・「愛ある船旅への幻想曲」(60)「頭で考えるだけの宗教」では、社会との共存は難しい

 今、日本は受験シーズンを迎え次のステージへの挑戦にあたふたしている子供たちもいることだろう。勿論、その子供たちの家族も落ち着かない。試練と忍耐の厳冬である。そんな中、衆議院解散だ。
 日本に初めて女性総理大臣が誕生した時、喜んだ国民が大勢いる、との報道だが、現状は賛否両論。日本の未来が心配である。いまだに“女性の役割”を問い続けているカトリック教会は、だいぶ現代社会から遅れをとっているようだが、唯一、社会情勢と”共存”できるのは、急速な少子高齢化と信徒減少(人口減少)についてであろう。
 前回のコラムで某トップ聖職者たちとの出会いに安堵した、と明記したのだが、後日談を述べねばならない。
 聖職者には、社会で生きる人と人とのルール、時間をかけて丁寧に話し合い、築き上げた信頼関係の大切さが、理解できないようだ。カトリック教会での地位は日本社会では簡単に通用しないこと、現場を知らない交渉のやり方は無謀さしか残らないことを思い知る出来事があった。一般社会に人間への尊重を教えねばならないトップ聖職者が人間を無下に扱うようでは、イエスも神も、そこには、おいでにないだろう
 今回の選挙で、ある党首は『人間の尊厳』の政治理念を核としていた。教皇フランシスコも『人間の尊厳』を尊重することを私たちに望まれた。バチカンの教理省宣言として、『無限の尊厳 ― 人間の尊厳』文書も出たはずだ。カトリック信者として『人間の尊厳』は一番大切であり、デリケートな問題と、私は思っている。
 しかし、「『カトリック教会は、社会とかけ離れた立ち位置の存在』と互いが見なしている限り、人間をも知らず、『人間の尊厳』の意味さえも「自分中心の狭い世界だけの主張」と受け取られかねないだろう。カトリック教会の高位聖職者たちが、相手の人間に対して「尊重と愛」を持たない扱い方を社会の現場で示すようでは、今ある教会への誤解は解けないのではないだろうか。
 カトリック教会の組織、人間関係、位階制度は独特である。それに、胡座をかいているような信者たちの集う宗教に未来はあるのだろうか。教皇フランシスコの回勅『兄弟のみなさん』は、人間の尊厳を擁護し、推進する”大憲章”と言われている。
 だが、人間として社会で必死に生き、経験を積まねば、キリスト教の核である“愛”を理解することはできない。よって『人間の尊厳』をも理解できない。「頭で考えるだけの宗教」では、社会との共存は難しいと、はっきり結論付けられた私の厳冬である。
 教皇フランシスコの確信の言葉-「私は、世界中のすべての人に、私たちのものであるこうした尊厳を忘れないように、と訴えます。この尊厳を私たちから奪い取る権利は、誰にも無いのです」(教理省宣言『無限の尊厳 ―  人間の尊厳について』)
(西の憂うるパヴァーヌ)
2026年2月1日

・Sr.阿部の「乃木坂の修道院から」㉑タイ北部の山奥の村で村民89人の洗礼式、アジアの仲間に福音を伝える使命を痛感した

 タイ北部メチェム県の山奥、最高峰ドイ•インタノン(2590m)の麓にカリアン民の村が点在しています。チェンマイから最高峰を超え、メチェムから更に北へ、ザブザブ川を渡り土埃を上げながら、やっと車の幅程の山間の道を5時間余、36世帯200人ほどのメヘナイ村があります。この村での忘れられない出来事をお話ししましょう。

 長崎コレジオ神学生の体験学習ボランティアの現地コーディネートのため、当地の神父さまと相談し、教会を建てるために毎年村にお世話と通訳で行っていました。大学の春休みを利用して2週間ほど、村人の家に泊まり寝食を共にし聖堂建設の手伝い。

 土台の土掘り、川から砂運び、石砕き、鉄筋を曲げて組んで…何から何まで手造りです。子供たちもバケツで水運びの手伝い、セメントをこねてバケツ・リレーでコンクリート流し… もちろん短期間で完成するはずはありませんが、ボランティアの労働力と村人総出で土台と柱、屋根の梁まで完成。

 夕方は子供たちと遊んで、楽しいひと時、オルティ(水浴び、つまりシャワー)して汗を流して皆で夕食「オメ」です。オ=食べる、メ=ご飯。覚えたカレアン語で結構心を通わせ、笑いが絶えない日々。

 その年は長崎コレジオの尾高修一神父さまが同伴され、毎日、日本語、タイ語、カリアン語を組合せて皆んな参加のミサを捧げました。日本語の説教は「難しい話しないでね」と言って私が通訳、村人の聖歌は本当に心が痺れ、たまらなく美しいでした。

 カトリック村のはずなのに、聖体拝領する人が少ないので、「告白したいの?」と聞いてみると、まだ洗礼を受けていないのです。司祭も何年も村を訪問していなくて、遠い町まで秘蹟を受けに出かける費用も無し。神父さまから了解をいただき、カテキスタの助太刀を呼んで、13 歳までが洗礼、14歳から洗礼初聖体の準備。聖歌の練習が響き渡り、村はみごとな信仰の学舎に。

 未完成の聖堂の床にビニールシートを敷き、屋根の梁越しの夜の星空の下で、洗礼式とミサが行われました。受洗者は何と89人!神父さまにカリアン語を練習してもらい、白い衣はないのでストラを肩に掛けながら、胸に付けた洗礼名と名前を呼び洗礼式、ミサの中で初聖体… 尾高神父さまは、説教の声が詰まるほどの感動。叙階してすぐに神学校に勤めたので洗礼を授けたのは初めてだったのです。

 式後は、大きな黒豚を屠って村中でご馳走してお祝い、村長さんは銀紙を巻いて作った剣の祝いの舞を披露、本当にうれしかったのですね。「生涯で一番うれしい日。村人たちの受洗、それも同じ顔をした日本人の神父さまから… 今までは西洋人の宣教師からでしたが」としみじみ語ってくれました。

 そのような村長さんの言葉を聞いて、私はハッと「アジアの仲間に福音を伝える使命」に気付かされました。そして、その時以来、私の意識に大きな展開がありました。気持ち心の視野が広がり、「イエスの極め難き福音の喜びの小径」を示されたように思いました。

 福音の味を噛み締め、口ずさみながら巡礼宣教人生を喜んで歩み続けたいと思います。聖母マリアの導きご保護を願いながら、共に前進しましょう。

(阿部羊子=あべ・ようこ=聖パウロ女子修道会会員)

2026年1月31日

・「パトモスの風」⑧ヨハネ福音記者が「光は闇の中で輝いている。闇は光に勝たなかった」と書いたのは、その体験があったから

今回は、ちょっと横道にそれてしまいますが、前回、ヨハネ福音書1章の「光は闇の中で輝いている。闇は光に勝たなかった」(ヨハネ福音書1章 5節)とある「闇」とは、人間の情報や知識のことです、と
書いたことについて、少しお話ししたいと思います。

このコラムで初めのころにお書きしましたが、アッシジの聖フランシスコが出会った「サン・ダミアーノの十字架」の作者は、十字架像の上部に、一人の男性がボタンの付いた筒のようなものを持って、下から手を差し伸べているイエス・キリストに渡そうとしている様子を描きました。

