2019年12月16日にタイのバンコクにあるタマサート大学で開催された「独裁政権に反対する」集会で、会見する学生活動家たち(写真:EPA / NARONG SANGNAK / MaxPPP)
このことろ東南アジアでは”専制主義”がタイ、カンボジアからベトナム、フィリピンまで広がり、そうした中でこれに異議を唱える人権・民主活動家、野党政治家、ジャーナリスト、ブロガーなどが行方不明になったり、死亡したりするケースが増加している。
ラオスの社会活動家で農民のソンバス・サンフォン氏は2012年のある日、首都ビエンチャンの路上で警察に拉致され、車両に押し込められたのを最後に、二度と連絡がつかなくなっている。政敵を捕えることが、一党独裁の軍事政権の汚れ仕事を担当する治安組織の連中にとってのベストと見なされていた時期だった。
それは東南アジア諸国連合(ASEAN)を構成する10か国にぴったりと合う、象徴的な出来事だった。これらに国々は、互いの国内での出来事に口出ししない、意気地の無い政策を、良しとしていたからだ。
2010年に発効した強制失踪からのすべての者の保護に関する国際条約 (略称=強制失踪防止条約=ICPPED)は、「強制失踪」を「 国の機関または国の許可、支援もしくは黙認を得て行動する個人もしくは集団が、逮捕、拘禁、拉致その他のあらゆる形態の自由をはく奪する行為であって、その自由のはく奪を認めない、またはそれによる失踪者の消息もしくは所在を隠蔽することを伴い、かつ、当該失踪者を法の保護の外に置くもの」と定義しており、「強制失踪」させられた人々は、法律に保護されることなく、拷問と超法規的処刑に直面することを示している。
国際人権連盟によると、1980年から2014年の間に、ブルネイとシンガポールを除くASEA8か国で、1065件の「強制的または非自発的な失踪」が発生した。このうち875件は未解決のままで、大半はフィリピン、インドネシア、タイで起きたものだ。
そして最近、新たな懸念すべき傾向が出てきている。それは、安全な避難場所を求めて他国に逃れようとした人々の行方不明が目立っていることだ。
ラオスに渡った3人のタイの政治活動家-君主制反対を唱えていたスラチャイ・ダンワタナヌソンと支援者のプー・チャナとカサロン-は、同僚の報告によると、2018年12月に首都ビエンチャンで姿を見せたのを最後に、行方が分からなくなった。そして、ある日、タイ国内のメコン川で、手足が縛られ、判別できないほど顔を破壊され、コンクリート詰めにされた二つの遺体が見つかり、人権団体のHuman Rights Watchに対して、タイ当局が遺体から摘出したDNAがプー・チャナとカサロンのものと一致した、ことを明らかにした。
Human Rights Watchは半年前、「強制失踪者」のリストに、ラオス出身の難民活動家を追加した。オド・サヤホンが最後に生存を確認されたのは昨年8月26日、バンコクの自宅だった。彼はFree Lao groupと連絡を取っていた。このグループは、ラオス国内の人権と民主主義の動きを支援する平和的な団体で、バンコクと近隣を活動拠点に、ラオスからの移民労働者と亡命中の活動家で構成されている。
*証人も危険な目に
ASEAN加盟国のうち、ICPPEDを批准しているのはカンボジアだけだが、そのことは土地解放活動家メウン・メアン氏の助けにはならず、軍に逮捕された。彼の親族は、兵隊たちが昨年の初めに彼を捕えた際、銃床で殴りつけたのを知っているが、それ以後の消息は不明だ。
タイで失踪した弁護士ソムチャイ・ニーラパイジットの妻で、ラモン・マグサイサイ賞の受賞者でもある、元タイ人権委員、アンカナ・ニーラパイジット女史は、最大の問題は、ICPPED条約がタイの国内法に取り込まれていないことだ、と指摘する。
「タイの最高裁判所は、ソムチャイの家族である私たちは、彼が殺害あるいは傷を負わされた証拠がないので、裁判で彼の代わりを務める資格がない、と判断しました」と彼女は最近、バンコクで開かれたソムチャイ氏失踪問題に関するフォーラムで語った。「夫が犯罪者たちを訴追した人物だというのは皮肉なことですが、『非自発的な失踪』は『犠牲者が存在しない』という理由で審理が行き詰ってしまいます。そして、証人たちは、脅迫されるのを恐れて証言することに二の足を踏みます」と訴えた。
ラオス政府は、ICPPEDは「非常に複雑でユニーク」であり、条約を批准する前に「関係者の意識と能力を高める」必要があると主張ている。 タイの著名な人権弁護士で同国の君主制を批判していたパラウェット・プラパヌクン氏も「失踪」している。彼は、バンコクの自宅が2017年4月に治安部隊の襲撃を受けて以来、姿が消えたまま。他の5人、ダナイ・ティプスヤ、パニート・ジトゥンクルシリ、サラン・サマンタラット、ワンナチャイ・ケウサネナイ、チャチャワン・ニムヌアンも、バンコクで逮捕されて以来、安否不明だ。
*ミャンマー
デジタルの時代は、人々を政治的に組織化することを可能にした。スマートフォンとインターネットに力を得、希望と大志を抱いた若い新世代の有権者は、既存の権力構造を脅かしているように見える。
だが、夢半ばにして、それは失望に変わった。例を挙げれば、ミャンマーでは、アウン・サンスーチーと公正で開かれた国にするという彼女の約束に、若者たちが希望を抱いたが、ロヒンギアの住民たちが大虐殺される中で「強制失踪」させられた人の数を計るのは不可能ー約束は”誤魔化し”だったのだ。
*フィリピン大統領の”大量虐殺”
フィリピンのドゥテルテ大統領は、民主主義を大量殺人の”ゴム印”に変え”、何千人もの麻薬中毒者と、麻薬売人を殺害した。文書化された、ドゥテルテ政権下で強制失踪させられたことが確認できた23人のうち、4人は生存していたが、10人は死体で見つかり、9人は消息不明だ。
*カンボジアとマレーシアも
カンボジアのフン・セン首相は、政権を固め、共産国のベトナムとラオスとともに自国を一党独裁国家に戻すに当たって、反政府活動と自主報道を禁止した。
マレーシアで3月1日にマハティール・モハマド首相が追放されたが、これは、ナジブ・ラザク政権下の10年間の酷い腐敗政治の後に実施された政治改革に、恐ろしい結果をもたらす可能性がある。ナジブ政権下では、強制失踪は珍しいことではなかった。
以上のような東南アジアで起きている事態は、1980年代の南米での独裁政治を連想させる。人権に関して緩い政策をとる西側との多国間貿易協定の下で、短期的に変わる可能性は低い。貿易は経済を忙しくさせ、政治家の権力を維持させ続ける。急速に人権を後退させる。
新型コロナウイルスの広範な蔓延は、中国と東南アジアの中から外に向かうサプライチェーンが壊れ、企業に原料の地元調達を強制し、民主主義政府の間で近年、人権に関して急速に撤退した国との関係について大幅な再考が促される契機となる可能性がある。
そして、それは西側の国々に、支配層に挑戦する人々の強制失踪が起きている地域に圧力をかけることを可能にするだろう。人権を政治的に優先する時が来ているのだ。
(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)
(注:LA CROIX internationalは、1883年に創刊された世界的に権威のある独立系のカトリック日刊紙LA CROIXのオンライン版。急激に変化する世界と教会の動きを適切な報道と解説で追い続けていることに定評があります。「カトリック・あい」は翻訳・転載の許可を得て、逐次、掲載していきます。原文はhttps://international.la-croix.comでご覧になれます。