・Sr.阿部の『乃木坂の修道院から』㉒ バンコクの”難民収容所”にいたヴィちゃんの受洗の思い出

  首都バンコクの古い中心街スワンプルーに、IDC(Immigration Detention Center 移民収容施設)があります。難民移民の不法滞在者の収容所です。

 タイは地理的、社会政治的な理由で不法移民労働者や庇護を求め移動する人々の拠点で、当時、バンコクの収容所には5千人ほど収容され、食事の提供は経済的にも大変。入管は減らすために強制送還し苦心惨憺していました。

 この施設内に JRS(イエズス会難民司牧)のクリニックがあり、入所者の健康管理や人道的な配慮に努めていました、私がタイに行って間もない頃から、そこで働くフィリピン人(JRSメンバー)の女医ガルシアさんと親しくなり、毎週手伝いに行きました。

 鉄格子の部屋コンクリートの床に鮨詰めの生活している様子を見ました。食事はご飯とお菜が仕切りのあるアルミの容器に入れて、格子越しに差し入れられます。パンを主食とする諸外国の人々のために、ホテルからパンをたくさんいただき、切ってジャムと小袋に入れる手伝いもしました。

 ガルシアさんはタイに来て長年にわたって収容所で働く傍ら、国境沿いのジャングルに潜むミャンマーからの避難民の巡回治療、難民キャンプの人々の亡命手続きに必要なメディカルチェック、北部の山奥の山岳民の巡回治療に当たり活躍していました。

 IDC での忘れられないヴィちゃんの思い出をお話ししましょう。

 カンボジアから物乞いに連れて来られ、送り返しても、不法滞在で捕まり、IDC収容所へ。顔と胸、両腕の付け根、手の指が酷い火傷を負うカンボジアの女の子です。ガルシアさんにもらったイエス様、マリア様のご絵に格別、心を惹かれ、英語のお祈りを覚えました。

 せめて自分のことが自由に出来るほどの手術を受けさせたいと、費用の相談を受けました。当時、神言会の後藤文雄神父様がカンボジアの貧しい界隈に学校を建てるために、バンコクに立ち寄られ日本語のミサを捧げてくださり親しくしていました。カンボジアの子供たちに心に掛けている神父様、とにかく会っていただこう、とIDC へご案内。膝の上に抱いてじっとヴィちゃんを見つめ、了解してくださいました。

 外出許可手続きをして入院、顔以外を見事に手術、皮膚移植の手術など辛かったと思いますが、友人のクリスチーナさん(イタリアンレストランオーナー)の付き添いで無事終了。収容所に戻り、カトリック要理を勉強し、洗礼の準備。外出許可をもらい、レデンプトール修道院の聖堂で、洗礼式と初聖体を受けることができました。彼女のために、ガルシアさんが真っ白の可愛いドレス と白いフリルの付いた靴を用意しました。クリスチーナさんが代毋を務め、皆に見守られる中で、ジョゼフィンの洗礼名をいただいたヴィちゃんの洗礼式。感謝のミサが捧げられ、それはうれしいお祝いでした。

 不法滞在で再び捕まることのないように、カンボジアのJRSのシスターと連絡を取り、出生も両親も分からないヴィちゃんのために、誕生日は3月19日とか適当に生年を決めて身分証明書が出来、以後は不法滞在で捕まることなくJRS の保護下で学校にも行き卒業。収容所で学んだ英語とタイ語を活用してホテルに就職できました。

 素敵に成長し、パスポート持ってガルシアさん、クリスティーナさん、私たちに会いに来ました。ほんとうにうれしかった。収容所にいる頃、ヴィちゃんは火傷の顔のひきつりを剥ぎ取りたいと漏らしたことがありました。「ヴィの目は美しく輝いている、顔ではない、心の美しさよ。顔はヴィのIDだからそのまま大事にね」とガルシアさん、顔の火傷の整形手術はせず、そのままにしました。

 ユニークなヴィの輝く目、面影が私の胸に今も生きています。お互いにユニークなID を目に輝かせて生きて行きたいですね。

(阿部羊子=あべ・ようこ=聖パウロ女子修道会会員)3段落目

2026年3月5日

「余白の想い」②姦淫の女とイエス(ヨハネ福音書8章1~11)「正統的キリスト教」の教えは「強者の論理」ではなかったか


以下に記すことは、現代聖書学の見解である。当方、このコラムで、荒井献氏の著作「イエス・キリストの言葉」を用いた。ただ、この箇所を論ずるにはあまりにも複雑であると同時に問題が多岐にわたる故、簡略的に記すことを了承されたい。

 この物語の最後「これからは、もう罪を犯してはいけない」。この箇所には( )が付けられ、後代の加筆と見られているが年代的に古く重要である箇所を示す、と「共同訳聖書」の凡例にある。問題は、この最後の部分が、イエスが本当に語られた言葉かどうか、ということだ。ただし、この箇所、「姦淫の女」の物語は、元来、ヨハネ福音書にはなかったといわれる。紆余曲折を経て、4世紀にこの箇所がヨハネ福音書に採用された。

 そもそもこの物語の中で「姦淫の女」は、本当に悔い改めを必要とする「罪人」とみなされていたのであろうか。カトリック聖書学者によれば、イエスが、この女に「行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」と言われたのは、「悔い改めを求め、罪に陥った女を憐れみ、赦した」から。この文言は、いわば条件付きの言葉である。これが教会における一般的解釈であろう。だが、数多くの写本研究からこうした赦しを求める文は古い写本には無かった、とされている。

 イエスにとって、この女を罪に定める考えは毛頭なく、「私もあなたを罪に定めない。行きなさい」で終わっていたのである。この言葉から理解するなら、イエスは「姦淫の女」を「悔い改め」を必要とする「罪人」とは見ていない。イエスは彼女を絶対的に無条件で受け入れた、と言えるだろう。

 イエスが「新約聖書」において、人を積極的に「罪人」としたであろうか、と思い返すことが肝要である。「姦淫の女」に対してイエスは「罪の赦し」を与えたのではなく、「無条件」な「全人的な解放」をされた、と見なすことできるであろう。

 ここで、我々は「正統的キリスト教」の信仰告白、使徒信条、神学、教義と教理は皆、「強者」の側にいる「キリスト者」により作り上げられてきた「強者の論理」の教えではないか、と問い直す必要がある。

 次のことを記してこのコラムを終えたい。

 どれほど歴史を通して培われてきた強固な神学や教理・信条であってもそれを「絶対化」せず、その信仰と神学を基盤にする宗教の在り方が「イエスの福音を生きる生き方」と乖離しているならば、そのことにも「否」と言うべきであろう… 更に、ヴァチカンに於いて、黙想を指導するエリク・ヴァーデン司教の言葉を引用しておく。『それはアブラハム、イサク、ヤコブの神、すなわちキリスト・イエスにおいて憐れみ深い御子となられた神を、哲学における不動の動者とは一線を画すものです。(底本:荒井献「イエス・キリストの言葉」岩波書店・2011)