私は、それはまさしく黙示録の「七つの封印がしてあった」(ヨハネの黙示録5章1節)巻物に違いない、と思いました。この十字架像の中心テーマは、ヨハネ福音書の十字架の下の場面ですので、サン・ダミアーノの十字架に、「ヨハネ福音書と黙示録の相が現れている」ことに、フランシスコも気付いたに違いありません。

『アシジの聖フランシスコの小品集』(庄司篤訳、1988年、聖母の騎士社)の第一章「訓戒の言葉」の最初のテーマ、「主の御体」を読むと、フランシスコが、ヨハネ福音書から御父の愛とご聖体についての特別な理解を得ていたことが見えます。

一方、同じ「訓戒の言葉」の第2のテーマ、「我意の悪」では、創世記の「善悪の知識の木」へとその関心が向いています。フランシスコは、ヨハネの黙示録もよく読んでいたと思います。そして、黙示録の「竜」と創世記の「蛇」について考察したかもしれません。しかし、800年も前の彼の時代、それが何かを知るための手がかりは乏しかったでしょう。

黙示録の「竜」は、「巨大な竜、いにしえの蛇、悪魔ともサタンとも呼ばれる者、全人類を惑わす者」(12章9節)、「悪魔でありサタンである竜、すなわち、いにしえの蛇」(20章2節)と表現されていて、それが創世記3章の「蛇」とつながります。黙示録の「巨大な竜」は、「いにしえの蛇」、すなわち創世記の「蛇」がまるで進化したかのようです。

創世記の「蛇」が何であるかは、初めの「人」から女と男が創造された後、二人の間に、情報が発現した、と考えると合点がいきます。生き物は皆、複数になれば同種の個体間で情報を共有し、種の保存に最
適化しようとして進化するようになります。人間も同じですが、人間の間に発生した情報は、他の生き物とは比較できないほど急速に発達したと思います。2500年以上も前に書かれたといわれる創世記が、人間の情報を「蛇」にたとえて、他者として捉えたセンスにはすごいものがあります。

創世記3章に描かれた初めの女と「蛇」の対話が、人が情報を知識として取り込んでいく様子、と捉えると(創世記3章1~9節参照)、初めの「女」に起こったその現象は、人と競合する知性、AIと格闘する現在の私たちには、身につまされる体験ではないでしょうか。

AIと関わる私たちの中には、実在感が曖昧になって、それが「命を持った相手」であるかのように錯覚し、依存する人々もいる、と聞きます。創世記の初めの女と男も、それぞれが日常的に得た情報を共有するうちに、神が食べることを禁じた木の実についての彼らの記憶が、次のように曖昧になっていきました。

神は、園の中央に命の木と善悪の知識の木を生えさせられたのですが、「園のどの木からでも取って食べなさい。ただ、善悪の知識の木からは、取って食べてはいけない。取って食べると必ず死ぬことになる」(2章16~17節)と人に命じました。しかし、女のイメージは、園の木の実を食べることはできるが、「ただ、園の中央にある木の実は、取って食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないからと、神は言われた」(3章3節)いうものでした。神の言葉に人間の情報が混入して、彼女の知識は当初の神の命令とは違ってしまいました。

この違いの中で、女の脳裏に、神の命令に対して、「神は本当に、園のどの木からも取って食べてはいけないと言ったのか・・」という疑惑が生まれました。それは、「私たちは、園の木の実を食べることができる…」という知識との間で行ったり来たりしたことでしょう。「でも、ただ、園の中央にある木の実は、取って食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないからと、神は言われた…」と思い返しました。

ここで、死を体験したことも見たこともない若者であれば、「死んではいけない」を「決して死ぬことはない」にひっくりかえすことは簡単です(3章1~4節参照)。さらに、「それを食べると目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っているのだ」(3章5節)と後付けでその理由を思いつくに至ると、彼女には別の現実が見えてきます。

「女が見ると、その木は食べるに良く、目には美しく、また、賢くなるというその木は好ましく思われた。彼女は実を取って食べ、一緒にいた夫にも与えた。そこで彼も食べた」(3章6節)と書かれています。
二人の間で交わされた情報が、女の記憶により強く印象付けられたのは自明のことでした。神による人の創造に参与し、他者の命のために働く胎を授けられた女性は、常に他者の存在を本能的に意識してい
るところがあります。そこで、コミュニケーション能力が高く、ストーリーを共有することに長けています。

今では男女の差異は感じられませんが、人類が歴史を生き延びて今日のような発展を遂げた理由がそこにある、と言われているところです。人類はストーリーを共有することによって大規模協力を可能にしてきたのです。

イエスが洗礼者ヨハネから水で洗礼を受けられた後、共観福音書は、イエスが「悪魔から試みを受けるため、霊に導かれて荒れ野に行かれた」(マタイ福音書4章1節)という場面をそろって記載しています。当時は、まだ情報という言葉も概念もなかったと思いますが、神であるイエスは、創世記の場面と同じように、悪魔(サタン)を他者として捉え、それが人間の情報であることを知らせ、それと対峙する模範を私たちに示されたのではないでしょうか。

神であっても人の肉体を持つイエスも、この世に生まれたときから、さまざまな情報に接していたと思います。しかしイエスの記憶の中で、人間の情報が取り込まれて彼の知識となっていたとしても、ご自身
が携えて来られた御父の御心とは完全に区別されていたことが、荒れ野の場面の対話から分かります。

福音書は、イエスが多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた時、ペトロがイエスを脇へお連れして諫め始めた、と書いています。するとイエスは振り向いてペトロに、「サタン、引き下がれ。あなたは私の邪魔をする者だ。神のことを思わず、人のことを思っている」(マタイ福音書16章23節)とお叱りになったとあります。「人のこと」とは人間の情報のことです。

イエスは、御言葉を受け入れイエスの名を信じる弟子たちが、ご自身の言葉と人間の情報とを区別するように、格別に配慮し、訓練しておられたのではないでしょうか。ヨハネ福音記者が「光は闇の中で輝いている。闇は光に勝たなかった」と書いたのは、その体験があったからこそであり、その体験を共有する方法を、未来の信者たちのためにイエスが残さなかったはずはない―私はそう確信します。

(横浜教区信徒 Maria K. M.)

2026年1月31日

・「余白の想い」① イエスを教会の中に閉じ込め、古臭い言葉を使い続けていれば、キリスト教は滅ぶ

 今回取り上げる司祭は、私より一回り年上で、ある修道会に所属し、その修道会の日本管区長も務めた方であった。晩年はその修道会を離れ、教区司祭になられたが、数年前、帰天された。この方とSNSを通じ、色々と話し合う機会を得た。その話し合いは、一口に言えないほど広範囲にわたったので、ここでは、印象に残った事柄だけを記そうと思う。

 彼は終戦直後、貨物船に乗り、スエズ運河経由でヨーロッパに渡り、最初はスイスの大学で2年間程、研究し、その後、ローマのグレゴリアン大学で4年間学ばれ、神学の学位を取得されたとのことであった。スエズ運河では一泊し、フランス軍の傭兵が乗船してきたが、その中に後に俳優で有名になったアランドロンがいた、という。

 それはさておき、彼のグレゴリアン大学での研究テーマはトマス・アクィナスの「神論」だった。だが、当方はトマスには疎く、また、好きなタイプではなかった。二日間にわたって議論したが、お互いの見解が異なり、話し合いは物別れに終わった。だが、「原罪」の意味については、どの様に解釈するか、日本人に理解されるにはどうしたら良いかなど、話し合った結果、最終的に「エゴイズム」という言葉で双方が納得した。

