祈りの意向

3月の教皇と日本の教会の祈りの意向

【3月の教皇と日本の教会の祈りの意向】

教皇の意向: 虐待の犠牲者のために

*教会のメンバーによって傷つけられた人々が、その教会の中で、痛みと苦しみに対する具体的な方策を見出すことができますように。

 教皇フランシスコは、この祈りの意向について、ビデオを通し次のように述べられた。(2023.3.2 バチカン放送)

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「虐待、特に教会のメンバーによって行われた虐待を前に、赦しを乞うだけでは十分ではありません。赦しを乞うことは必要ですが、それだけでは足りません。赦しを願うことは被害者にとってよいことですが、被害者こそがすべての中心であるべきです。被害者たちの苦しみや心理的な損害は、答えを見出した時に、癒しが始まります。それには、彼らが経験した恐怖に対して償い、このようなことが二度と起きないように予防する具体的な行動がなくてはなりません。

教会は虐待の悲劇を、それがいかなる種類のものであっても、隠そうとすることはできません。それが家庭や、クラブや、その他の組織の中の虐待であってもです。教会は、家庭や社会において、その問題を解決し、明るみに出すことを助けるための、模範であるべきです。そして、教会は被害者の話を聞き、心理的に寄り添い、保護するための確かな場を提供しなくてはなりません。

祈りましょう。教会のメンバーによって傷つけられた人々が、その教会の中で、痛みと苦しみに対する具体的な方策を見出すことができますように」

 

日本の教会の意向:性虐待被害者のために

*無関心から解放され、被害を受けられた人たちが神の慈しみの手による癒やしに包まれますように。

 

2023年2月27日

【2月の教皇と日本の教会の祈りの意向】

*教皇の祈りの意向:小教区の教会のために

 (2023.1.30 バチカン放送)教皇フランシスコは、この祈りの意向について、ビデオメッセージで次のように述べられた。

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「小教区の教会に「ご自由にお入りください」という貼り紙をすべきではないか、と思うことがよくあります。小教区の教会は、身近な共同体であるべきです。お役所的でない、人間を中心に据え、そこで人が秘跡の恵みに与ることができる場所でなくてはなりません。小教区は、奉仕と寛大さの学び舎に戻る必要があります。疎外された人々に、また共同体の人、すべての人に常に扉を開いたものであるべきです。小教区は、ある種の社会的地位を保証する、一部の人々のクラブではありません。お願いします。どうか大胆であってください。私たちの小教区のあり方を皆で考え直そうではありませんか。祈りましょう。人々の交わり、教会的交わりを中心に据えた小教区の教会が、信仰と友愛の共同体として成長し、最も困窮している人々を招き入れることができますように」。

 

 

*日本の教会の意向: 難民のために

「難民の人たちが、困難の中にも将来に対する希望を持ち続けられますように」

2023年1月31日