 

(東京教区信徒 纐纈康兵)

2026年3月1日

「愛ある船旅への幻想曲」(61) 第二バチカン公会議…教会に真摯に向き合い、社会の流れに沿った意見を熱く語る指導者が必要

    春、日本では新しい一年の始まりだ。カトリック教会も人事異動が発表され、各小教区の反応もそれぞれだろう。心静かに復活祭が迎えられるように神に祈りたい私である。

    2007年に故森一弘司教が発行された本『世界と日本と民主主義のありようを考える』の“新しい流れを前にして”の冒頭で「わたしたちも時の流れに敏感でなければならないでしょう。その流れの何が問題になるのか、冷静に見極めていくことは、大事なことのように、わたしには思えます。」とある。

     「憲法改正の問題、靖国神社参拝問題など、政府および自民党を中心にして進められていく政治の動きを見ていきますと、そこに、新たな国家主義、民族主義を高揚させようとする意図の働いていることが明らかに見てとれます。またそれに呼応するかのように、その方向に世論をあおり立てようとする一部マスコミ、メディアの動きも顕わになってきています… 憲法改正が政治日程に上げられるようになった今、わたしたち日本の教会は、新たな動きを展開しようとする日本社会に、どう向き合い、どうかかわったらよいのか、第二バチカン公会議を生きる教会としての真価が問われる時を迎えているのではないかと思います」(抜粋)。

 約20年前に森司教が危惧し語っておられた状態が今まさしく日本社会にあてはまり、日本の教会の生き方が問われているのではないか、と私は思っている。

 私は、第二バチカン公会議後のカトリック教会のミサしか知らないが、今もトリエント・ミサに与りたい60代の男女信徒をも存じている。カトリック信者にとってミサはイエス・キリストの死と復活を記念する重要な祭儀であり、聖体拝領はキリストと一つになる場面だ。各信者の聖体拝領への思いは計り知れなく、他人が介入できない問題である。

 ミサの中心は何なのか、カトリック教会の中心は何なのか。どれだけのカトリック信者がキリスト教を正しく理解しているのだろう。

 キリスト教の歴史を知らずしてカトリック宗教を語ることはできず、社会との共存もできない、と私は思っている。そして、トリエント公会議後と第二バチカン公会議後の教会の姿はどのような違いがあるのか。それを正さねば、「現代世界憲章」が作成された意図そして重要ポイントを読み解くことはできないだろう。各憲章は社会で生きる信徒として知る権利がある。そのためには、教会に真摯に向き合い、社会の流れに沿った意見を熱く語る指導者が今も必要である。

 以下は、森司教の『結び』からの抜粋。

 「じっくり考えれば、権利の背後には、その根拠となる人間の尊厳、人間の深い神秘性とかけがえのない価値があるはずです。こうした価値に関して、キリスト教には、豊かな光があります。直面している問題がどこにあるのかを明確に識別し、それにこたえていく光を提供し、人びとの良心に訴えていく役割が、教会の役割ではないかと考えるものです」。

(西の憂うるパヴァーヌ)

2026年3月1日

「パトモスの風」 ⑨今年を「聖フランシスコ年」とされたレオ14世教皇に感謝!

 
 レオ14世教皇様が、2026年1月10日から2027年1月10日までを、聖フランシスコ没後800年を記念する「聖フランシスコ年」とされた、という発表を知った時、私は心から感謝しました。私が「サン・ダミアーノの十字架」と出会い、アッシジの聖フランシスコについて知る機会を得たのは、神さまからのものだったのだと感じられたからです。そして、それまで持ち続けたヨハネ福音書と黙示録への思いがここにあったように思えました。

 そこで、これまで、「サン・ダミアーノの十字架」には、なぜヨハネ福音書と黙示録のテーマが描かれているのか、また、作者はなぜ、キリスト者の都をローマに置くことや、聖フランシスコの登場を預言するような人物を描き残したのか、などを追いかけてきことを、これからも続けていけたらと願っています。

 ヨハネ福音書は、洗礼者ヨハネが、「光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じる者となるため」(ヨハネ福音書1章 7節)に遣わされた、と書いています。そして、「彼は光ではなく、まことの光があった。その光は世に来て、すべての人を照らすのである」(1章8~9節)とあります。しかしそれに続く、「言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は自分のところへ来たが、民は言を受け入れなかった」(1章10~11節)という句を見ると、その落差に驚かされます。

 「世は言によって成った」とあるのは、このように書かれた理由を、創世記に探すように示唆しているのです。前回2月号のコラムで書かせていただきましたように、ここでも、創世記の「蛇」を、初めの女と男の間に発現した「人間の情報」であると捉えて考えてみる必要があります。

 初めの男と女が、神が食べることを禁じた「善悪の知識の木」の実を取って食べた後、「取って食べてはいけないと命じておいた木から食べたのか」(創世記3章11節)と問いただした神に、アダムは「あなたが私と共にいるようにと与えてくださった妻、その妻が木から取ってくれたので、私は食べたのです」(3章12節)と答えました。自分が神の命令に背いた原因を、神に帰したのです。このことは、彼が、この時、「神への敵意」を持っていたことを表しています。

 一方「女」は、「蛇がだましたのです。それで私は食べたのです」(3章13節)と、その理由をありのままに答えました。そこには、二人の間に発生した「人間の情報」を、どう取り込んで自分の知識にしたかの違いがあったと見ることができます。

 神は、人間の情報が他の生き物の中で最も呪われるものだ、と言われ、「お前と女、お前の子孫と女の子孫との間に/私は敵意を置く。/彼はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕く」(3章15節)と言われました。「私は敵意を置く」という御言葉は、まず「お前と女」、すなわち人間の情報と「女」の間に、次いで、「お前の子孫と女の子孫との間に」置かれました。神は、この御言葉が遺伝によってすべての人に継承されるようにしたのです。この時すでに、全人類の命が女性の胎に託されていたからです。

 神は、この御言葉を、アダムと人間の情報との間に置きませんでした。それは、「神への敵意」を先にもっていたアダムに「私は敵意を置く」という御言葉を与えれば、その葛藤に彼が苦しむからです。しかし、彼の知識となった「神への敵意」は、彼だけにとどまらず、子孫にも伝わっていきました。だからヨハネ福音書にあるように、世は「言」を認めなかったし、民も「言」を受け入れなかったということが起きるのです。

 だからこそ、「彼はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕く」と言われた神の言葉に希望がありました。それは、やがて御言葉が人となって生まれ、人に「人間の情報」を区別することを教えることで、その頭を砕き、「お前は彼のかかとを砕く」と言われた出来事を、神の計画が成し遂げられることにつなげてしまう、という希望です。これらの事に注意を向けながら、さらに続くヨハネ福音書の次の言葉を読むと、何かが、もっとはっきりしてくる気がします。

 「しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には、神の子となる権能を与えた。この人々は、血によらず、肉の欲によらず、人の欲にもよらず、神によって生まれたのである。言は肉となって、私たちの間に宿った。私たちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた」(ヨハネ福音書1章12~14節)。

(横浜教区信徒 Maria K. M.)