 この「エゴイズム」と言う言葉を「原罪」に適応した最初の人は、ユダヤ教の哲学者、M・ブーバーだ。それでも、「原罪」と「エゴイズム」は同義ではなく、どこか違うことも、互いに充分に理解していた。

 ここからは、私のあくまでも個人的な見解だが、「原罪」から当然なこととして問題になるのは、創世記の楽園物語に出てくる「神」だろう。この「神」は有神論の神であるが、「有」と言う文字を使えば、その対極の「無」と言葉が出てくる。要する「有神論」を主張すれば「無神論」が浮かび上がってくる。今から半世紀程前、この「有神論」の「神」は「失業」し、「賞味期限切れ」と主張したイギリスの神学者がいた。

 ある時、私の自宅前に数人の若者たち、中学生、高校生が何か円陣の様な形を作り、楽しそうに談笑にふけっていた。彼らに声を掛け、こう尋ねた。「どこまでも空を昇り、最後に宇宙の果てに達したとする。その時、宇宙の外側に神がいるのだろうか」と。まだ幼さが残る彼らは皆、「神はいない」と答えた。

 私が言いたかったのは、「神は、空高く、天上にいるのではなく、むしろ私たちの命の深みの中に見出されるのだ」ということだったのだが。第二次世界大戦の時、ヒットラーが台頭する前に、アメリカに亡命した、ドイツの神学者パウル・テイリッヒの言葉に、「神は、存在の根拠」がある。

 私たちは「原罪」というレンズを作り、それを通してイエスを見てきた。また「罪」とは、数百年にもわたって人間の生活を支配してきた教会が装備する主要な、そして、恰好な武器と言えるだろう。
この「原罪」に関して、カトリック教会もプロテスタント教会も共に真摯な議論をしてきた。

 その真面目な態度は称賛に値し、感心はするが、それは一言で言えば「無知」ゆえであろう。その無知がいかに信仰深く神聖なものであったとしても、無知はしょせん「無知」である。人間に与えられた知性なるものを尊重するなら、聖書を文字通りに受け取る前近代的な方法を乗り越えていかねばならない。

 伝統的キリスト教は、頑丈に出来た教会の中にイエスを閉じ込めてきた。信仰を表すために文字通りに解釈された、古臭くて役に立たない言葉を使い続けていては、結果として、キリスト教は滅びてしまうだろう。

 このコラムは以下の言葉を記して、ひとまず終わりとしたい。

 あまりにも完全で、開放的で、自由で、そして自分自身に正直であったがゆえに、人々は、「この人の命」を通して、自分たちの命に聖なる命がやってきたと確信するようになった。それが人間イエスである。神はキリストの内におられる。イエスと共に、この神を求めて新な地平を歩もうではないか。

(東京教区信徒 纐纈康兵)

2026年1月30日

・「神様がくれた贈り物」㉚「日本に生まれたからこそ、カトリックの信仰に導かれたのかもしれない」

 私がカトリックの洗礼を受けると決め、それを祖父母たちに報告する時、とても緊張したのを覚えている。それに対して、祖母は、宗教に対する考えを、私にこんなふうに話した。

 「頂上は同じなんだと思う。ただ、みんな同じ山をちがう道から登っているだけだから。おじいちゃんも、おばあちゃんも、『キリスト教も、仏教も、その他の宗教も、同じ頂上を目指していると思う』ってよく話すのよ」。

 それを聞いた私は、安堵した。許してもらわなければならない事柄ではないものの、私が信じるものを肯定してもらえたことが、とても嬉しかった。

 祖父母の家に泊まり掛けで遊びに行った日を思い出すと、二人は、朝起きてパジャマから服へ着替えると、神棚に向かって、頭を下げ、柏手を叩いた。そして、お土産に持ってきたお菓子を「まずは、仏さんにあげましょうね」と仏壇に供えた。散歩をした時には、道端のお地蔵さんに、そっと手を合わせていた。

 これらのことを、特別なこととして感じたり考えたことは無かった。ごく当たり前の一日として記憶している。

***

 約20年ほど前に、受洗の恵みに与り、朝起きて、十字を切ってから、一日を始めたり、食事の前に祈ったり、眠れない時に、ロザリオの珠をひとつひとつ数えたり……これらのことが、比較的すんなり私の身についたのは、祖父母が大いなる存在への敬意を示す様子が、ごく自然に生活の中に取り込まれていたからだ、と感じる。

*****

  日本の人口のうちカトリック信者は0.3%くらいしかいないらしい。また、多くの人が特定の信仰を持たない。その一方で、無神論者は少ない印象がある。日本においての信仰とは、特定の何かを信じてその教えの通りに動くことではなく、生活の中に溶け込んだ習慣のようなものに見える。日本には、霊性を感じたり信じる土壌が整っているように感じる。

 そう考えると、私が日本で生まれ育ったからこそ、カトリックの信仰に導かれたのかもしれない。主のなさることは、とても不思議で、素晴らしい!

(東京教区信徒・三品麻衣)

2026年1月30日

・「カトリック精神を広める」㉖ 勧めたい本紹介・9「完訳ドン・ボスコ伝」

 今月のお勧めしたい本は、「完訳ドン・ボスコ伝」テレジオ・ボスコ著,サレジオ会訳( 2011年1月31日初版、ドン・ボスコ社)。

 紹介しようと読み進めた本がまだ読了できず、どうしよう、締め切りまで間に合わない、と思い、本棚に立ったら、この本が目に付ついた。考えてみたら、今週末の31日はサレジオ会の創設者、ドン・ボスコの命日であることを思い出した。これは何かの縁だろうか。

 ドン・ボスコの伝記はいくつか出ている。自叙伝もあるが、この本は最新の資料に基づく、「平易な文章と劇的に表現する才覚」により書き上げられたものだ。一気に読ませる面白さがありながら、学術的に踏まえたドン・ボスコの生涯をしっかり描いている。

 サレジオ会はご存知のように、全世界に、130以上の国に、4,100ヶ所以上の学校、大学が設立されている。日本では1926年にチマッチ神父が8人の司祭を連れて来日して以来、全国12支部に、教会、学校、職業学校等が設けられている。この本では、子供を教育するサレジオ修道会をどのように立ち上げたのかを記しています。

 ”げんこつ”ではなく、愛をもって青少年に接するように、との聖母の諭しを、9歳の時、夢に見て以来、苦労して司祭になり、職も無く、悪に手を染める巷にあふれる青少年のために職業学校を設立して以来、亡くなるまでの生涯を描いている。

 奇跡も数多く掲載されているが、1つだけ紹介しよう。この奇跡を報告した学生は、ミサ中にドン・ボスコに告解をしている最中だったが、ミサが終わった後に、朝食用のパンを400人の子供に配る係をしていた学生が告解を聞いているボスコの所にやって来て、小声でこう告げた。「パンが12個しかありません。お金を払っていないので、パン屋さんがパンを届けてくれません」。ボスコは答えた。「分かった、残っているパンを集めてかごに入れておきなさい」と。

