されている第2会期の討議要綱の「基礎」(シノダリティとは何か、シノダルな教会とは何か)、「関係」、「道筋」、「場所」、そして「最終文書」の4つ。「基礎」から「場所」までの討議とその要約を済ませてから「最終文書」を作り、さらに討議と投票をして確定するという作業です。
*会議の進め方:まず作業グループで
会議の進行は大きく分けて2つあります。作業グループ(約10名)での対話と全体会合(360名全員)です。作業グループは言語別で英語(16グループ)、イタリア語(7グループ)とフランス語(6グループ)、スペイン語(6グループ)、ポルトガル語(1グループ)、全部で36のテーブルに約10名ずつとなります。第1ラウンドは、討議要綱から順に数項目ずつを主題として取り上げ、それについて参加者が順に自分の意見を最大3分間述べる。一回りしたら、さらにもう一度見落としていたこと、言い足りなかったことを順に3分間以内で述べる。ゼーディンクによると、自分の教会で実際に生じていることを考えてテキスト(主題)を省察するということです。
従って第1ラウンドは「私は何を考えるか」の段階と言えます。次に第2ラウンド。第1ラウンドで聴いた他者の意見について良いと思ったこと、重要だと思ったこと、反発することなどを述べる。第3ラウンドは、これまで分かち合ってきたことを深めて何が最も重要か、全体会合で何を取り上げて討議するべきかをグループで決める。このようにして意見の一致点と相違点の理解を深める。そしてそれを短い要約報告書にまとめる。以上、「霊における会話」の方法で第1ラウンドは私の考え、第2ラウンドは他者の考え、第3ラウンドは、全体の考えということになって「霊における会話」の方法に従ったことになります。もちろん、祈りをもって始め、聖霊の望みに従う意向で取り組むことは言うまでもありません。
*会議の進め方:次に全体集会で
全体会合の前に、36の作業グループからの代表者(報告者)がまず同じ言語グループでそしてそれら全部で、先の要約報告書を持ち寄って、次の全体会合で何を主題とするか、またそれを選択した理由や焦点を当てるべき重要な言葉(語句)を明確にする。バチカンの文書『方法論』の言葉を借りて言えば、全体的総合的な集会において、地方・地域の文脈から出てきた見通しや問題が、この全体的・総合的な会合において取り扱われ、識別されることで、普遍性とカトリック性が明らかになることが狙いです。ここで、シノドスの構成員は各自がそれら主題を考察吟味します。10月4日の場合だと、最初は丸テーブルで「討議要綱」の「基礎」についての7つの報告書から諸主題が一つずつ順番に取り上げられが、90分間にわたって多くの人が発言したとのことです。(聖座のウェブサイトを見ますと、日程表でいつ何を主題としたかがわかります。)
以上、会議の進め方で分かることは「霊における会話」はあくまでも方法であって、会話の中身は参加者が持参しているはずだということです。参加者は個人の意見を述べるのではなく、あくまでも国や地域を代表しているのですから、「討議要綱」を基に前もって自国で議論し集約されたことを語るということです。またドイツの司教協議会のウェブサイトを見ますと、ドイツのベッティング司教などシノドス参加者たちはシノドスに参加する前に意気込みを語っています。
またドイツの信者団体「我が教会」もウェブサイトを見ますと、参加者が個人の意見ではなくドイツ国の信徒が何を考えているか望んでいるかを語るように求めています。「霊における会話」ばかりを唱えていた日本の参加者は果たして何を語ったのでしょうか。
次にカトリック系メディアから最終文書の主な内容の幾つかを紹介します。シノダルな教会になるために、一般信徒の参加を拡大すべき特に女性の参加を拡大すべきであること。助祭への叙階に関しては教皇の意向もあり今会期の議題とはせず、研究グループに委任して2025年6月には一つの結論が出る予定です。しかし今回のシノドスで議論できないことに対してシノドス参加者たちから大きな批判が起こったことには大きな意義があります。最終文書には「女性が教会において指導的役割を担うことを妨げる理由も障害もない」が 現状は「女性のカリスマや召命、教会生活の様々な領域における役割を承認してもらうことが阻まれ続けている」と述べています。