2026年2月28日

・ カトリック精神を広める㉗ 勧めたい本紹介・10 アレッシオ・パレンテ神父著「煉獄の霊魂は叫ぶ!『ピオ神父、万才!』

 今回お勧めしたい本は、 「煉獄の霊魂は叫ぶ!『ピオ神父、万才!』-天国と地獄の狭間」(アレッシオ・パレンテ神父著、甲斐睦興訳、 1995年11月20日初版、近代文藝社)だ。

 聖ピオ神父は、イエス・キリストと同じ手、足、脇腹に十字架上での聖痕(せいこん:きずあと)が現れた神父として有名。令和元年に長崎を訪れた教皇ヨハネ・パウロ2世も若い頃、ピオ神父から赦しの秘蹟、告解を受けたことがあるという。

 ピオ神父は、1887年5月25日に南イタリアカンパニア州の農村ピエトレルチーナに、7人兄弟の4番目の子として貧しい農民の家に生まれた。一家は毎日ミサに出席し、毎晩ロザリオの祈りを欠かさなかった。両親は読み書きが出来なかったものの、聖書を暗記して、その物語を子供たちに語り聞かせた。ピオ神父が5歳の時に自分の人生を神に捧げたという。その時からイエス、聖母マリア、守護の天使が見えて会話することができ、他の子も同じだと思っていた、と母親に語っている。

 23歳でカプチン会の司祭になり、31歳の時、十字架の前で祈り、ミサ後に感謝の祈りを捧げている最中に、聖痕が手、足、脇腹に現れた。最初は教会から超自然的なものとは認められず、公にミサを捧げることも禁止された。正式に認められたのはその15年後である。

 ピオ神父は、哀れな罪人や煉獄の魂のために、主に自分を捧げたいと強い情熱を感じ、いつも彼らのために祈りを捧げ、聖痕による苦痛を犠牲として捧げていた。このため、生きている人間よりも多くの煉獄の霊魂がピオ神父のもとを訪れたという。81歳で亡くなるが、彼はしばしば「死後はもっとやる。私の本当の使命は、私の死後に始まるのです」と宣言している。

 死後には聖痕はすべて消え、遺体は、サン・ジョヴァンニ・ロトンドの聖ピオ聖堂に安置され、40年後に聖人の位に上げられるかどうかの調査のために墓を開いたら、腐敗していないご遺体が現れた。この聖堂は、現在では、世界各地から多くの巡礼者が訪れる巡礼地となっている。(以上は、ウィキペディア等参照)

 本書によれば、プロテスタントでは煉獄は単なる迷信と考えているが、カトリックでは、天国へ行く途中の住まい、生前に犯した罪を償(つぐな)う場所と信仰している。彼は35歳の時に、司教から乞われるままに,以下の話をした。

 「夜中、部屋で祈っている最中に、修道院の扉が閉まったままなのに、一人の老人がドアを開けて中に入ってきた。『どんなご用ですか』と聞くと、老人は名を名乗った後、『私は、たばこを吸ったまま眠ってしまい、寝ている間に布団に火が付いて死んでしまいました。今は煉獄に留まっていますが、天国に行けるようにミサを捧げてくれださいと神父様に御願いに行くことを。神様が許してくださったので、ここに参りました』と語った。それで神父はミサを捧げることを約束し、修道院の扉を開け、『さようなら』と言った途端に、老人の姿は消えてしまった。その時には,失神しそうになったほど。翌朝、さっそく老人のためにミサを捧げ、老人が天国に召されたことが分かった、と司教に話したという。神父はその後、町に出かけ、町の史実を調べたら、確かに、実際に生きながら焼かれて死んだ老人がいた、ということが分かった」。

  イギリスのロンドンでは、ピオ神父は1月の「憂鬱とストレス解消の守護聖人」となっている。これは、ピオ神父の有名な言葉 “Pray, hope, and don’t worry(祈りなさい、希望を持ちなさい、そして心配しないでください)”に敬意を表し、一年でもっとも憂鬱な気分になる1月の22日をDon’t Worry Be Happy dayに選定しているからである。

(横浜教区信徒・森川海守=もりかわ・うみまもる=X:https://x.com/UMImamoruken

2026年2月28日

・「神様がくれた贈り物」㉛宣教のヒント〜人を説得するのではなく、納得するのを待ちながら、祈ること

 

  目に見えるものだけを信じる人たちに、「神は、本当に存在するのか? 証拠があるなら、見せてほしい」と言われると、困ってしまう。また、「祈ったら、なんでも叶えてくれるんでしょう?」と聞かれたときも、返す言葉がなくなってしまう。

  私としては、「私が、今、ここに生かされていること自体、神様がいらっしゃる証拠なのよ」と思いつつも、結局、言わずにそのまま黙ってしまう。その人を説得できる材料を、私は持っていないからだ。

***

 私のひとつ年上の先輩に、家族みんながカトリック信者、という方がいた。にこにこした笑顔が印象的で、みんながやりたくないことでも、率先して引き受ける人だった。学校生活でも、他の生徒たちとの違いはなく、先輩のおうちにお邪魔するまでは、本当に信者なのか、半信半疑だった。

 18歳だった私が、家族とうまくいかず、もう家に帰りたくなかったあの日、その先輩のご自宅に泊まらせていただいた。夜遅い時間だったのに、先輩のお母様が、温かく迎えてくださり、「一番年下のあなたに、一番かわいいカップを、お渡ししましょうね」と、暖かい紅茶を出してくださった。きゅっと縮まっていた体から、ふぅっと力が抜けた。お母様が「私は先に、休みますね」とおっしゃり、寝室に戻られた後、時計を見たら、もうすぐ午前1時という時刻だった。

 その時に、部屋の奥に気になるものがあった。それは、高い位置に置かれた学校で見たことがあるような少し大きめのサイズの聖母像だった。「こんなふうに、家の高い位置からマリア様が見守っておられることを、毎日感じながら生活しているのか」と、未信者だった私の心に深く残った。

 翌朝は、お父様と朝食をご一緒させていただいた。「よく眠れたみたいだね」と、穏やかに迎えてくださった。朝食後、部屋に戻ると、先輩は、私の話を聞いてくれた。そして、自分自身の悩みも赤裸々に話してくれた。

 こんなふうに、先輩だけでなく、御家族からも「たった一人の私」として大切にされた時、「神がいるんだ!」と納得した。「いる」と口で説得されても、信じることはなかっただろう。

***

 私たちができる宣教のヒントは、ここにあるのかもしれない。神の存在を、説得するのではなく、その人が納得するまで、祈って待つ―そうしていれば、きっと導いてくださるはずだ。