 奇跡を報告した学生は、それを聞いていて、ボスコが時々奇跡を行うことが知られていたため、好奇心もあって、事の次第を見ようと、ボスコが何をしているかを、そばで注視する。ボスコは、聖堂の後ろでかごを持ち、パンを配り始め、400人の学生に配り終わった後、籠には、まだパンが残っているのが見えた。そこで、近くに寄ってかごの中を見たら、なんと、まだ12個のパンが残っているではないか。

 仰天したこの学生、奇跡を目の当たりに見て、感動し、一緒にミサに来ていた母親に告げた。「家に帰らない、奇跡を行ったボスコと一緒にいたい。サレジオ会の寄宿生になる」と。そうして、彼はサレジオ会の司祭になったのだった…。

 横浜教区信徒 森川海守(もりかわうみまもる)(X:https://x.com/UMImamoruken HP:https://mori27.com

2026年1月30日

(読者投稿)「神」は、我々が意識しようとしまいと、最も深い所で無条件に赦し、愛し、守り、支えてくださる

 「大いなる神は、我々が意識しようと、しまいとに関わらず、我々の最も深い所で、無条件に許し、愛し、守り、そして支えている」-20世紀を代表するドイツのカトリック神学者カール・ラーナーの言葉である。

 我々は、日曜日を「教会に行って、祈りをささげる”脱世間”の日」とし、残りのウィークデーは会社や家庭で働く”在世間の日”というふうに分けて生活してしまう。これを端的に言えば、日曜日や黙想会の日々は”心の洗濯”の日、その他は”心が汚れ”ていく日といった具合だ。「脱世間」という縦糸と「在世間」という横糸がバラバラである。

 では、イエスはどうだったのか?彼は一人で山の奥にひきこもり、すべて生きとし生けるものと共に、一晩を祈られた事がよく描かれている。例えば、マルコ福音書6章46節、ルカ福音書5章15~16節、6章12節などだ。。イエスの生涯は「脱世間」という縦糸と「在世間」という横糸が、見事に一つに織りなされていた。

 だが、21世紀に生きる我々にとって、この現実世界はあまりにも忙しく、心を騒がせる事が多すぎる。この様な現実を前にして「神に祈る」とはどの様なことだろうか、と、ふと思う。
余談になるが、以下をお読みいただきたい。

 先日、友人が、久しぶりに尋ねて来た。なんでも、一流の大学を出て、会社勤務も終わり、退職した、とのことであった。彼は私に「神」について10以上の質問をし始めた。私はその質問に「違う」、「いいえ」、と答えたり、「解らない」と言ったりすると、「それなら、神を信じていないのですね」と彼は聞いた。私が、「いや、神を信じている」と答えると、友人は啞然とした顔をした。

 しばらくして、友人は「それって、どいうことですか」と、怪訝そうに尋ねてきた。私は、彼に、「君の質問はすべて言語化されており、日常の世界で言われているものだ」と答え、次の様に説明した。「君の質問は、いわゆる『表』の世界の事柄であり、『裏』の世界には、全く無頓着だ。君の質問のすべて事柄には『裏』の世界があり、その裏に『神』が張り付いているんだ」と。彼は不思議そうな顔をして「そういう考え方があるんですね」と頷いていた。

 話を元に戻そう。我々の生活、日常の生活等は「信仰」と確実に結び付いている。これを簡潔に言えば、「生活即、信仰」、「信仰即、生活」と言えると思う。それなら「祈り」は即、我々の「現実生活」と不即不離の関係にある。 「現実生活」即、「祈り」、「祈り」、即「現実生活」であろう。

 ここで、冒頭のカール・ラーナー(Karl Rahner)の「超自然的実存規定」を思い起こしていただきたい。なお、「即」というこの「語」については、またの機会にお話しする。

(東京教区信徒 纐纈康兵)

2026年1月10日

・Sr.阿部の「乃木坂の修道院から」⑳聖書から元気をもらい、巷でイエスと出会いながら、新年も命いっぱい生きて行こう!

   謹賀新年!

 冬のクリスマス、やっぱりいいですね。新年を祖国で迎え、主の摂理に感謝しております。

 神様が人となって誕生された出来事に、ことさら感動するクリスマスを味わいました。「言(ことば)は肉となって、私たちの間に宿った」(ヨハネ福音書1章14節) - 神が見ることができる存在になられた。「あなたがたは、産着にくるまって飼い葉桶に寝ている乳飲み子を見つける。これがあなたがたへのしるしである」(ルカ福音書2章12節-羊飼いたちは「乳飲み子を探し当てた」(同16節)との福音の言葉が身近かに感じられ、これまでに出会った人々が止めどなく脳裏に浮かんできました。

 歩道橋階段下や公衆電話ボックスに横たわる真っ黒い手足のおじさんたち、早産で死んでしまった赤ちゃん、末期のエイズ患者さん達、ホームの寝たきりの病人、希望の洗礼を受け出所し日本に帰る寸前亡くなり火葬場で見送った人… タイでの30年の間に出会い、関わった人々が、飼い葉桶のイエス様と重なり合って思い浮かびました。

 神様がベトレヘムに誕生され、人としての命を生きて慈愛を示され、「この最も小さな者の一人にしたのは、すなわち、私にしたのである」(マタイ福音書25章40節)と教えてくださり、ご自分と同一視されたから…。喜び悲しみ、痛み飢え渇き、人々に触れ癒されたイエス様、人となられた神様、すごいことです。これぞ正にAnazing Grace !です。

 垢まみれに汚れた人々に触れた自分の手が、イエス様に触ったようでした。私を見つめるきれいな輝く目、胸の中で今も星のように光っています。出会ったその日はルンルンで本当にうれしかった。

 「神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めの献げ物として御子をお遣わしになりました。ここに愛があります」(ヨハネの手紙1・4章10節)。

 ご降誕の出来事は、天地創造の神様の一番の傑作だと思います。神様が赤ちゃんになって誕生、それもお母さんのマリア様から、ヨゼフ様に守られて… 心憎い神様のなさり方、なんともうれしく、胸が熱くなりますね。聖書の物語をじっくりと味わって元気をいただき、巷でイエス様と出会いながら、2026年を命いっぱいに生きていきましょう。

(阿部羊子=あべ・ようこ=聖パウロ女子修道会会員)

(「カトリック・あい」:聖書の引用は「聖書協会・共同訳」による)

2026年1月7日

・パトモスの風 ⑦ヨハネ福音書は新約の司祭職をどう伝えているか

 イエスが言われた「私の教会」(マタイ福音書16章18節)は、十字架の下に立った3人のマリアとして誕生することになりました。

 アッシジの聖フランシスコは、自身の視覚を捉えたサン・ダミアーノの十字架から受けたインスピレーションを、その後の行動につなげていきました。彼は、イエスの十字架のかたわらに誕生した教会の召命を、どのように受け取ったでしょうか。それは現代の私たちに、どんな関りをもたらすのでしょうか。はっきりしていることは、サン・ダミアーノの十字架には、「ヨハネ福音書と黙示録の相が現れている」ということです。

 ヨハネ福音書のイエスの十字架のかたわらの場面で、イエスがご自分の母と「愛する弟子」を親子の絆で結ばれたのは、前晩に、イエスが使徒たちの前でご聖体を制定され、その御業と共に「私の記念としてこのように行いなさい」という言葉によって、使徒たちに新約の司祭職を与えたからです。イエスの母は、そのことの公のしるしとなった、と考えられます。

