(2025.3.27 Vatican News)
2020年3月27日、教皇フランシスコは新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るう中で、その終息を祈る特別な時間を、たった一人、聖ペトロ広場で持たれた。
雨に打たれ、人けのない広場で、「誰もが孤独に救われるわけではありません」と世界の人々に呼びかけ、傷ついた人類を癒やすよう神に懇願された。
(2025.3.27 バチカン放送 アンドレア・トルニエッリ)
教皇フランシスコがただ一人、聖ペトロ大聖堂前の広場に設定された祈りの場に上がられ、祈りを捧げられてから、5年経った。あの夜は雨だった。広場には一切の人影がなかった。それでも、全世界で無数の人々が、テレビ画面の前で教皇と心を合わせていた。
その頃、人々は長いロックダウンの中で家に閉じこもり、目に見えないウイルスが人々を病院の集中治療室に送り、多くの犠牲者を出し、家族が患者と会うことも、言葉をかけることも、葬儀をすることもできないのを目の当たりにして、怯えていた。
その態度、その祈り、そしてサンタ・マルタ館の礼拝堂で毎日捧げられるミサによって、教皇は皆に寄り添った。誰もいない広場で、聖体による祝福、十字架の足に接吻するといった単純な動作を通して、教皇は皆を抱擁した。
その十字架は、春の初めの夜の悪天候の中で、涙を流すかのようだった。「私は人々と触れ合っていました。いかなる瞬間も独りではありませんでした」と教皇は後に語った。教皇はたった一人だったが、孤独ではなく、茫然自失となった世界のために祈っておられた。力強く、忘れ難いその姿は、教皇フランシスコの在位にしるされるものである。
この時、教皇フランシスコは神に向かって祈った。「主よ、あなたはこの試練の時を『選びの時』とするよう呼びかけます。それは、あなたの裁きの時ではなく、わたしたちの判断の時です。何が重要で、何が過ぎ去るものか、必要なものとそうでないものを区別する時です。人生の指針を、主と、他の人々に向けて定め直す時です」。
そして、続く数か月、教皇は繰り返された—「危機から、依然と同じ形で脱することは決してありません。より良い形で脱するか、より悪い形で脱するかです」。
あれから5年後、あたりを見渡せば、「より良い形で危機から脱した」とは言い難い。そこにあるのは、飢餓と闘うよりも再軍備を考える、戦争を押し進める人々の暴力によって引き裂かれた世界である。
私たちはもう隔離されていない。いまや状況は逆転した。広場は聖年を祝う人々であふれている。しかし、そこに教皇の姿はない。教皇は重い肺炎の後、サンタ・マルタ館の自室で療養しながら、私たちのため、平和のために祈っておられる。教皇と世界とのあの一致は断ち切られてはいない。
あの時の教皇の言葉はこれまでになく、今日も、特にこの今響いている。「何が重要で、何が過ぎ去るものかを区別する時です」と。
(編集「カトリック・あい」)