(東京教区信徒・三品麻衣)

2026年2月28日

・「愛ある船旅への幻想曲」(60)「頭で考えるだけの宗教」では、社会との共存は難しい

 今、日本は受験シーズンを迎え次のステージへの挑戦にあたふたしている子供たちもいることだろう。勿論、その子供たちの家族も落ち着かない。試練と忍耐の厳冬である。そんな中、衆議院解散だ。
 日本に初めて女性総理大臣が誕生した時、喜んだ国民が大勢いる、との報道だが、現状は賛否両論。日本の未来が心配である。いまだに“女性の役割”を問い続けているカトリック教会は、だいぶ現代社会から遅れをとっているようだが、唯一、社会情勢と”共存”できるのは、急速な少子高齢化と信徒減少(人口減少)についてであろう。
 前回のコラムで某トップ聖職者たちとの出会いに安堵した、と明記したのだが、後日談を述べねばならない。
 聖職者には、社会で生きる人と人とのルール、時間をかけて丁寧に話し合い、築き上げた信頼関係の大切さが、理解できないようだ。カトリック教会での地位は日本社会では簡単に通用しないこと、現場を知らない交渉のやり方は無謀さしか残らないことを思い知る出来事があった。一般社会に人間への尊重を教えねばならないトップ聖職者が人間を無下に扱うようでは、イエスも神も、そこには、おいでにないだろう
 今回の選挙で、ある党首は『人間の尊厳』の政治理念を核としていた。教皇フランシスコも『人間の尊厳』を尊重することを私たちに望まれた。バチカンの教理省宣言として、『無限の尊厳 ― 人間の尊厳』文書も出たはずだ。カトリック信者として『人間の尊厳』は一番大切であり、デリケートな問題と、私は思っている。
 しかし、「『カトリック教会は、社会とかけ離れた立ち位置の存在』と互いが見なしている限り、人間をも知らず、『人間の尊厳』の意味さえも「自分中心の狭い世界だけの主張」と受け取られかねないだろう。カトリック教会の高位聖職者たちが、相手の人間に対して「尊重と愛」を持たない扱い方を社会の現場で示すようでは、今ある教会への誤解は解けないのではないだろうか。
 カトリック教会の組織、人間関係、位階制度は独特である。それに、胡座をかいているような信者たちの集う宗教に未来はあるのだろうか。教皇フランシスコの回勅『兄弟のみなさん』は、人間の尊厳を擁護し、推進する”大憲章”と言われている。
 だが、人間として社会で必死に生き、経験を積まねば、キリスト教の核である“愛”を理解することはできない。よって『人間の尊厳』をも理解できない。「頭で考えるだけの宗教」では、社会との共存は難しいと、はっきり結論付けられた私の厳冬である。
 教皇フランシスコの確信の言葉-「私は、世界中のすべての人に、私たちのものであるこうした尊厳を忘れないように、と訴えます。この尊厳を私たちから奪い取る権利は、誰にも無いのです」(教理省宣言『無限の尊厳 ―  人間の尊厳について』)
(西の憂うるパヴァーヌ)
2026年2月1日

・Sr.阿部の「乃木坂の修道院から」㉑タイ北部の山奥の村で村民89人の洗礼式、アジアの仲間に福音を伝える使命を痛感した

 タイ北部メチェム県の山奥、最高峰ドイ•インタノン(2590m)の麓にカリアン民の村が点在しています。チェンマイから最高峰を超え、メチェムから更に北へ、ザブザブ川を渡り土埃を上げながら、やっと車の幅程の山間の道を5時間余、36世帯200人ほどのメヘナイ村があります。この村での忘れられない出来事をお話ししましょう。

 長崎コレジオ神学生の体験学習ボランティアの現地コーディネートのため、当地の神父さまと相談し、教会を建てるために毎年村にお世話と通訳で行っていました。大学の春休みを利用して2週間ほど、村人の家に泊まり寝食を共にし聖堂建設の手伝い。

 土台の土掘り、川から砂運び、石砕き、鉄筋を曲げて組んで…何から何まで手造りです。子供たちもバケツで水運びの手伝い、セメントをこねてバケツ・リレーでコンクリート流し… もちろん短期間で完成するはずはありませんが、ボランティアの労働力と村人総出で土台と柱、屋根の梁まで完成。

 夕方は子供たちと遊んで、楽しいひと時、オルティ(水浴び、つまりシャワー)して汗を流して皆で夕食「オメ」です。オ=食べる、メ=ご飯。覚えたカレアン語で結構心を通わせ、笑いが絶えない日々。

 その年は長崎コレジオの尾高修一神父さまが同伴され、毎日、日本語、タイ語、カリアン語を組合せて皆んな参加のミサを捧げました。日本語の説教は「難しい話しないでね」と言って私が通訳、村人の聖歌は本当に心が痺れ、たまらなく美しいでした。

 カトリック村のはずなのに、聖体拝領する人が少ないので、「告白したいの?」と聞いてみると、まだ洗礼を受けていないのです。司祭も何年も村を訪問していなくて、遠い町まで秘蹟を受けに出かける費用も無し。神父さまから了解をいただき、カテキスタの助太刀を呼んで、13 歳までが洗礼、14歳から洗礼初聖体の準備。聖歌の練習が響き渡り、村はみごとな信仰の学舎に。

 未完成の聖堂の床にビニールシートを敷き、屋根の梁越しの夜の星空の下で、洗礼式とミサが行われました。受洗者は何と89人!神父さまにカリアン語を練習してもらい、白い衣はないのでストラを肩に掛けながら、胸に付けた洗礼名と名前を呼び洗礼式、ミサの中で初聖体… 尾高神父さまは、説教の声が詰まるほどの感動。叙階してすぐに神学校に勤めたので洗礼を授けたのは初めてだったのです。

 式後は、大きな黒豚を屠って村中でご馳走してお祝い、村長さんは銀紙を巻いて作った剣の祝いの舞を披露、本当にうれしかったのですね。「生涯で一番うれしい日。村人たちの受洗、それも同じ顔をした日本人の神父さまから… 今までは西洋人の宣教師からでしたが」としみじみ語ってくれました。

 そのような村長さんの言葉を聞いて、私はハッと「アジアの仲間に福音を伝える使命」に気付かされました。そして、その時以来、私の意識に大きな展開がありました。気持ち心の視野が広がり、「イエスの極め難き福音の喜びの小径」を示されたように思いました。

 福音の味を噛み締め、口ずさみながら巡礼宣教人生を喜んで歩み続けたいと思います。聖母マリアの導きご保護を願いながら、共に前進しましょう。

(阿部羊子=あべ・ようこ=聖パウロ女子修道会会員)

2026年1月31日

・「パトモスの風」⑧ヨハネ福音記者が「光は闇の中で輝いている。闇は光に勝たなかった」と書いたのは、その体験があったから

今回は、ちょっと横道にそれてしまいますが、前回、ヨハネ福音書1章の「光は闇の中で輝いている。闇は光に勝たなかった」(ヨハネ福音書1章 5節)とある「闇」とは、人間の情報や知識のことです、と
書いたことについて、少しお話ししたいと思います。