 それはそれほど唐突な発想ではありません。イエスの母マリアは、祭司ザカリアの妻でアロン家の娘の一人エリザベトの親類でした。旧約の祭司の一族の血筋にあるマリアのもとに、「聖霊によって宿られたイエスが、御父のもとから新約の司祭職を携えて地上に来られた」と考えても、不自然ではありませんし、私たちの教会はその初めからイエスの母を聖霊の浄配と捉えていました。

 フランシスコも、その言葉を自身の祈りに用いました(「アシジの聖フランシスコの小品集」(庄司篤訳、聖母の騎士社)P155参照)。「聖霊の浄配」と言われたイエスの母は、新約の司祭職のしるしであり、新約の司祭職は、永遠に聖霊の浄配なのです。しかし、ヨハネ福音書には、イエスの母の名はありませんし、愛された弟子の名もありません。また、使徒という言葉がなく、弟子という言葉で通しています。ここには、何か事情があるのです。私は、ヨハネ福音書は、新約の司祭職に特化して書かれたのではないかと考えています。そこで、わざわざ聖体制定の場面を書かなかったのです。

 聖体制定の御血に係る御言葉が、旧約の祭司職の伝統に抵触するのかもしれませんし、共観福音書がそろって書いていても、ヨハネ福音書が書かなければ、聖体制定の重要性が曖昧になって、迫害者の視線に触れずに済むかもしれません。しかし信者が気づくように、最期の晩餐の場面を過越し祭の前に日をずらし(ヨハネ福音書13章1~2節参照)、その間に、共観福音書がそろって書いた聖体制定の日が含まれていたことを暗示した・・とすれば、そこでヨハネ福音書が書いたイエスの洗足の行為には、はっきりとした意図があったに違いありません。

 ヨハネ福音書には、他にも知りたいことがたくさんあります。そこで、1章から始めて、気になる箇所をピックアップしながら、そこに映しだされるイメージがどのように新約の司祭職に関わっているか、探求してみようと思います。ゆっくりと追っていくなら、だんだんとイエスの母の役割や、ヨハネ福音書が書かれた目的も、具体的にもっとよく分かるようになるのではないかと思います。

 1章の冒頭の句は、「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった」(1章1~2節)とあって、イエスが言われた「私と父とは一つである」(10章30節)ことを表現しています。これに続く「万物は言によって成った。言によらずに成ったものは何一つなかった」(1章3-4節)には、御父の御心をすべて成し遂げられる御言葉イエスの姿が見えています。イエスも、「なぜなら、私は自分勝手に語ったのではなく、私をお遣わしになった父ご自身が、私の言うべきこと、語るべきことをお命じになったからである」(12章49節)と言われました。

 次に、「言の内に成ったものは、命であった。この命は人の光であった」(1章3-4節)とある「命」は、イエスが、「父が、ご自身の内に命を持っておられるように、子にも自分の内に命を持つようにしてくださったからである」(5章 26節)と言われた「命」のことだと思います。人となった御言葉イエスが、ご自分の内に持った命は、洗礼者ヨハネが、「私は、霊が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た」(1章 32節)と証ししたように、聖霊の働きであり、この証しは、同時にイエスが、人となられた地上でも、「私はある」と言われた三位一体の神としておられることを証ししたのです。

 この後でイエスは、「命を与えるのは霊である。肉は何の役にも立たない。私があなたがたに話した言葉は霊であり、命である」(6:63)と言われました。人に「命を与えるのは霊」です。神でありながら地上にお生まれになり、霊において何の役にも立たない肉の人となったイエスに、聖霊が降ってとどまることで、イエスの語る言葉が「御言葉として生きるものとなった」ことを言い表しておられます。その時イエスの話された言葉は、聖霊が共に働かれ、命を与える言葉となっていました。御言葉が人となられたイエスのこの姿は、聖霊が降臨された後、聖霊と共働するすべての信者のモデルのようです。

 フランシスコも「全キリスト者への手紙Ⅱ」 の初めに次のように書きました。「私は、すべてのキリスト者のしもべですから、すべての人に仕え、わが主の香り高い御言葉を伝えなければなりません。それで、体の病気と弱さのため、一人びとりを親しく訪ねえないことを心のうちで考え合わせ、皆様にこの手紙を送って、御父の御言葉にまします私たちの主イエズス・キリストの御言葉と聖霊の御言葉-「霊であり、命である」御言葉-を伝えようと決心いたしました」(「アシジの聖フランシスコの小品集」P77~78参照)。

 「光は闇の中で輝いている。闇は光に勝たなかった」(1章 5節)とある「闇」とは、人間の情報や知識のことです。聖霊の働きは光になります。聖霊は、御言葉に命を注ぎ生きるものにして私たちに与え、また、私たちからその御言葉を引き出すことによって、私たちを光で照らし、「言の内に成った命」を持っていることを実感させてくださいます。ヨハネ福音書の1章1~5節は、三位一体の神のイメージを伝え、とりわけ聖霊について教えています

(横浜教区信徒 Maria K. M)

2026年1月3日

・愛ある船旅への幻想曲(59) 神の愛で満たされた信者が集う教会こそ, 本物の「イエスの教会」のはずだが…

     2025年クリスマスおめでとうございます! 2026年新年おめでとうございます!

     コラムを掲載していただいていることに感謝しかない。そして、私の意見や感想が的確であったかどうか疑問であり申し訳なく思っている。私なりにクリスチャンとして綺麗な言葉をいくらでも選び書き記すことはできるが、それは私にとっては偽となる。全てに本物思考の私にとって自分が偽物(者)になることはできないのである。

    2025年後半、私は、ある政党の勉強会に参加しながら、カトリック教会の“シノドス流(?)の教会”の勉強会にも参加してきた。日本そして教会は、どこに向かうのか。教会は社会をどこまで理解しているのか。

     政治と宗教は、人間が生きるための方向性を示す組織と私は思っている。何の組織であれ、トップに立つ人間、肩書を有する人間によってその組織は社会で評価されるだろうが、政治と宗教も例外ではない。

    私たち平(?)信徒のほとんどは、カトリック教会になんの問題意識も持たず、「右に行きなさい」と言われれば、右に行く。いや、「今日からは左に行きなさい」と言われたら即刻、左に行く。そこには疑問も抵抗もない。良き方向転換ならばそれでいいのかもしれないが…

    私が持つ教会への疑問は、身近な教区小教区の現状からであり、全てのカトリック教会には決して当てはまることではない。

    先日、某補佐司教と某宣教会総長と初めて出会い、まともな人間の聖職者の存在があることに安堵した私である。女性信徒たちの熱烈歓迎?にも安定の対応であった。

    「教会とは?」と、問い続けた私に答えが出た。この答えを天に召された2人の司教方に言えばどんな反応があるだろうか。

     今日、フランス人のオルガニストの若者と教会について話し合った。彼と私の意見は一致した。彼は今、ドイツを拠点に活動しているからドイツの若者事情からも出た答えである。

     教会に社会にはない居心地の良さを求めることは大事なことである。教会もそのような人々のためにあるのだろうが、信徒は社会で生きねばならない。イエスも人間として社会で生きた。

    教会の状態を考えた時、教会で指導的立場にある人たちの責任は大きい。聖書を熟読し参考文献や本を山ほど読むことはお約束で、指導者自身が本物の愛を実感し、人間としての経験を積み、四苦八苦しながら社会で生きていることが最低限必要であろう。なぜならば神であるイエスの教えは無限であり、そこには愛がある。数学を教えるようにイエス=愛を教えることはできない。

   教会には擬似的満足だけの状態があまりにも多いが、愛はそうであってはならないはずだ。愛は本物でなければ虚しいだけだろう。本物の愛を得た時、そこに神の愛があることを知る。神の愛で満たされた信者が集う教会こそ, 本物の「イエスの教会」だろう

 2026年が皆さまにとって良き年となりますようにお祈りいたします。

(西の憂うるパヴァーヌ)

2025年12月31日

・神様からの贈り物㉙カレン族の村の教会で、マルサと「キリスト」の前に立った時、私の道は決まった!

