・「互いを兄弟と認め合うことが、あらゆる過激主義への解毒剤だ」-教皇が新著『福音の力:10の言葉で綴るキリスト教信仰』

Pope Leo XIV's new book titled (in Italian) “The Power of the Gospel: Christian Faith in 10 Words”Pope Leo XIV’s new book titled (in Italian) “The Power of the Gospel: Christian Faith in 10 Words” 

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 十の言葉。十の言葉は多くはありませんが、キリスト教生活の豊かさについて対話を始めることができます。そこで、その対話を始めるために、この十の言葉の中から三つを選び、これらのページをお読みになる皆様との架空の対話の始まりとしたいと思います。それは、キリスト、交わり、平和です。

 一見すると、これらの言葉は互いに関連がなく、連鎖していないように思えるかもしれません。しかし、そうではありません。これら三つは相互に関連し合い、織りなす関係性を持っています。親愛なる読者の皆さんと一緒に、その関係性をさらに深く掘り下げ、その新しさや意義を共に捉えたい、と願っています。

 まず第一に、キリストの中心性です。洗礼を受けたすべての者は、キリストとの出会いの賜物を受け、その光と恵みに触れられています。信仰とは、まさにこれです。超自然的な神に到達するための途方もない努力ではなく、むしろイエスを私たちの生活に迎え入れること、神の御顔が私たちの心から遠く離れていないという発見なのです。

 主は魔法のような存在でも、知ることのできない神秘でもありません。主はイエスにおいて、ベツレヘムに生まれ、エルサレムで死に、復活し、今日も生きておられるそのお方において、私たちに近づかれたのです。今日です!そしてキリスト教の神秘とは、この神が私たちと一つとなり、私たちに近くおられ、私たちの友となろうと望んでおられることです。こうして私たちは神となるのです。

 聖アウグスティヌスは、こう記しています。「兄弟姉妹よ、私たちに注がれる神の恵みを理解していますか。その深さを悟っていますか。驚嘆し、喜び、歓喜しましょう。私たちはキリストとされたのです。なぜなら、彼が頭であるならば、私たちはその肢体だからです。全き人間は彼であり、私たちなのです」 (1) 。

 キリスト教の信仰とは、「イエスの人間性」という体験を通して、神の命にあずかることです。キリストにおいて、神はもはや概念や謎ではなく、私たちに寄り添う方となります。アウグスティヌスは、回心の中で、このすべてを経験し、キリストとの友情の力を直接感じ取り、それが彼の人生を根本から変えました。「主よ、私があなたを求め続けていたあの時、私はどこにいたのでしょう。あなたは私の前にいらっしゃったのに、私は自分自身からも離れてしまい、自分自身さえ見失い、ましてやあなたを見つけることなどできませんでした!」(2)

 さらに、キリストは、「交わりの始まり」です。その生涯全体が、「橋」となる意志に彩られていました。人類と父なる神との間の橋、出会った人々同士の間の橋、そしてキリストご自身と疎外された者たちとの間の橋です。教会とは、このキリストの交わりが歴史を通じて継続するものであり、多様性を一致の中で生きる共同体なのです。

 アウグスティヌスは、園のイメージを用いて、信徒の共同体の美しさを示しています。その共同体は、自らの多様性を、統一を目指す多様性として受け入れ、混乱の無秩序に陥ることのないものです。

 「主の園には、兄弟姉妹よ、確かに含まれているのです。殉教者の薔薇だけでなく、処女の百合、既婚者の蔦、未亡人のスミレも含まれているのです。愛する皆様、いかなる人間も自らの召命を絶望する必要は全くありません。キリストはすべての人々のために苦しまれました。彼についてこう記されているのは真実です:『すべての人々が救われ、真理を認めるようになることを望んでおられる』(テモテへの手紙1・2章4節)(3) 。

 この多様性は、唯一のキリストにおける交わりへと至ります。イエスは、私たちの個性、文化的・地理的背景、言語、歴史にもかかわらず、私たちを一つに結ばれます。主が友人の間に築かれる一致は、神秘的に実り豊かで、すべての人々に語りかけます。「兄弟間の和合を保ち、隣人を愛する者たちこそが、教会を構成するのです」(4)。

 多くの戦争に彩られた現代世界において、キリスト教徒はこの調和、この兄弟愛、この親密さの証人となり得るし、またなるべきです。これは私たちの力のみに依存するものではなく、むしろ天からの賜物、すなわち御霊をもって常に私たちの傍らにいて共に生きると約束された神からの賜物です。「ですから、私たちが教会を愛するならば、聖霊を授かっているのです」(5) 。

 様々な民族の住まいである教会は、「私たちが永遠の対立に囚われる運命にあるのではない」というしるしとなり、和解し、平和で調和した人類という夢を体現し得ます。この夢には確かな基盤があります。それはイエス、そして御父への祈り、すなわち、御自身の民の一致を願う祈りです。イエスが御父に祈られたなら、私たちなおさら、平和な世界という賜物を授けてくださるよう、御父に祈らねばなりません。

 キリストと交わりから生まれる平和は、権力の乱用や暴力の産物ではなく、憎しみや復讐と結びついたものでもありません。受難の傷跡を帯びたキリストご自身が弟子たちに「平安あれ」と語りかけられました。聖人たちは、愛が戦争に打ち勝ち、善のみが裏切りを無力化し、非暴力こそが権力の乱用を打ち砕くことを証ししてきました。

 私たちはこの世界を直視せねばなりません。「より多くを持つ者が常にさらに多くを得、逆に持たざる者がますます貧しくなる」という構造的な不正を、もはや容認することはできません。憎しみと暴力が溢れ出し、人々の間に悲惨を広げる危険があります。私たちが兄弟姉妹であることを認め合う交わりの願いこそが、あらゆる過激主義への解毒剤なのです。

 アルジェリアで殉教した18名の修道者と共に列福されたティビリン修道院の院長、クリスチャン・ド・シェルジェ神父は、テロリストとの緊迫した遭遇の後、キリストとの交わり、そして神の子らすべてとの交わりの中で、キリストから「神の御言葉」を授かりました。その言葉は今も私たちに語りかけ続けています。修道院を暴力的に襲撃した者たちについて語り、このような困難な試練の後、主に向けてどのような祈りを捧げられるかと自問した彼は、次のように記しました。

 「まず『私を、そして共同体の私たちを”武装解除”してください』と求めない限り、『彼を武装解除してください』と願う権利が私にあるでしょうか? これが私の祈りです。この祈りを、私はすべてを打ち明けるようにあなたに託します」。

 約1600年前、同じ北アフリカの地で聖アウグスティヌスはこう述べました。「私たちの生活が善きものであれば、時代も善きものとなる。私たちの時代を創るのである」 (6)。

 聖霊への祈りと証しをもって、私たちも自らの時代を創り得ます。聖霊が私たちを平和を伝染させる男女とし、キリストの恵みを受け入れ、その慈愛と憐れみの香りを世界中に広める者とならせてください。「私たちは自らの時代を創り出す」。目の当たりにする暴力に挫けず、父なる神に日々、聖霊の力を求めましょう。歴史の闇の中に、平和という生ける炎を輝かせるために。

バチカン市国 2025年10月16日

*注*1 聖アウグスティヌス『ヨハネ福音書講話』21:8 2 同『告白録』V, 2: 2 3 同『説教集』304, 3 4 同上 359, 9 5 同『ヨハネ福音書講話』32, 8:8 6 同『説教集』80, 8

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2025年11月21日