このコラムで初めのころにお書きしましたが、アッシジの聖フランシスコが出会った「サン・ダミアーノの十字架」の作者は、十字架像の上部に、一人の男性がボタンの付いた筒のようなものを持って、下から手を差し伸べているイエス・キリストに渡そうとしている様子を描きました。

私は、それはまさしく黙示録の「七つの封印がしてあった」(ヨハネの黙示録5章1節)巻物に違いない、と思いました。この十字架像の中心テーマは、ヨハネ福音書の十字架の下の場面ですので、サン・ダミアーノの十字架に、「ヨハネ福音書と黙示録の相が現れている」ことに、フランシスコも気付いたに違いありません。

『アシジの聖フランシスコの小品集』(庄司篤訳、1988年、聖母の騎士社)の第一章「訓戒の言葉」の最初のテーマ、「主の御体」を読むと、フランシスコが、ヨハネ福音書から御父の愛とご聖体についての特別な理解を得ていたことが見えます。

一方、同じ「訓戒の言葉」の第2のテーマ、「我意の悪」では、創世記の「善悪の知識の木」へとその関心が向いています。フランシスコは、ヨハネの黙示録もよく読んでいたと思います。そして、黙示録の「竜」と創世記の「蛇」について考察したかもしれません。しかし、800年も前の彼の時代、それが何かを知るための手がかりは乏しかったでしょう。

黙示録の「竜」は、「巨大な竜、いにしえの蛇、悪魔ともサタンとも呼ばれる者、全人類を惑わす者」(12章9節)、「悪魔でありサタンである竜、すなわち、いにしえの蛇」(20章2節)と表現されていて、それが創世記3章の「蛇」とつながります。黙示録の「巨大な竜」は、「いにしえの蛇」、すなわち創世記の「蛇」がまるで進化したかのようです。

創世記の「蛇」が何であるかは、初めの「人」から女と男が創造された後、二人の間に、情報が発現した、と考えると合点がいきます。生き物は皆、複数になれば同種の個体間で情報を共有し、種の保存に最
適化しようとして進化するようになります。人間も同じですが、人間の間に発生した情報は、他の生き物とは比較できないほど急速に発達したと思います。2500年以上も前に書かれたといわれる創世記が、人間の情報を「蛇」にたとえて、他者として捉えたセンスにはすごいものがあります。

創世記3章に描かれた初めの女と「蛇」の対話が、人が情報を知識として取り込んでいく様子、と捉えると(創世記3章1~9節参照)、初めの「女」に起こったその現象は、人と競合する知性、AIと格闘する現在の私たちには、身につまされる体験ではないでしょうか。

AIと関わる私たちの中には、実在感が曖昧になって、それが「命を持った相手」であるかのように錯覚し、依存する人々もいる、と聞きます。創世記の初めの女と男も、それぞれが日常的に得た情報を共有するうちに、神が食べることを禁じた木の実についての彼らの記憶が、次のように曖昧になっていきました。

神は、園の中央に命の木と善悪の知識の木を生えさせられたのですが、「園のどの木からでも取って食べなさい。ただ、善悪の知識の木からは、取って食べてはいけない。取って食べると必ず死ぬことになる」(2章16~17節)と人に命じました。しかし、女のイメージは、園の木の実を食べることはできるが、「ただ、園の中央にある木の実は、取って食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないからと、神は言われた」(3章3節)いうものでした。神の言葉に人間の情報が混入して、彼女の知識は当初の神の命令とは違ってしまいました。

この違いの中で、女の脳裏に、神の命令に対して、「神は本当に、園のどの木からも取って食べてはいけないと言ったのか・・」という疑惑が生まれました。それは、「私たちは、園の木の実を食べることができる…」という知識との間で行ったり来たりしたことでしょう。「でも、ただ、園の中央にある木の実は、取って食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないからと、神は言われた…」と思い返しました。

ここで、死を体験したことも見たこともない若者であれば、「死んではいけない」を「決して死ぬことはない」にひっくりかえすことは簡単です(3章1~4節参照)。さらに、「それを食べると目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っているのだ」(3章5節)と後付けでその理由を思いつくに至ると、彼女には別の現実が見えてきます。

「女が見ると、その木は食べるに良く、目には美しく、また、賢くなるというその木は好ましく思われた。彼女は実を取って食べ、一緒にいた夫にも与えた。そこで彼も食べた」(3章6節)と書かれています。
二人の間で交わされた情報が、女の記憶により強く印象付けられたのは自明のことでした。神による人の創造に参与し、他者の命のために働く胎を授けられた女性は、常に他者の存在を本能的に意識してい
るところがあります。そこで、コミュニケーション能力が高く、ストーリーを共有することに長けています。

今では男女の差異は感じられませんが、人類が歴史を生き延びて今日のような発展を遂げた理由がそこにある、と言われているところです。人類はストーリーを共有することによって大規模協力を可能にしてきたのです。

イエスが洗礼者ヨハネから水で洗礼を受けられた後、共観福音書は、イエスが「悪魔から試みを受けるため、霊に導かれて荒れ野に行かれた」(マタイ福音書4章1節)という場面をそろって記載しています。当時は、まだ情報という言葉も概念もなかったと思いますが、神であるイエスは、創世記の場面と同じように、悪魔(サタン)を他者として捉え、それが人間の情報であることを知らせ、それと対峙する模範を私たちに示されたのではないでしょうか。

神であっても人の肉体を持つイエスも、この世に生まれたときから、さまざまな情報に接していたと思います。しかしイエスの記憶の中で、人間の情報が取り込まれて彼の知識となっていたとしても、ご自身
が携えて来られた御父の御心とは完全に区別されていたことが、荒れ野の場面の対話から分かります。

福音書は、イエスが多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた時、ペトロがイエスを脇へお連れして諫め始めた、と書いています。するとイエスは振り向いてペトロに、「サタン、引き下がれ。あなたは私の邪魔をする者だ。神のことを思わず、人のことを思っている」(マタイ福音書16章23節)とお叱りになったとあります。「人のこと」とは人間の情報のことです。

イエスは、御言葉を受け入れイエスの名を信じる弟子たちが、ご自身の言葉と人間の情報とを区別するように、格別に配慮し、訓練しておられたのではないでしょうか。ヨハネ福音記者が「光は闇の中で輝いている。闇は光に勝たなかった」と書いたのは、その体験があったからこそであり、その体験を共有する方法を、未来の信者たちのためにイエスが残さなかったはずはない―私はそう確信します。

(横浜教区信徒 Maria K. M.)