 明けましておめでとうございます! 毎年1月、私は、20歳の時に訪れたタイ北部、カレン族の村での出来事が思い出し、感謝でいっぱいになります。ここでいただいた豊かで瑞々しい体験は、「これさえあれば、どんな苦難でも乗り越えられる」と思えるほど、大切なものです。

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 私の現地でのホームステイ先は、教会のすぐ近くにある家でした。その目の前に、「マルサ」という名前の女性がいました。夫と、2歳くらいの娘さんの3人家族でした。黒いふわっとした髪を、いつも後ろでひとつに束ね、私よりも頭ひとつ分、背が高かった。痩せてはいるものの、がっしりとした体で、私が日本から持ってきたドラムバッグを、ひょいっと持ち上げ、ホームステイ先まで運んでくれました。拙いタイ語で、彼女が私と同じ二十歳だと聞き出しました。

 カレン族の村では、家に来た人に食事をしてもらうことが、カトリックにおける「祝福」と同じ意味合いを持つのだそうです。祝福を断るわけにはいかない、という思いで、招かれれば、必ず一口だけでもいただきました。マルサの家でも、白いご飯、野菜炒め、魚の缶詰など、ご馳走を出してくれました。

 マルサは、私に、村のあちこちを案内してくれました。たくさん歩き、私は何度も転び、その度に、二人でいっぱい笑いました。

 いちばん印象に残っているのは、夕暮れ前の時間に、マルサと教会で過ごした時のことです。木造で簡素な造りの教会には、電気がなく、既に薄暗かったです。マルサが私の手を取り、左側の壁まで連れて行くと、「イエス・キリスト」と静かな声で言いました。目を凝らして見てみたら、確かにイエス様のご絵が貼ってありました。当時の私は、まだ信仰を持っていませんでした。不思議な気持ちが半分、厳かな気持ちがもう半分あり、彼女のとなりに立っていました。

 村にいた最後の日、マルサは家の前で待っていてくれました。私の大きなドラムバッグを指で差し、「持ってあげるよ」というように笑いかけました。私の肩に食い込む重さのドラムバッグを、慎重に渡しました。マルサはそれを、ひょいっと軽いものでも持つように、肩にかけ持ち上げました。もう片方の手で、私と手を繋ぎました。

 帰りの飛行機では、マルサの、笑い声と「イエス・キリスト」と静かな声の両方が、思い出されました。彼女との時間は、9割以上が笑って過ごした時間だったのに、その静かな声を忘れることができなかったのです。

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 あの日、マルサと二人で並んでイエス様のご絵の前に立っていた時には、もう私の前に道が整えられていたのだ、と今、振り返ります。神に感謝!

(東京教区信徒・三品麻衣)

2025年12月31日

・カトリック精神を広める㉕ 勧めたい本紹介・8 デイヴィッド・コノリー著「天使の博物誌」

 今月のお勧めしたい本は、デイヴィッド・コノリー著「天使の博物誌」 (佐川和茂・佐川愛子 翻訳、 1994年12月20日初版、三公社)です。

 本書は、天使に関する今昔の珍しい考えやイメージへと読者をいざなう入門書で、多くのカトリックやユダヤ教、イスラム教、プロテスタント等の歴史的資料と筆者のアンケート調査や聞き取りから成っている。
旧約聖書では、アブラハムに現れた3人の旅人が、年老いた妻から、海の真砂に及ぶほどの子孫が生まれる事を告げた逸話や、新約聖書では、聖マリアに現れ、処女のまま、キリストが生まれると受胎告知した大天使聖ガブリエルが有名であるが、その他、絵画に表現された翼や光輪がいつからそのように表現されるようになったかなどの考察もある。 聞き取りからは、ある信仰のあつい人が、金縛りにあって、汽車に引かれそうになった時、強力な力で突き飛ばされて助かったのは、天使のおかげではないか、との話など盛り沢山に集められている。

 この文章を書いている筆者も、数十年前、居眠り運転でガードレールを突き破り、水田に落ちて車がひっくり返ったが、傷一つ無かった。それは、天使のおかげ、と今でも信じている。大怪我の可能性もあったし、下手したら、登下校中の学生にぶつかって、とんでもないことになっていた可能性もあったのだ。この事故では、警察がやってきても、おとがめなしだった。車を借りた市民団体が車両保険に入っていたため、全損にもかかわらず、数万円払っただけで済んだ。

 本書で面白かった逸話を1つ紹介しよう。6世紀のスペインの大司教、聖イシドールの青春時代の話である。農場労働者をしていて、毎朝ミサに出かけていたが、仲間のうちの一人が、農場主に「彼がさぼっている」と告げ口をした。農場主がそれを確かめようと農場に出かけたところ、”3つの鋤”が畑で作業していた。1つは聖イシドールが、もう2つは彼を手伝う2人の天使が使っていた…

 横浜教区信徒 森川海守(もりかわうみまもる)(X:https://x.com/UMImamoruken HP:https://mori27.com

2025年12月31日

(読者投稿)第二バチカン公会議から約60年が経って…教会は変われるのか?

 教会は変われるのか-以下に記した事柄は、その一端を簡潔に示したものだ。従って、お読みになる方はこの事を心に留めていただきたい。

 第二バチカン公会議から約60年の歳月が過ぎた。日本のカトリック教会は、何が変わったのであろうか。私の記憶の中にあるのは、ラテン語のミサが日本語に変わったくらいである。本質的に何も変わっていないと思う。何故だろうか?

 カトリック教会の教理・信条等は、大まかに言えば、アウグスティヌス(416~443)とトマス・アクイナス(1225~1274)の影響下で作られた、と明言しても誤りではないであろう。トマス・アクイナスはアウグスティヌス神学を取り入れ、同時にギリシャの哲学者アリストテレスの方法論に依拠し、膨大な「神学大全」を著した。この神学大全が第二バチカン公会議まで、神学校はもとより、教会の「聖教」として君臨してきたが、この公会議の頃から「神学大全」を以前の様に「教会の宝」とはしなくなった。

 今の時代、多様化はもちろん、物事の変化のスピードは物凄く早く、あらゆる事柄が様変わりしている。この変化の時代は、人間の心にも大きな影響を与えている。

 日本のカトリック教会は、こうした激しく変遷する時、今なお、「13世紀のトマス・アクイナス」を拠り所にしているのではなかろうか。彼の神学にはもはや新しい地平を開くものは何もない。スイス生まれの高名なカトリック神学者、ハンス・キュンクは大作『キリスト教、本質と歴史』(日本語版は福田誠二訳、教文館刊)で語っている—「この時代の地平を開いた神学者はカール・バルトであり、今、私たちはその地平の入り口に立っている」と。

(東京教区信徒 纐纈康兵)

