「理解しようとしない人々がいる」―教皇が「愛の喜び」批判にコメント(CRUX)

(2016.11.18 CRUXバチカン特派員 イナス・サン・マーチン

教皇フランシスコはイタリア司教団の公式新聞Avvenire紙との幅広いテーマにわたるインタビューで、自身のキリスト教会一致への努力に対する批判に言及し、「そうした批判に悩まされることはないが、自分たちの不満を助長したいと望んだり、単に隠したりする人々は見分けがつくものです」と語った。

 ローマ発―教皇フランシスコは4月に発表した家庭を主題とする使徒的勧告「愛のよろこび」に対して出ている批判について、反論した。主として、欧米の4人の枢機卿が最近、教皇あての文書を送り、勧告が重大な混乱と当惑、修正のうわささえ出ている、とし、「イデオロギー的とも言える形式主義」に苦しめられている、とほのめかしたことに対するもので、教皇は「勧告への反応について考えると、それを理解しない姿勢を続ける方々がおられます」と述べ、そうした方々は、「人生の絶え間ない変化の中で識別が必要な場合にも白か黒かで考える」とした。

  教皇は、18日に発行されたAvvenire紙に、20日に閉幕する「いつくしみの特別聖年」と、その1960年代に開かれた第二バチカン公会議との関係についての質問に関連して答えた。教皇は「人々に神の慈しみの計画を伝える道具としてのみ、教会は存在するのです」と語り、教会は第二バチカン公会議で「父の愛の生きたしるしとして、この世に存在する必要がある」と感じ、とくに教会憲章 (「Lumen Gentium 諸国民の光」)で、教会の考え方の軸が「イデオロギー的になりうる、ある種の形式主義」から、人となられた御子を通して、神ご自身に移したのです、と指摘した。

そして、教皇は、この点を「理解せず」にいる人々の「愛のよろこび」に対する反応について、このような文脈で語った。そうした人々を名指しすることはしなかったが、彼は、米国のレイモンド・バーク枢機卿ら4人の枢機卿によって提示された使徒的勧告に対する「疑問」を、念頭においていたと思われる。教皇は高位聖職者たちに疑問に答えることはないと語り、それが、4人が彼らの教皇に対する質問場を今週初めに公けにしたかの理由となった。

 米国のNational Catholic Register紙による関連のインタビューで、バーク枢機卿は、自分たちは教皇に対して愛をもってそうした、とくに勧告の第八章が引き起こしている「はなはだしい分裂」を終わらそうと考えたのだ、と述べた。この章で、フランシスコは、離婚し民法上再婚した人々に聖体拝領を認める事に、ケース・バイ・ケースで扉を開いたように見えるが、教会法の専門家であるバーク枢機卿は「もし教皇が、我々が希望しているように『カトリック教会の教えでの明確化』を図ろうとしないなら、ローマ教皇を正す公式の行動を考える」と言い切った。

  だが、勧告に対する法律専門家の反応は、 Avvenire紙のインタビューで教皇が言及した唯一のテーマではなかった。三ページにわたるインタビューを通しての中心テーマは、20日に閉幕する「いつくしみの特別聖年」と「キリスト教会一致の推進」だ。教皇がキリスト教会の各会派と熱心に会合を重ねていることに関連して、質問者が「一致を進めようとする過程で、あなたがカトリックの教義を曲げていると批判する人の中には、カトリック教会を『プロテスタント化』しようとしている、と言う人もいるが」と聞いたのに対し、教皇は、そのような批判にあまり心配していない、としたうえで、「そのことで眠れなくなることはありません。わたしを推し進める人々の道を歩み続けます。第二バチカン公会議に従います」と言明。

  さらに、「さまざまな意見は、彼らが語りかけられている聖霊にしたがって見分けていかねばなりません。悪意のあるものでなければ歩みの助けになります。そうではなく、従来からの立場を正当化しようとする批判は、正直なものでないことがすぐに分かります。そのような批判は、分裂の種をまこうとする悪意によるものです」と強調し、「このような硬直的な態度は、何かが欠けたところ、鎧の後ろに不満を隠そうとするところ、から生まれます」と強く指摘した。

  キリスト教会の一致については、「それがイエスとともに歩む道、、神学的な相違にも関わらず現実的な一致が可能な、キリスト教徒が会派を越えて貧しい人びとを助けるように異なった形をとることもできる道なのです」とし、「一致は、ともに歩むことから作られます。求められるべきは神の愛なのです」と言明し、これ故に、キリスト教徒の間にある、あらゆる形の変節主義は罪深い。ベネディクト16世が書いておられるように『教会は変節主義からは決して育たない、引き付ける力によって育つ』のです。

  教皇はバーソロミュー・コンスタンチノープル総大主教との交友に触れ、「彼は、正教の協議会を率いる能力を持ち、高いレベルの神学的問題を語り、そして子供達とともにいる」と評価した。

 また、教皇は、誰しも、自分の仲間とともに歩むのは容易なことではない、としたうえで、教会は「欲望と権力の論理で動く、自己満足的な人間的な現実」である、ということを信じるようなカトリック教徒の一部がかかっている「霊的な病い」に言及し、「わたしは教会の癌は互いに栄光を与え合おうとしている、と思い続けている」。「もしも、イエスを誰か知らない人、あるいは会ったことがない人も、イエスにいつも会うことできるのです。しかし、もしその人が教会の中にいるとしても、権力と自己確信への飢えを満たそうとしていれば、霊的な病いに侵されているのです」。

 教皇は先日、マルチン・ルターによる宗教改革から500年を記念する行事に出席のためスエーデンを訪問し、ルーテル教会の代表らと親交を深めたが、このことによって、「主の恩寵を無視して、あるいはそれを当然のこととして前進する組織としての教会」というイメージを打ち消した、と述べた。「自ら指示を出す教会を作ろうとする誘惑は、反対を、そして分裂をもたらす。それは、いつも蘇るものです」と警告した。

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2016年11月19日