2026年1月31日

・「余白の想い」① イエスを教会の中に閉じ込め、古臭い言葉を使い続けていれば、キリスト教は滅ぶ

 今回取り上げる司祭は、私より一回り年上で、ある修道会に所属し、その修道会の日本管区長も務めた方であった。晩年はその修道会を離れ、教区司祭になられたが、数年前、帰天された。この方とSNSを通じ、色々と話し合う機会を得た。その話し合いは、一口に言えないほど広範囲にわたったので、ここでは、印象に残った事柄だけを記そうと思う。

 彼は終戦直後、貨物船に乗り、スエズ運河経由でヨーロッパに渡り、最初はスイスの大学で2年間程、研究し、その後、ローマのグレゴリアン大学で4年間学ばれ、神学の学位を取得されたとのことであった。スエズ運河では一泊し、フランス軍の傭兵が乗船してきたが、その中に後に俳優で有名になったアランドロンがいた、という。

 それはさておき、彼のグレゴリアン大学での研究テーマはトマス・アクィナスの「神論」だった。だが、当方はトマスには疎く、また、好きなタイプではなかった。二日間にわたって議論したが、お互いの見解が異なり、話し合いは物別れに終わった。だが、「原罪」の意味については、どの様に解釈するか、日本人に理解されるにはどうしたら良いかなど、話し合った結果、最終的に「エゴイズム」という言葉で双方が納得した。

 この「エゴイズム」と言う言葉を「原罪」に適応した最初の人は、ユダヤ教の哲学者、M・ブーバーだ。それでも、「原罪」と「エゴイズム」は同義ではなく、どこか違うことも、互いに充分に理解していた。

 ここからは、私のあくまでも個人的な見解だが、「原罪」から当然なこととして問題になるのは、創世記の楽園物語に出てくる「神」だろう。この「神」は有神論の神であるが、「有」と言う文字を使えば、その対極の「無」と言葉が出てくる。要する「有神論」を主張すれば「無神論」が浮かび上がってくる。今から半世紀程前、この「有神論」の「神」は「失業」し、「賞味期限切れ」と主張したイギリスの神学者がいた。

 ある時、私の自宅前に数人の若者たち、中学生、高校生が何か円陣の様な形を作り、楽しそうに談笑にふけっていた。彼らに声を掛け、こう尋ねた。「どこまでも空を昇り、最後に宇宙の果てに達したとする。その時、宇宙の外側に神がいるのだろうか」と。まだ幼さが残る彼らは皆、「神はいない」と答えた。

 私が言いたかったのは、「神は、空高く、天上にいるのではなく、むしろ私たちの命の深みの中に見出されるのだ」ということだったのだが。第二次世界大戦の時、ヒットラーが台頭する前に、アメリカに亡命した、ドイツの神学者パウル・テイリッヒの言葉に、「神は、存在の根拠」がある。

 私たちは「原罪」というレンズを作り、それを通してイエスを見てきた。また「罪」とは、数百年にもわたって人間の生活を支配してきた教会が装備する主要な、そして、恰好な武器と言えるだろう。
この「原罪」に関して、カトリック教会もプロテスタント教会も共に真摯な議論をしてきた。

 その真面目な態度は称賛に値し、感心はするが、それは一言で言えば「無知」ゆえであろう。その無知がいかに信仰深く神聖なものであったとしても、無知はしょせん「無知」である。人間に与えられた知性なるものを尊重するなら、聖書を文字通りに受け取る前近代的な方法を乗り越えていかねばならない。

 伝統的キリスト教は、頑丈に出来た教会の中にイエスを閉じ込めてきた。信仰を表すために文字通りに解釈された、古臭くて役に立たない言葉を使い続けていては、結果として、キリスト教は滅びてしまうだろう。

 このコラムは以下の言葉を記して、ひとまず終わりとしたい。

 あまりにも完全で、開放的で、自由で、そして自分自身に正直であったがゆえに、人々は、「この人の命」を通して、自分たちの命に聖なる命がやってきたと確信するようになった。それが人間イエスである。神はキリストの内におられる。イエスと共に、この神を求めて新な地平を歩もうではないか。

(東京教区信徒 纐纈康兵)

2026年1月30日

・「神様がくれた贈り物」㉚「日本に生まれたからこそ、カトリックの信仰に導かれたのかもしれない」

 私がカトリックの洗礼を受けると決め、それを祖父母たちに報告する時、とても緊張したのを覚えている。それに対して、祖母は、宗教に対する考えを、私にこんなふうに話した。

 「頂上は同じなんだと思う。ただ、みんな同じ山をちがう道から登っているだけだから。おじいちゃんも、おばあちゃんも、『キリスト教も、仏教も、その他の宗教も、同じ頂上を目指していると思う』ってよく話すのよ」。

 それを聞いた私は、安堵した。許してもらわなければならない事柄ではないものの、私が信じるものを肯定してもらえたことが、とても嬉しかった。

 祖父母の家に泊まり掛けで遊びに行った日を思い出すと、二人は、朝起きてパジャマから服へ着替えると、神棚に向かって、頭を下げ、柏手を叩いた。そして、お土産に持ってきたお菓子を「まずは、仏さんにあげましょうね」と仏壇に供えた。散歩をした時には、道端のお地蔵さんに、そっと手を合わせていた。

 これらのことを、特別なこととして感じたり考えたことは無かった。ごく当たり前の一日として記憶している。

***

 約20年ほど前に、受洗の恵みに与り、朝起きて、十字を切ってから、一日を始めたり、食事の前に祈ったり、眠れない時に、ロザリオの珠をひとつひとつ数えたり……これらのことが、比較的すんなり私の身についたのは、祖父母が大いなる存在への敬意を示す様子が、ごく自然に生活の中に取り込まれていたからだ、と感じる。

*****

  日本の人口のうちカトリック信者は0.3%くらいしかいないらしい。また、多くの人が特定の信仰を持たない。その一方で、無神論者は少ない印象がある。日本においての信仰とは、特定の何かを信じてその教えの通りに動くことではなく、生活の中に溶け込んだ習慣のようなものに見える。日本には、霊性を感じたり信じる土壌が整っているように感じる。

 そう考えると、私が日本で生まれ育ったからこそ、カトリックの信仰に導かれたのかもしれない。主のなさることは、とても不思議で、素晴らしい!