小教区や教区のあらゆる評議会などにもっと信徒を参加させるよう促すこと、そして意思決定のプロセスのどの過程においても信徒が関与できるようにすることが求められています。すでに教会法の中に教区司牧評議会や小教区司牧評議会などありますが、「諮問」に止まっていることが多いので、さらに意思決定の最後の段階まで参加できるように求めています。信徒の参加を義務的、必須のものとしていますので、教会の統治のあり方が改革されるはずです。
信徒の参加は会議的なものだけでなく奉仕職の形態をもっと増やすことを勧めています。
典礼に関して、シノダルな教会であることをもっと可視化するような祝祭(つまり感謝の祭儀など)のあり方が求められています。 ミサなどでもっと信徒が能動的に活動する方向と言えます)
第2会期の討議要綱に「傾聴と同伴の奉仕」を公認し適切な制度を設けるというのがありましたが、この奉仕はすべての信徒の役割であるとか、この奉仕は教会の周辺にいる人たちや真理を求めている人たちへの奉仕であるべきとか多様な意見があって、見送られました。信徒の参加ということではさらに典礼において信徒の説教を認めることに関しても、まだ検討が必要ということになりました。
*教会の脱中央集権化
ペトロの後継者としてのローマ司教は、信仰の遺産と道徳を守るという役割を持っているが、同時にシノダルな過程が 一致の方向に進むよう努めるべきだとしています。また補完性の原理に基づいて、教皇に留保されることと、地方教会の司教たちに委ねられることを特定するよう、神学及び教会法の領域で研究ができるとしています。各地域において司教協議会は教会の「主体」としてもっと大きな役割を果たすべきであり、教会の教えについての権限が認められるべきとしています。
従って、教会法の改訂も検討されることになります。また、信徒等の参加のために、司教たちの側に「審議団体」や「諮問会議」などを設けることに触れています。最終文書の投票で最も争われた項目です。このような会議や集会が適正な識別をした時には、それを司教は無視できないと。司教は意思決定の権威を持っていることを認めつつも、このような団体・会議等が単なる諮問機関に終わるのではなく、もっと大きな優位性を与えるべく、教会法の改正を求めています。
*結婚やLGBTQについて
「離婚や再婚などの婚姻の状況や性的アイデンティティやセクシュアリティ」を理由にその人を排除することは容認しないとしつつも、LGBTQについての言及はありません。倫理的な微妙な問題については研究グループに委ねているので、言及を避けています。 その他、説明責任や透明性についての言及も重要ですが、省略します。以上から筆者が思うに 世界各地の教会が個々の問題で同じ考えになることが不可能に近いと思います。保守的伝統的立場と進歩的革新的立場の違いがあり、同時に民族的な違いがあります。歴史的に虐げられてきて未だに十分民主的な国家になっていない国や地域と、民主的な国や地域では結婚観や倫理、社会風習も違います。長い伝統があるからです。
「人類学と倫理」は大きなテーマです。教皇は「一致」のための奉仕をすることになっていますが、それらの「多様性」をどのように認めるかです。また「一致」と「画一性」は違います。そもそも教会の普遍性とは何なのか、カトリック性とは何なのか。「真理の順位」という思想も考慮しなければなりません(第2バチカン公会議『エキュメニズムに関する教令第11項)。また統治に関しては各地方地域の自主性、すなわち「補完性(相補性)の原理」をどのように働かせるのか、今後の大きな課題だと思います。
*トマス・ゼーディンクのメールよりいくつか、また、筆者の考え
ゼーディンクは聖書学を教えている神学者であり、今回の第16回シノドスだけでなく、その前の3回のシノドスにも神学者として参加しています。今回は4回目です。前にも何度か書いていますように、彼はドイツの信徒団体ZdKの副議長でもあり、今回もローマからZdKに宛ててメールを毎日送信していて、ZdKのウェブサイトで見ることができます。そのうちから幾つか紹介します。
シノドスの会議場や講堂の外には、各国から関心を持っている人や団体がたくさん参集しているようです。そこにいた知人から聞いた話。10月12日、アンジェラスの時間にフランシスコ教皇が聴衆に向けて話をしていた時、信徒団体「我が教会」のメンバーたちは「平等」と書いた横断幕(バナー)を掲げていた。しばらくすると、数名の警察官がやってきた。私服の者と制服を着た者が何人かずついたが、バナーを巻いてIDカードを渡すように要求した。
