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(2017.2.15 Crux EDITOR John L. Allen Jr.)

教皇フランシスコに対する、使徒的勧告「愛の喜び」などをめぐる保守派からの批判の声が続く中で、欧、米、アジア、アフリカなど9人の枢機卿で構成する教皇顧問団が2月13日、教皇支持の声明を出した。その意図は立派だし、熟考する価値はあるが、他の司教たちに先例にならうように圧力をかける可能性も含めて、意図しない結果を招く可能性もある。
顧問団は、ホンジュラスのオスカル・ロドリゲス・マラディアガ枢機卿と米国・ボストンのショーン・P・オマリー枢機卿が代表を務めている。
一般論として、会社なら、経営責任者がトラブルに巻き込まれた時、誰かが、その人の指導力について〝全面的な信頼″を示す声明を出さねばならないことがあるだろう。仮に、会社の取締役会が社長に対してそうするとしたら、それは普通なら、社内でのスキャンダルか企業業績の落ち込みが起きた時だ。プロスポーツ・チームのオーナーが監督についてそうするなら、それはチームが弱くなっていることを意味する。だが、カトリック教会は一般企業でも、スポーツ・チームでもない。重要な点も含めて、多くの相違点がある-社長あるいは監督が解任されることはあるが、教皇はそうはならない。
それでも、カトリック教会の統治をするためのご意見番として教皇フランシスコが任命した枢機卿顧問団(C9)がこのような短い声明を出す必要がある、と判断したのは、おそらく、全く意味のないことではない。注意が必要なのは、この声明を教皇庁は日々の公報に掲載して発表することをせず、全世界の司教たちにEメールで発出したことだ。
声明は「最近のいくつかの出来事に関連して」で始まり、「枢機卿顧問団は、教皇のなさっていることに対して、全面的な支持を表明し、教皇の人格と威厳を全面的に固く支持し、護ることを確認する」と言明している。
「最近のいくつかの出来事」で、声明が何を指そうとしているかは明白だ。2月4日にローマ市内の至ることろに張り出された反フランシスコの張り紙、先週出回った偽のバチカンの新聞、そして、「教皇は、批判の声を抑えるために権力を使う〝弱い者いじめ″」と非難する保守派や伝統主義者の不満表明が目立っていること、である。
顧問団の一員であるドイツ・ミュンヘンのラインハルト・マルクス枢機卿は15日の記者会見で声明に触れ、「私たちはこのことを大げさなドラマにするつもりはなかったが、私たちが教皇を支持していること、教皇と共に歩んでいることを、改めて表明する時だと考えた」としたうえで、「この声明に対する反応は良好で、顧問団の意図を正しく受け止めていただいているようだ」と強調。さらに、「教会の中で議論はするが、それは正常な議論、緊張を伴うもの」「これからもそうしたことは続くだろうが、今の時期にカトリック教徒として、教皇に対する忠誠を確認することはカトリックの信仰、カトリックを信じる者にとって、大事なことだ」と念を押した。
明らかに、声明の意図は立派なものだ。教皇が非難を浴びていると感じた枢機卿たちが連帯を表明したいと望んだのだ。2013年2月に当時の教皇ベネディクト16世が辞任を表明した際、ウイーンのクリストフ・ションボルン枢機卿が「枢機卿たちが大事な時に、教皇をしっかり支えなかったのではないか」と声高に疑問を呈したことが、彼らの脳裏に、あったかもしれない。今回の声明は、多くの議論もなく迅速にまとめられたようだ。枢機卿たちが教皇を支えるか、支えないかというような議論するまでもなかったからだ。
だが、この声明がもつ潜在的な意味合いについて、考える意味はあるだろう。
まず、このような声明が、これまでも異論を唱えていた反フランシスコの人々に深刻に受け取られないかどうかだ。反フランシスコの動きが出始めた当初から、大半の論者は、このような動きはツイッターでのつぶやきか、何枚かのポスターによるもので、大きな社会運動とは程遠いのだから、大げさに反応すべきではない、という見方をしていた。
様々な世論調査の結果は、教皇フランシスコが草の根レベルで強い支持を受けていることを示しており、メディアでも教皇は極めて前向きな印象を与え続けている。ミサへの参加者、教会に対する献金などを見ても、教皇に対する反対の動きが広がるような兆候はこれっぽっちも見あたらない。そうしたことから判断する限り、揺り戻しの動きは毎度のこと以上のものではないし、深刻なものでもない。
次に、顧問団が、意識しないうちに、世界中の司教たちのグループに声明に従うように、この声明にならって教皇支持の声明をだすようにと、圧力をかけることがないだろうか、ということだ。
例えば今後、枢機卿全員が集まる会議が開かれる際には、このような声明を出すかどうかに、メディアの関心が集まり、出さなかった場合、なぜ出さなかったのか、誰が出すことに反対したのか、誰が賛成派で、誰が反対派だったのか、などと問い詰められることがあり得る。
あるいは、今度の米国の司教たちの会議が開かれる時に、メディアから、顧問団の声明にならうつもりがあるのか、教皇への忠誠を誓うのか、質問を受けるだろう。世界中の司教たちの会議で、あるいはアフリカやアジア地域の司教の集まりが開かれる時に、同じことが起きるかも知れない。
少なくともあり得るのは、今から1か月、誰もそのようなことをしないなら、顧問団の声明は無視されたということになり、彼らの目から見れば、当惑するような結果となるかも知れない。米国の司教たちが会議を開き、声明に近いような内容のことを言明しないなら、すでに米国の保守派の司教たちと進歩派の教皇の対立を書き立てている米国のメディアは、そのことを問題にするだろう。
教皇フランシスコが、教会の課題について判断する時に地方教会の声を確実に吸い上げる目的で枢機卿顧問団を設け、その枢機卿たちがそれぞれの地域の地方教会を代表しているから、地方教会が改めて何か言う必要はない、と言う人がいるかも知れない。
世界の教会、あるいはメディアがそのような見方をするかどうかは、まだ分からない。声明が時宜にかなっていない、あるいは適切だった、ということを示唆するものはない。だが、あなたが役者だったら、大舞台で演技をしている時に、次の幕について考える必要がよくあるのではないか。(翻訳・南條俊二)
(写真は、教皇フランシスコを補佐する枢機卿顧問団= CNS/Reuters/L’Osservatore Romano.)