(2016.11.20 ジョン・アレンJr Crux editor)
教皇フランシスコは、この使徒的書簡で、「いつくしみ」が行き過ぎ、と見る向きもあるのに対して、「赦しは神の愛の本質」であると強調。「私たちの誰ひとりとして、条件付きで赦す権利を持ってはいません。いつくしみは常に私たちの天の父による無償の行為、無条件、無制限の愛の行為なのです」「ですから、私たちは、神がひとりひとりの暮らしに介入されるときにお持ちになる愛の完全な自由に反対するリスクを犯すことはできません」と述べている。
また教皇は、いつくしみを強調する教皇の姿勢が神の法についての教会の伝統的な公式見解に馴染まない、との見方を否定し、「そのような法のレベルのみにとどまることは、信仰と神のいつくしみを挫くことに等しい」と言明。悩み苦しむ人とcompassion(思いを同じくする)ことは、いつくしみの特別の形であり、特別聖年の閉幕を越えて続ける必要がある、と力説した。
「涙を乾かすことは、私たちがしばしば罠にかかる孤立の悪循環を打ち壊す道」とし、「私たちが安心する言葉、私たちが理解されていると感じる抱擁、私たちが愛を感じる愛撫、私たちがもっと強くなる祈り・・これらすべてが、私たちの兄弟姉妹によってもたらされる慰めを通した神の親密さの表明なのです」と教皇は言明。
書簡の中で、教皇は、今年4月に公表した使徒的勧告「愛の喜び」の内容、とくに離婚・再婚者に聖体拝領を認めることを示唆する内容をめぐって起きている論争について直接触れてはいないが、間接的な答えとして、困難な状況にある家庭にたして神のいつくしみは特に必要であることを強調している。そして「今回の特別聖年は家庭生活の現実の複雑さを見過ごすことはできない。いつくしみの経験は、私たちが、受け入れ、ともに歩む神の愛の立場から、あらゆる人間的な問題を考えることを可能にします」と語っている。
そして幅広い見地から「21世紀の苦難と病理はいつくしみの伝統的な徳目を再評価する必要性を際立たせている」とし、「多くの人びとが、食料、仕事、避難所、そして平和を求めて、こちらの国からあちらの国へと移動している。様々な形の疾病が、助けと癒し、支えを叫び求める苦難の尽きることのない原因になっている」と指摘。「読み書きができない人々はいまだに世界各地にいて、子供たちは潜在能力を引き出すことが出来ず、新しい形の奴隷となる危険にさらされている」と指摘する教皇は「いきすぎた個人主義の文化は、特に西側諸国で、他の人々との連帯感、責任感の喪失につながっている」と警告。
このような問題の指摘をさらに広げて、「失業し、あるいは仕事はしていても十分な収入を得られない、住む家や土地を持つことができない、信教、人種、社会的立場で差別を経験する。これらは、人の尊厳を傷つけるたくさんの現状のほんの少しの例でしかない」「そのような脅威に直面して、キリスト教徒のいつくしみは、何よりも油断なく、連帯を伴って反応するのです」「私たちの世界は、人の尊厳を傷つける新たな形の精神的、物質的貧困を作り出し続けています」と指摘したうえで、「このような事ゆえに、教会は、常に目を見開き、いつくしみの新たな業を見出し、寛大さと熱意を持って実行する用意をしていなければなりません」と訴えている。
(南條俊二訳)