(2016.12.22 Tablet クリストファー・ラム)教皇フランシスコは22日、毎年クリスマス前に開いている教皇庁諸機関の代表者たちとの集会での冒頭の挨拶で、バチカン改革を推進する決意を改めて表明。バチカンの伝統となっている「昇進の形をとった降格、追放」の廃絶を含む、推進のための12の原則を提示した。
教皇は挨拶の中で、さらに、「自己満足的な霊的改革という空虚な美辞麗句にうつつをぬかす頑迷さ」がもとになった、変化に対する「隠れた抵抗」、「悪魔にそそのかされ、伝統と批判と自己正当化の衣をまとった」悪意のある抵抗について言及。教皇は以前にも、教皇庁の”病弊”について強く批判していたが、この集会では、参集者にクリスマスプレゼントとして、イエズス会士のクラウディオ・アクアビーバ師が書いた「魂の病を癒す」と題する本を贈った。
集会には、(”抵抗勢力”の筆頭と目される=「カトリック・あい」注)米国のレイモンド・バーク枢機卿も参加していた。彼は先に、教皇が使徒的勧告「愛の喜び」で示した離婚・再婚者への聖体拝領に対する前向きな姿勢を批判し、公式に見直すことを要求する書簡を公開して物議をかもしているが、集会後に、教皇に短い挨拶をし、プレゼントの本を受け取った。
集会での挨拶で、教皇は、教皇庁で一般信徒、とくに女性が現在よりも多くの役割が与えられる必要がある(現在はすべての機関のトップが男性聖職者で占められている)とし、カトリックの普遍性をよりよく反映するように世界中の教会を代表する人々がローマで役割をもつようにすることを望んでいる、と述べた。
そして、改革は、カトリック教会の「活力」のしるしとして欠かすことのできないもの、とし、以下の12の原則を示した。
・個々の責任(個人としての回心)
・司牧的な配慮
・宣教精神(キリスト中心主義)
・明確な組織構成
・機能改善
・現代化
・節度
・(現場に近い教会、機関への)権限の委譲
・合議の重視
・寛大で包容力のある対応
・プロフェッショナルとしての自覚と意識
・漸進主義(識別力を備えた)
さらに、教皇は、何をおいても、教皇庁は野心と対抗心を排除した「強固な司牧意識」を持たねばならない、と強調。「教皇庁のあらゆる努力は、司牧と奉仕、信仰者の霊性によってなされねばなりません。なぜなら、それが、無益な野心と対抗心のあらゆる毒を消す薬になるからです」と語った。
現場の司教たちは何年もの間、ローマについて「社会の現場で働いている教会に敬意を払わない、傲慢で、非協力的なやり方で行動している」と批判してきたという現実を踏まえたうえで、「私たちは、自分たちが働いている現場で、まず第一に、日々出会う人々に対する強靭な司牧的感覚を養うべきです。誰も、無視されたり、間違った扱いをされた、と感じるようなことがあってはならず、誰もが良き羊飼いに愛情をこめて世話をしてもらっていると実感するようにせねばなりません」と説かれた。
また教皇は、教皇庁改革は〝(顔のしわをとる)美容整形〟のようなものではなく、継続作業だ、と強調し、「カトリック教会で私たちが心配せねばならないのは、〝顔の(表面の)しわ〟ではなく〝(内から出てくる)吹き出もの〟です!」と断言したあと、次のように付け加えた。
教皇庁は「全ての人、特に貧しい人、社会で最も軽んじられ、疎外されている人に対して喜びと勇気をもって宣言すべき福音」に忠実でなくてはならない。そして、「教会学に導かれ、ローマ司教の奉仕において指導される必要がある」。
“The Tablet : The International Catholic News Weekly. Reproduced with permission of the Publisher” and that you quote our website address http://www.thetablet.co.uk
(解説・ CRUX エディター ジョン・L・アレンJr 2016.12.22)
22日の集会での挨拶で、教皇フランシスコは、自身が進める教皇庁改革計画が遭遇する抵抗が時には〝隠れた〟〝悪意のある〟ものだ、と批判し、計画推進への強い決意を示した。
また、イタリア人が「Gattopardismo(中身でなく、うわべだけの政治改革)」と呼ぶ危険を指摘した。これはもともと、19世紀のイタリア統一運動の時期のシシリー島の王子の物語の題名で、王子は「何もかもそのままにするために、何もかも変わらねばならない」という哲学の持ち主だった。
だがこの日の話の中でおそらく一番重要なのは、教皇が「改革は終わらない」という明確なメッセージを送ったことだろう。教皇の指導力の下で、教皇庁にはこれまでに、財政と情報通信の担当省が新たに設けられ、既存の省や評議会を再編統合する形で、「家庭、信徒、生命」と「人間の統合的な発展」という二つの省が作られることになった。教皇は集会での挨拶で、さらに、教皇庁人事改革を進め、まだ改革の手がついていない「評議会、アカデミー、委員会」も、教皇が目指す「簡素化、円滑化」を進める過程で改廃する可能性があることを示唆した。
教皇は、現在の改革作業には、まだしばらく時間がかかることを示唆し、「漸進主義は、歴史的な過程-時と場面の分析、試験、修正、実験、一時的な同意-を含意する、避けることのできない識別の成果なのです」と語り、「ですから、このような過程を踏むことは、優柔不断だからではなく、本当の改革を成し遂げるために必要な柔軟性を持つ、ということなのです」と説明した。
教会は生きているがゆえに、常に改革していかねばならない、というのが教皇の考え方だが、そうした終わることのない改革を進めようとする教皇フランシスコと、自身が設立した9名の枢機卿顧問団は、おそらくそう遠くない時期に、難題にぶつからねばならないだろう。それは、教皇庁組織に次のショックがいつ来るのか分からない職員たちの間の、士気の低下、機能麻痺だ。
多くの教皇庁職員に聞けば、これまで2年間、漠然とした不安の中で過ごしてきた、と答えるだろう。改革の音楽が終わった時に、自分たちの職場が残っているのか、多くの者は知らない。そのような中で、先のことを考えたり、長期的な計画を立てたりするのは、極めてむつかしいことだ。
現在の一連の改革が、すべて終わった時、中心官庁の国務省は、なおも大所帯の官庁であるだろう。だが、他の多くの官庁、とくに教皇がこの日の集会で言及した「評議会やアカデミー、委員会」の先行きは定かでない。
さらに、教皇庁職員の中には、教皇が使う言葉にいら立ちを覚える向きもある。それは、二年前に使った「霊的な病い」であり、今回繰り返された「個人的な『回心』の必要性」についての言及だ。職員の大半は低い給与で働いている。拍手喝さいを受けることもなく、個人的な犠牲を求められ、一度でいいから、自分たちのやっている仕事の重要性について上司から勇気づけられるような言葉が聞きたい、と思っているのだ。
教皇フランシスコはバチカンと教会改革を課題として教皇に選ばれたのは確かだし、世界中の多くの枢機卿や司教たちから強力な支援を受けながら改革を進めつつある。だが、一方で、彼は、現在の改革作業が完了した時、いかにして、残された人々がその後も改革を進める覚悟と熱意を持ち続けられるようにするか、という課題にも直面しているのだ。
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