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編注

*ハンス・キュンク=カトリックの改革派神学者。教皇庁立グレゴリアン大学で神学や哲学を学び、その後もパリソルボンヌ大学で学び続けた。1960年に独テュービンゲンのエバーハルト・カール大学テュービンゲンの神学教授に。1970年ローマ教皇無謬論に異論を唱え論争を巻き起こし、この影響でカトリック神学を教える資格を剥奪されたたが、第二バチカン公会議後、司祭の独身制が強制されていること、教会が信頼を喪失していること、女性司祭が禁止されていること、そしてバチカンが”クレムリンのような状態”になっているとして批判を続けた。カトリック司祭、テュービンゲン大学教授であり続け、エキュメニズム神学を担当した。

*カール・バルト(1886-1968)=20世紀のキリスト教神学に革命的な変化をもたらしたスイスのプロテスタントの改革派神学者。その思想は、弁証法神学、危機神学新正統主義などと呼ばれ、世界のキリスト教関係者に多大な影響を与えた。ナチス台頭時には告白教会(ナチスが強要するユダヤ人追放政策への抵抗運動の中心となった教会組織)の理論的指導者として政治的にも大きな役割を果たした。影響は、世界中の神学界に及び、ブルトマン、ティリッヒと共に20世紀を代表する神学者として評価されている。ハイデッガー、西田幾多郎、滝沢克己などにも影響を与えた。

 

2025年12月11日

・Sr.阿部の「乃木坂の修道院から」⑲親しい僧侶との語らいを思い起しつつ…救い主イエスの誕生を祈る

 タイから帰省して長崎を訪れた折は必ず、筑後町の日蓮宗本蓮寺の山田完修ご住職を訪ね、熱き語らいの時を過ごしました。修道の道を歩む者として励ましをいただき、タイでの宣教のために「あなたのイエス様を知らせるために使ってください」と、幾度かドル札をご寄付いただくこともありました。アジア仏教界で役職を持っておられ随分旅行もなさったようで、タイの話もなさいました。

「阿部さん、あなたの神様は素晴らしい、相対して話し合うことができる」と、ご自身の神仏との関わりを話してくださいました。両の掌を立て、ゆっくりぴつたり合わせて合掌し「人と人は手を合わせ、共に助け合って生き、畏れ敬う心を持たねばなりません、一緒に働きましょう」と固い握手を交わしました。

 9年間の長崎勤務は、私の人生の貴重な出会いと体験の日々、信仰の根を深く日本の地に下ろさせてくれました。もちろん50 年のそれまでの人生の体験を含め、後の30 年のタイでの宣教の活力となりました。来し方に思いを馳せると感謝感動で胸が熱くなります。

 無作為に選ばれ宣教ビザが停止になり、総長から「あなたの祖国に帰っていいでしょう」と言われ、昨年4月、日本に戻りました。考えても見なかった出来事でしたが、神の摂理を実感し、新たな気持ちで自国の福音宣教に励んでいます。

 確かに、日本に帰って山田完修先生との約束を益々大切に感じるこの頃です。AI デジタル化、益々能率第一の社会になっている都会に住んで、タイの人々の神を畏れ敬う素朴な空気が懐かしく羨ましくも感じています。人間の魂が呼吸し羽ばたく祈りの次元を深くする事こそ、宣教者の普段の勤めだと強く感じています。見えないけれど確かに在るお方、イエスが人の世に誕生し生きて示して下さった慈しみ深い父なる神様、信仰の目で見つめ、掌を合わせ合掌しクリスマスを迎えたいと思います。

 皆さんの心に、愛と平和と喜びの救い主イエスの誕生を心よりお祈りいたします。

 Feliz Navidad!合掌!

(阿部羊子=あべ・ようこ=聖パウロ女子修道会会員)

2025年12月4日

・共に歩む信仰に向けて⑫ 司祭制度のゆくえ(その2)

 Garry Wills,”Why Priests? A Failed Tradition”、“What Jesus Meant”(Penguin Books)の紹介を続けます。

*『ヘブライ人への手紙』はイエスの死をどう見ているか

 『ヘブライ人への手紙』の9章,10章に、重要なことが書かれています。イエス・キリストは父なる神の御意志に従い、またご自分でも人類への愛ゆえに、進んで十字架死を遂げました。そこでご自分の血を流した体と心の全体がいわば「祭壇であり至聖所」だと言えます。そこは父なる神に直通しているので「天の聖所」とも言えます。愛ゆえにご自分の血を流したことが「永遠の贖い」となったのです。

 ですからキリストは祭壇であり、その上で屠られる「いけにえ」であり、捧げる相手は父なる神です。私たちが「イエスの御名によって」祈ることができ、それが父なる神に伝わるのは、イエスキリストが仲介者である、つまり「永遠の大祭司」となったからです。このように『手紙』でははっきりとイエスの死は「いけにえ」であると言われています。

*アンセルムスやトマス・アクィナスも『手紙』と同じように考えるどのように考えたかというと、人間の罪の贖いには、誰かの代理死、いけにえ、身代金などが必要であると。なぜなら、人は罪によって神の

 正義に反したのだから、また神の尊厳や名誉を傷つけたのだから、それに相応しい大きな身代金が必要である。それを払うことが出来るのは神に等しいキリストしかいない、だからキリストが十字架で贖罪死を遂げたのだといった考えです。イエスの死が「いけにえ」として理解されています。

 さらにトマス・アクィナスは、キリストはメルキゼデクの系統の祭司であるが、その系統に続けて他の祭司たちも犠牲を捧げることになるのだとしました。「他の祭司」とは、ミサという「いけにえ」を捧げる司祭のことです。

*「いけにえ」とは言えないイエスの生き方と死

 しかしながら、イエスは自分を「いけにえ」と考えて死んでいったのでしょうか。パウロ書簡でもイエスをいけにえだったとは言っていません(ヨゼフ・フィッツマイヤー)。罪のための「いけにえ」といった消極的な理解から離れて、先ほど『手紙』のところで述べたように、父なる神への愛と、人類への愛から進んで命を捧げていった「死」であったと理解すべきでしょう。

 なお、イエスキリストの生涯で特に重要なのは「受肉」であるとアウグスティヌスは言っているそうです。キリストは自らを謙虚に低くして、私たちの同伴者、仲間として共に歩んで死んでいく。人間の信仰の不足を癒すために受肉したと。

 受肉したキリストは、人類と連帯し、人間の仲間となって生き、十字架で死にますが、復活します。さらに、この復活によって彼に従う者たちを死から解放し、彼と一緒に父の元に導くことができる。イエスは私たちに結び付く(仲間となる)ことで、私たちを救います。アウグスティヌスは「死の親交における仲間」と言っています。このように、イエスと人類はきわめて親密な関係にあるので、その間に何かを介在させることは余計なことです。

 イエスと「イエスの体である信者たち」に介在してきたヒエラルキーと君主制(教皇君主制のこと)、司祭と教皇制といった封建的な形は、イエスとその仲間(兄弟たち)との友情・友愛を傷つける(侮辱する)ものであると、著者ギャリーは断言します。

*キリストは私たちの仲間(親友・同志)である

 人間の罪が贖われるためにキリストが代理死をしたというのは、身代金を払うこと、神を買収することです。これが主要な中世神学者の考えでした。そうではなく、アウグスティ
ヌスたちは、イエスは人類を癒すために、人類が神と調和のとれた関係を回復するために、信仰と愛を得るために来たのだと考えました。イエスはご自分に従う者を三位一体の内的な生命に引き入れてくれる存在です。なので、アウグスティヌスにとってイエスの行なった主要な奇跡は「受肉」でした。