(東京教区信徒・三品麻衣)

2026年1月30日

・「カトリック精神を広める」㉖ 勧めたい本紹介・9「完訳ドン・ボスコ伝」

 今月のお勧めしたい本は、「完訳ドン・ボスコ伝」テレジオ・ボスコ著,サレジオ会訳( 2011年1月31日初版、ドン・ボスコ社)。

 紹介しようと読み進めた本がまだ読了できず、どうしよう、締め切りまで間に合わない、と思い、本棚に立ったら、この本が目に付ついた。考えてみたら、今週末の31日はサレジオ会の創設者、ドン・ボスコの命日であることを思い出した。これは何かの縁だろうか。

 ドン・ボスコの伝記はいくつか出ている。自叙伝もあるが、この本は最新の資料に基づく、「平易な文章と劇的に表現する才覚」により書き上げられたものだ。一気に読ませる面白さがありながら、学術的に踏まえたドン・ボスコの生涯をしっかり描いている。

 サレジオ会はご存知のように、全世界に、130以上の国に、4,100ヶ所以上の学校、大学が設立されている。日本では1926年にチマッチ神父が8人の司祭を連れて来日して以来、全国12支部に、教会、学校、職業学校等が設けられている。この本では、子供を教育するサレジオ修道会をどのように立ち上げたのかを記しています。

 ”げんこつ”ではなく、愛をもって青少年に接するように、との聖母の諭しを、9歳の時、夢に見て以来、苦労して司祭になり、職も無く、悪に手を染める巷にあふれる青少年のために職業学校を設立して以来、亡くなるまでの生涯を描いている。

 奇跡も数多く掲載されているが、1つだけ紹介しよう。この奇跡を報告した学生は、ミサ中にドン・ボスコに告解をしている最中だったが、ミサが終わった後に、朝食用のパンを400人の子供に配る係をしていた学生が告解を聞いているボスコの所にやって来て、小声でこう告げた。「パンが12個しかありません。お金を払っていないので、パン屋さんがパンを届けてくれません」。ボスコは答えた。「分かった、残っているパンを集めてかごに入れておきなさい」と。

 奇跡を報告した学生は、それを聞いていて、ボスコが時々奇跡を行うことが知られていたため、好奇心もあって、事の次第を見ようと、ボスコが何をしているかを、そばで注視する。ボスコは、聖堂の後ろでかごを持ち、パンを配り始め、400人の学生に配り終わった後、籠には、まだパンが残っているのが見えた。そこで、近くに寄ってかごの中を見たら、なんと、まだ12個のパンが残っているではないか。

 仰天したこの学生、奇跡を目の当たりに見て、感動し、一緒にミサに来ていた母親に告げた。「家に帰らない、奇跡を行ったボスコと一緒にいたい。サレジオ会の寄宿生になる」と。そうして、彼はサレジオ会の司祭になったのだった…。

 横浜教区信徒 森川海守(もりかわうみまもる)(X:https://x.com/UMImamoruken HP:https://mori27.com

2026年1月30日

(読者投稿)「神」は、我々が意識しようとしまいと、最も深い所で無条件に赦し、愛し、守り、支えてくださる

 「大いなる神は、我々が意識しようと、しまいとに関わらず、我々の最も深い所で、無条件に許し、愛し、守り、そして支えている」-20世紀を代表するドイツのカトリック神学者カール・ラーナーの言葉である。

 我々は、日曜日を「教会に行って、祈りをささげる”脱世間”の日」とし、残りのウィークデーは会社や家庭で働く”在世間の日”というふうに分けて生活してしまう。これを端的に言えば、日曜日や黙想会の日々は”心の洗濯”の日、その他は”心が汚れ”ていく日といった具合だ。「脱世間」という縦糸と「在世間」という横糸がバラバラである。

 では、イエスはどうだったのか?彼は一人で山の奥にひきこもり、すべて生きとし生けるものと共に、一晩を祈られた事がよく描かれている。例えば、マルコ福音書6章46節、ルカ福音書5章15~16節、6章12節などだ。。イエスの生涯は「脱世間」という縦糸と「在世間」という横糸が、見事に一つに織りなされていた。

 だが、21世紀に生きる我々にとって、この現実世界はあまりにも忙しく、心を騒がせる事が多すぎる。この様な現実を前にして「神に祈る」とはどの様なことだろうか、と、ふと思う。
余談になるが、以下をお読みいただきたい。

 先日、友人が、久しぶりに尋ねて来た。なんでも、一流の大学を出て、会社勤務も終わり、退職した、とのことであった。彼は私に「神」について10以上の質問をし始めた。私はその質問に「違う」、「いいえ」、と答えたり、「解らない」と言ったりすると、「それなら、神を信じていないのですね」と彼は聞いた。私が、「いや、神を信じている」と答えると、友人は啞然とした顔をした。

 しばらくして、友人は「それって、どいうことですか」と、怪訝そうに尋ねてきた。私は、彼に、「君の質問はすべて言語化されており、日常の世界で言われているものだ」と答え、次の様に説明した。「君の質問は、いわゆる『表』の世界の事柄であり、『裏』の世界には、全く無頓着だ。君の質問のすべて事柄には『裏』の世界があり、その裏に『神』が張り付いているんだ」と。彼は不思議そうな顔をして「そういう考え方があるんですね」と頷いていた。

 話を元に戻そう。我々の生活、日常の生活等は「信仰」と確実に結び付いている。これを簡潔に言えば、「生活即、信仰」、「信仰即、生活」と言えると思う。それなら「祈り」は即、我々の「現実生活」と不即不離の関係にある。 「現実生活」即、「祈り」、「祈り」、即「現実生活」であろう。

 ここで、冒頭のカール・ラーナー(Karl Rahner)の「超自然的実存規定」を思い起こしていただきたい。なお、「即」というこの「語」については、またの機会にお話しする。

(東京教区信徒 纐纈康兵)

2026年1月10日

・Sr.阿部の「乃木坂の修道院から」⑳聖書から元気をもらい、巷でイエスと出会いながら、新年も命いっぱい生きて行こう!

   謹賀新年!

 冬のクリスマス、やっぱりいいですね。新年を祖国で迎え、主の摂理に感謝しております。

 神様が人となって誕生された出来事に、ことさら感動するクリスマスを味わいました。「言(ことば)は肉となって、私たちの間に宿った」(ヨハネ福音書1章14節) - 神が見ることができる存在になられた。「あなたがたは、産着にくるまって飼い葉桶に寝ている乳飲み子を見つける。これがあなたがたへのしるしである」(ルカ福音書2章12節-羊飼いたちは「乳飲み子を探し当てた」(同16節)との福音の言葉が身近かに感じられ、これまでに出会った人々が止めどなく脳裏に浮かんできました。

 歩道橋階段下や公衆電話ボックスに横たわる真っ黒い手足のおじさんたち、早産で死んでしまった赤ちゃん、末期のエイズ患者さん達、ホームの寝たきりの病人、希望の洗礼を受け出所し日本に帰る寸前亡くなり火葬場で見送った人… タイでの30年の間に出会い、関わった人々が、飼い葉桶のイエス様と重なり合って思い浮かびました。

 神様がベトレヘムに誕生され、人としての命を生きて慈愛を示され、「この最も小さな者の一人にしたのは、すなわち、私にしたのである」(マタイ福音書25章40節)と教えてくださり、ご自分と同一視されたから…。喜び悲しみ、痛み飢え渇き、人々に触れ癒されたイエス様、人となられた神様、すごいことです。これぞ正にAnazing Grace !です。

 垢まみれに汚れた人々に触れた自分の手が、イエス様に触ったようでした。私を見つめるきれいな輝く目、胸の中で今も星のように光っています。出会ったその日はルンルンで本当にうれしかった。

