(2025.3.23 Vatican News Andrea Tornielli)
2月14日にバチカンを離れ、ジェメリ総合病院に入院した教皇フランシスコが、38日間の入院生活を終えられた。
88歳の高齢で両側肺炎と闘う教皇にとって、この数週間は厳しいものだった。 この間に医師団から出された報告書は、容態の深刻さ、危機的状況、複雑な臨床像を軽視するものではなかった。
しかし、この間ずっと教皇は、回復を願う多く人々の祈りに包まれていた。個人的な祈り、コミュニティの祈り、ロザリオや聖体拝領などだ。カトリック教徒やキリスト教徒だけでなく、他の信仰を持つ人々や宗教的信念を持たない人々からも、教皇への善意の思いや願いを送った。このような人々のために、今日の短い挨拶が望まれ、共有された。
長い苦悩の日々、私たちは教皇の心を共にした。3月7日、教皇が弱々しいお声で聖ペトロ広場に集まった信者たちと世界中の人々に語りかけ、彼らの祈りに感謝した時、私たちは教皇の速やかな回復を待ち望む気持ちを新たにし、祈り、そして感動し。3月16日の夕刻、私たちは初めて、病室の窓から撮影された画像ではあるものの、再び教皇の姿を目にすることができ、安心した。教皇は病院の10階にある礼拝堂でミサを共同司式した後、祈りを捧げられたのだった。
私たちは数週間にわたって教皇の容態を心配し、同時に、私たちに命を与えてくれた神の御心に対する信頼の気持ちを持ち続け、そして今日、再び教皇の姿を目にすることができた。バチカンに戻られたこの日、私たちは教皇から再び祝福を受けた。教皇は、病室から、人生のあらゆる瞬間が貴重であり、いつも私たちに問われる可能性があることを私たちに思い起させてくださった。苦しみや弱さは、福音の証しとなる機会となり得ること、人となられ、私たちと共に苦しまれ、十字架上の死を受け入れた主なる神を証しすることを、教皇は身をもって示してくださった。
私たちは、教皇が病室から、戦争がさらに不条理なものに見えたことを分かち合われたこと、新たな殺人兵器をもって軍備を増強せず、世界から武装を解除する必要性を私たちに気づかせてくれたこと、そして、今日もなお、脆く、壊れやすい平和のために、苦悩を祈りと捧げものとされたことに対して、感謝の意を表したい。
お帰りなさい 教皇!
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)