 受肉は、私たちがどのように苦しもうと、私たちがびくびくしながら死ぬとしても、神はそこにいてくれ、神は私たちと共にいるということを意味します。『手紙』の影響が大きくて、人間の犠牲(いけにえ)を神が喜ぶという、法的で懲罰的な贖罪観が中世に広がりました。同時に、元々司祭なしで始まったキリスト教を、信徒の人生のあらゆる段階においても司祭を必要とするキリスト教に変えてしまったのです。すなわち人の誕生から死に至るまで、洗礼から終油まで、告解とエウカリスチアを含む7つの秘跡を授ける司祭に統治される宗教にです。

 「エウカリスチア(愛餐、感謝の祭儀)は神の民の祝いであり、贖いは信仰と愛を通してもたらされるのであって、代価を払って神の怒りを逃れることによってではない」という思想に改まるべきです。

 

*Priestly Imperialism(司祭帝国主義)-司祭による統治

 著者ギャリーは、伝統的な聖職者主義のカトリック教会の体制をPriestly Imperialism(司祭帝国主義)と呼んでいます。「司祭が支配者として統治する教会」というわけです。7つの秘跡の執行者は司祭です。秘跡は神から直接に由来するものとされます。教会では、司祭の働き、司祭の仲介なしでは神の恩恵は与えられない、とされてきました。

 しかし、パウロのコリントの信徒への手紙に見えるように、初期の教会では、種々の霊的賜物を持った人たちが奉仕していましたが、奉仕者のリストの中に「祭司(司祭)」はいません。

 中世になって、トマス・アクィナスはこのような預言や異言や癒しの賜物の奉仕よりも司祭は偉大である、なぜなら司祭によって授けられる秘跡は人を神の前に「義」とする恵みを授けるからだ、としました。神の正義、「義」を満たす者だけが神に愛されるのだ、とする考え方です。「キリストの受難(イエスといういけにえ)だけが、神の愛を受けるに相応しい者にする」という前提から、トマスは「すべての秘跡はキリストの受難に由来する」と言います。キリストの「いけにえ」だけが人を救うのです。ですから「司祭なしでは人は救われない」ことになるわけです。

 「洗礼の秘跡」について。

 このような考えから、「洗礼を受けていない人は、キリストに救われない」ことになります。宣教師が世界中に出かけて、とにかく先住民に洗礼を授けようとしたこともうなずけます。

 「改悛の秘跡(ゆるしの秘跡)」について。

 もしここに「死に至る罪」を犯した人がいた場合、英国国教会の司祭では―バチカンの考えによると―洗礼以外、”赦しの秘跡”など他の秘跡を行なうことができません。なぜなら英国国教会の司祭は、「ペトロからの使徒継承に基づいて有効に叙階された司祭ではない」からです。霊的生活は「司祭の助けなしでは維持できない」のです。なお著者ギャリーは、別の本で「歴史的に見て、カトリックの主張する使徒継承はフィクションにすぎない」と述べています。

 「婚姻の秘跡」について。

 結婚は11世紀以前は、特別にキリスト教的な儀式はなかったようです。「聖性や処女性のほうが価値が高い」とされていたので、司祭や修道士の召命のほうが上で、結婚は”第二級”の制度であるとされていました。それが後に諸事情によって、「婚姻は男女両者の合意によって有効となるが、それが秘跡になるには、司祭の行為を通して聖化する恵みが与えられなければならない」とトマスは言います。

 「病者の塗油の秘跡」について

 今でこそ対象は「病者」となっていますが、7つの秘跡が制定されて以降、第二バチカン公会議までは「終油の秘跡」でした。命が終わりを迎える時に授けることで、その人の人生全体に渡って司祭による管理、統治が必要ということです。

 イエスが病人の癒しで油を使ったとは、書かれていません。ヤコブの手紙5章14節に「病人に油を塗って」というのはあります。でも「死が差し迫っている病人」とは限定されていません。授けるのは司祭ではなく、同信の兄弟や長老でしょう。9世紀になって初めて儀式化されたようです。しかしながら、病人の癒しのためなら、なぜ生命の終末に近くなるまで施さないのでしょうか。

 以上のように、秘跡は司祭による生活の統制のため利用されていました。司祭帝国主義と言われるゆえんです。

 

*「秘跡の中の秘跡」といわれる「主の晩餐」について

 本稿「その1」で申し上げたように、パンとブドウ酒を聖変化させるもの、そのために司祭がいる、一般信徒と司祭に階級差が生じる、といった秘跡が、後にミサと呼ばれます。ギャリーによると「主の晩餐」は「愛餐(アガペー)」だったようです。いわゆる「最後の晩餐」を原点として、そこから歴史的に「主の晩餐」やのちのミサが展開したと一般的には理解されていますが、そうではなく、たくさんの「主の晩餐」があったと見るべきということです。その中に「最後の晩餐」もある。

 福音書にはたくさんの食事や宴会の話があります。イエスが自分に従う者たちと一緒に行なっていた「食卓の食事」が「主の晩餐」であり、それは「神の国」の完成、終末の到来において食べる食事を前もって味わう、祝うことでした。もちろんキリストと結ばれていること、信徒皆が一つに結ばれていることを確かにし、喜ぶことのできる食事です。

 先にアウグスティヌスに関して述べたように、エウカリスチアは「キリストの体」、「頭であるキリストと信者たち」を意味するものであり、例えばヨハネ福音書のぶどうの木とその枝のたとえのようにです。
また本稿その1で述べたように、110年頃のものとされる『ディダケー』のエウカリスチアについての個所に「これは私の体である… これは私の契約の血である…」という、いわゆる「制定句」と言われるようになる言葉はありません。過去を想起・記念することと、終末時の約束された食事を待ち望むことの2点が食事、すなわち「主の晩餐」の意味です。聖書中の最後の晩餐の記事などから、後に展開していって「聖変化」という考えができますが、初期教会は終末論的な食事だったのです。

 「最後の晩餐のときイエスはエウカリスチアを制定したか?」という問いに、ポール・ブラッドショーは、「否」と答えている、とギャリーは言います。

*ギャリーの著書全体を要約すると―

 +唯一永遠の仲介者キリストがいるので、他の司祭的な仲介者は不要である。

 +同じ食事をして共に生かされる平等な立場の信者(信徒)の集団がキリストの意図した教会である。

 +聖職位階制や教皇制、司祭による秘跡は、信徒の自由を束縛し、統治しようとするものである。

*最後に・・・

 「私の食べ物とは、私を遣わした方の御心を行なうことである」(ヨハネ福音書4章34節)とありますが、死後につながる命の食べ物はそういうものだろうと思います。

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 これまで拙稿をお読みいただき、ありがとうございました。2023年7月号から始めましたコラム連載はこれを持ちまして終わりにさせていただきます。これまでのご愛読に、深く感謝申し上げます。蛇足ですが、2020年頃、ある教区報に「差別主義と平等主義」という題で連載していました。「司祭の誕生」と「主の晩餐の変遷」が並行していることを論じたものです。ご希望の方は yamanohazakura@gmail.comにご連絡ください。メール添付で送信いたします。

 シノドス的、平等主義の教会を夢見つつ‥‥。 (西方の一司祭)

2025年12月4日