他のグループは許されてバナーを掲げているのに、なぜ私たちはダメなのか尋ねても答えはなかった。ただバナーを下ろすよう要求するのみ。しまいには、彼らはIDカードを取り上げて警官の詰め所に連行されたそうです。IDカードを渡すのを拒んだ人は手錠をかけられて連行された しばらく経って、皆は解放されたそうです。バチカンの警察官たちも指令を受けていて、それに従ったまでだろうが・・と。ウクライナ、パレスチナ、レバノンなどの国旗は振られ、環境団体や中絶反対活動家なども現場にいたのに、なぜ「平等」だけが禁止されるのか・・・と。
ROOT&BRANCHというカトリック教会の改革を求める団体のウェブサイトで、そのバナーの写真を見つけましたので載せておきます。(右下の写真)
筆者の考えですが、「平等」は 女性も助祭になる権利があるとか、LGBTQの人、離婚者や再婚者、伝統的な教会の掟に違反する人など平等な権利を求める多種多様な人がいますが、とりわけ一般信徒も司祭司教と本質的には平等だとする考えをバチカンは認めたくないのだろうと思います。
これまで紹介してきたドイツの「シノドスの道」で信徒と聖職者が「共同統治」することを、それは秘跡的な教会の性格に合わないからダメだとする。バチカンは教会だけではなく、「バチカン市国」として存在しますので、警察権を発動できるのでしょう。「秘跡的(サクラメンタル)」という言葉も注意しなければなりません。ある意味、胡散臭い言葉です。バチカンが女性の秘跡的叙階を認めないのは、まずは男性社会で押し切ってきた中に女性を受け入れると、次は女性の司祭叙階、その次は司教、教皇へとつながっていきます。
また一般信徒と聖職者は本質的に<平等> であることを強調すると、 叙階の秘跡によって司祭は本質的に一般信徒とは異なるのだとする 「位階制の教会」はいずれ崩壊していくかもしれません。 そのことを恐れている人々がローマにはいるのかもしれません。
また「カトリック教会は(7つの)秘跡が特徴だ」 と言う人がいます。7つの秘跡は神の恩寵を得る手段と教えられていますが、 それだけでなく、西欧キリスト教社会の人々の誕生から死( 墓地埋葬) に至るまでの人生の節目節目に通らなくてはならない通過儀礼であ り関所でした。 つまり人々を支配する道具であり、制度が7つの秘跡だったのです。 なぜなら社会と教会は一体化していたので、 それらの秘跡を受けたくないとは言えなかったのです。
10月18日、ゼーディンクは神学の「専門家」として第5研究グループに意見を求められ、「女性の助祭職」について2ページ書きます。「新約聖書では女性の助祭がいて、彼女らは最初の教会の形成期に属している。それで、第2バチカン公会議における秘跡的な助祭職の再発見のあと、女性に助祭職を開くのは次の論理的なステップである」と書いています。
もう一つ。10月9日夕刻、ゼーディンクは神学・司牧フォーラムに参加しました。主題は「神の民は宣教の主体」であるというもの。かつて人々は宣教の客体、宣教される相手でした。古い思考では「教える」教会と「学ぶ」教会は厳格に分かれていましたので、司祭などの奉仕職は聖職者のみ、信徒は学ぶ存在、教えられる存在でした。しかし人間の中に聖霊が働いているとすれば、またどんな文化の中にも聖霊の働きがあるとすれば、「神の民」は宣教の客体であるだけでなく主体でもあります。ヨハネ福音書が言うように「聖霊の約束」が与えられているからでもあります。よって、すべての人は福音を証言することができるのであり、またしなければなりません。
*教皇フランシスコの回勅「彼(イエス)は私たちを愛した」
10月24日、教皇フランシスコは回勅を出しました。「イエスの御心」に私たちが結ばれて私たちも本当の愛の心を持って生きるように、との願いが込められているようです。イエスの御心から生ける水が流れて、私たちが犯した傷を癒してくださり、また私たちが愛を持って他者に仕えることができるように、正しく連帯した兄弟的な社会に向けて共に旅を続けるように」と。この回勅とシノドスの「最終文書」が現実化していく努力をすべきだと思います。
*ウェブサイトHoly see, ALETEIA, The Pller, Catholic News、Agency ZdK ROOT&BRANCH等参照。
(西方の一司祭)