 「神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めの献げ物として御子をお遣わしになりました。ここに愛があります」(ヨハネの手紙1・4章10節)。

 ご降誕の出来事は、天地創造の神様の一番の傑作だと思います。神様が赤ちゃんになって誕生、それもお母さんのマリア様から、ヨゼフ様に守られて… 心憎い神様のなさり方、なんともうれしく、胸が熱くなりますね。聖書の物語をじっくりと味わって元気をいただき、巷でイエス様と出会いながら、2026年を命いっぱいに生きていきましょう。

(阿部羊子=あべ・ようこ=聖パウロ女子修道会会員)

(「カトリック・あい」:聖書の引用は「聖書協会・共同訳」による)

2026年1月7日

・パトモスの風 ⑦ヨハネ福音書は新約の司祭職をどう伝えているか

 イエスが言われた「私の教会」(マタイ福音書16章18節)は、十字架の下に立った3人のマリアとして誕生することになりました。

 アッシジの聖フランシスコは、自身の視覚を捉えたサン・ダミアーノの十字架から受けたインスピレーションを、その後の行動につなげていきました。彼は、イエスの十字架のかたわらに誕生した教会の召命を、どのように受け取ったでしょうか。それは現代の私たちに、どんな関りをもたらすのでしょうか。はっきりしていることは、サン・ダミアーノの十字架には、「ヨハネ福音書と黙示録の相が現れている」ということです。

 ヨハネ福音書のイエスの十字架のかたわらの場面で、イエスがご自分の母と「愛する弟子」を親子の絆で結ばれたのは、前晩に、イエスが使徒たちの前でご聖体を制定され、その御業と共に「私の記念としてこのように行いなさい」という言葉によって、使徒たちに新約の司祭職を与えたからです。イエスの母は、そのことの公のしるしとなった、と考えられます。

 それはそれほど唐突な発想ではありません。イエスの母マリアは、祭司ザカリアの妻でアロン家の娘の一人エリザベトの親類でした。旧約の祭司の一族の血筋にあるマリアのもとに、「聖霊によって宿られたイエスが、御父のもとから新約の司祭職を携えて地上に来られた」と考えても、不自然ではありませんし、私たちの教会はその初めからイエスの母を聖霊の浄配と捉えていました。

 フランシスコも、その言葉を自身の祈りに用いました(「アシジの聖フランシスコの小品集」(庄司篤訳、聖母の騎士社)P155参照)。「聖霊の浄配」と言われたイエスの母は、新約の司祭職のしるしであり、新約の司祭職は、永遠に聖霊の浄配なのです。しかし、ヨハネ福音書には、イエスの母の名はありませんし、愛された弟子の名もありません。また、使徒という言葉がなく、弟子という言葉で通しています。ここには、何か事情があるのです。私は、ヨハネ福音書は、新約の司祭職に特化して書かれたのではないかと考えています。そこで、わざわざ聖体制定の場面を書かなかったのです。

 聖体制定の御血に係る御言葉が、旧約の祭司職の伝統に抵触するのかもしれませんし、共観福音書がそろって書いていても、ヨハネ福音書が書かなければ、聖体制定の重要性が曖昧になって、迫害者の視線に触れずに済むかもしれません。しかし信者が気づくように、最期の晩餐の場面を過越し祭の前に日をずらし(ヨハネ福音書13章1~2節参照)、その間に、共観福音書がそろって書いた聖体制定の日が含まれていたことを暗示した・・とすれば、そこでヨハネ福音書が書いたイエスの洗足の行為には、はっきりとした意図があったに違いありません。

 ヨハネ福音書には、他にも知りたいことがたくさんあります。そこで、1章から始めて、気になる箇所をピックアップしながら、そこに映しだされるイメージがどのように新約の司祭職に関わっているか、探求してみようと思います。ゆっくりと追っていくなら、だんだんとイエスの母の役割や、ヨハネ福音書が書かれた目的も、具体的にもっとよく分かるようになるのではないかと思います。

 1章の冒頭の句は、「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった」(1章1~2節)とあって、イエスが言われた「私と父とは一つである」(10章30節)ことを表現しています。これに続く「万物は言によって成った。言によらずに成ったものは何一つなかった」(1章3-4節)には、御父の御心をすべて成し遂げられる御言葉イエスの姿が見えています。イエスも、「なぜなら、私は自分勝手に語ったのではなく、私をお遣わしになった父ご自身が、私の言うべきこと、語るべきことをお命じになったからである」(12章49節)と言われました。

 次に、「言の内に成ったものは、命であった。この命は人の光であった」(1章3-4節)とある「命」は、イエスが、「父が、ご自身の内に命を持っておられるように、子にも自分の内に命を持つようにしてくださったからである」(5章 26節)と言われた「命」のことだと思います。人となった御言葉イエスが、ご自分の内に持った命は、洗礼者ヨハネが、「私は、霊が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た」(1章 32節)と証ししたように、聖霊の働きであり、この証しは、同時にイエスが、人となられた地上でも、「私はある」と言われた三位一体の神としておられることを証ししたのです。

 この後でイエスは、「命を与えるのは霊である。肉は何の役にも立たない。私があなたがたに話した言葉は霊であり、命である」(6:63)と言われました。人に「命を与えるのは霊」です。神でありながら地上にお生まれになり、霊において何の役にも立たない肉の人となったイエスに、聖霊が降ってとどまることで、イエスの語る言葉が「御言葉として生きるものとなった」ことを言い表しておられます。その時イエスの話された言葉は、聖霊が共に働かれ、命を与える言葉となっていました。御言葉が人となられたイエスのこの姿は、聖霊が降臨された後、聖霊と共働するすべての信者のモデルのようです。

 フランシスコも「全キリスト者への手紙Ⅱ」 の初めに次のように書きました。「私は、すべてのキリスト者のしもべですから、すべての人に仕え、わが主の香り高い御言葉を伝えなければなりません。それで、体の病気と弱さのため、一人びとりを親しく訪ねえないことを心のうちで考え合わせ、皆様にこの手紙を送って、御父の御言葉にまします私たちの主イエズス・キリストの御言葉と聖霊の御言葉-「霊であり、命である」御言葉-を伝えようと決心いたしました」(「アシジの聖フランシスコの小品集」P77~78参照)。

 「光は闇の中で輝いている。闇は光に勝たなかった」(1章 5節)とある「闇」とは、人間の情報や知識のことです。聖霊の働きは光になります。聖霊は、御言葉に命を注ぎ生きるものにして私たちに与え、また、私たちからその御言葉を引き出すことによって、私たちを光で照らし、「言の内に成った命」を持っていることを実感させてくださいます。ヨハネ福音書の1章1~5節は、三位一体の神のイメージを伝え、とりわけ聖霊について教えています

(横浜教区信徒 Maria K. M)

2026年1月3日