■12月の教皇と日本の教会の祈りの意向
教皇の意向: 希望の巡礼者
*「希望の巡礼者」聖年が、私たちの信仰を強め、復活のキリストを生活のただ中で見出す助けとなり、私たちキリスト者を希望に満ちた巡礼者に変える力となりますように。
日本の教会の意向: 神学生の召命
*私たちの共同体の中から、神の呼びかけに応えて司祭を目指す新たな召命が発掘されますように。
*「希望の巡礼者」聖年が、私たちの信仰を強め、復活のキリストを生活のただ中で見出す助けとなり、私たちキリスト者を希望に満ちた巡礼者に変える力となりますように。
*私たちの共同体の中から、神の呼びかけに応えて司祭を目指す新たな召命が発掘されますように。
*息子や娘の死を悼むすべての親が、地域社会に支えられ、聖霊の慰めによって心の安らぎを受けることができますように。
教皇フランシスコは、この意向について、ビデオの中で次のように話された。(バチカン放送)
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「子どもを亡くしたご両親に何が言えるでしょうか。どう慰めたらいいのでしょうか。言葉すらありません。考えてみてください。一人の配偶者が相手を失えば、その人は男やもめ、あるいは寡婦となります。親を失った子どもは、遺児となります。言い表すための言葉があります。しかし、子を失った親に対しては、言葉はありません。それは、あまりに大きな苦しみのために、言葉もないほどなのです。
我が子より長生きすることは、自然なことではありません。子を失った悲しみはとりわけ大きいものです。慰めの言葉は、ありきたりで、感傷的で、余計であることがよくあります。当然、善意で語った言葉であっても、かえって傷を広げてしまうことがあります。
子を亡くした親たちを慰めるには、彼らに耳を傾け、愛をもって寄り添い、イエス・キリストがどのように苦しむ人たちを慰められたかに倣い、責任をもって、その悲しみに寄り添わなければなりません。 そして、信仰に支えられた親たちは、このような恐ろしい悲劇に見舞われた後に、希望のうちに生まれ変わった他の家族たちの中に、慰めを見出すことができるでしょう。
祈りましょう。息子や娘の死を悼むすべての親が、地域社会に支えられ、聖霊の慰めによって心の安らぎを受けることができますように」
*日本と韓国の司教が、互いの交流を通して信頼を深め、隣国の教会共同体として支え合っていくことができますように。