福音宣教省長官フィローニ枢機卿、東京カテドラルでのミサで – RV
(2017.9.26 バチカン放送)教皇庁福音宣教省長官のフェルナンド・フィローニ枢機卿は23日から26日にかけて東京でミサや様々な集いに参加し、26日、10日間にわたる司牧訪問を終え、日本を後にした。
17日から始まった日本司牧訪問で、フィローニ枢機卿は、到着した東京から、まず西日本へ。福岡、長崎に赴いた後、広島、大阪を訪れた。その後、同枢機卿は、東日本へと移動。仙台を基点に福島県内の被災地を訪問し、再び東京に戻った。
枢機卿は、23日、日本カトリック学院・東京キャンパスを訪れ、神学生との出会いを持ち、枢機卿は講話の中で、日本における司祭召命の不足に言及。「これまで教会に奉仕してきた司祭たちの高齢化が進む一方で、それに対応するだけの召命の増加がないこと」を憂慮し、「発展した近代的な大都市で神学の勉強をするということは、この世と福音的価値の対照の中に身を置くこと」と述べたうえ、こうした状況においてこそ「司祭生活に伴う3つの預言的しるし―清貧・貞潔・従順―の意味をいかに理解し、それを生きるかが重要です」と強調した。
これに続くミサでは、種を蒔く人のたとえ話(ルカ福音書 8章4-15節)をテーマに説教し、「種を蒔く人はイエス、地面は私たちの心、種は神の御言葉でですが、このたとえ話が特に焦点を当てているのは、種が蒔かれた地面の状態。すなわち私たちの心の状態がどうなのかが問われています」とし、「このたとえ話はまた、ミサのために働き手が必要な場所、人間が困難な状況に置かれている場所、罪や敵意によって神とその御言葉の受け入れが妨げられている場所など、世の中のことをも考えさせるものです」と指摘した。
24日、東京カテドラル・関口教会の信徒会館で行われた司祭・修道者・信徒との集いで、枢機卿は、福者ユスト高山右近の生涯を回想し、「日本の現実と離れることなく、福音が日本人にとって何ら異質ではない」としたうえで、「社会の中に留まり、イエスのように迫害者を赦しながら、神の深い御心である赦しといつくしみを自らの態度で示した生き方」を振り返った。
枢機卿は、日本各地を訪問する中で、「日本のキリスト教共同体の宣教に対する大きな可能性を確信」したと話し、「今日、そして将来、一般的な召命の危機や他の理由で、日本に来る宣教者は以前より多くはないかもしれません」と述べつつ、今後の宣教事業は「日本にいる人々、司祭・修道者・信徒・家庭・団体などの肩にかかっている」と語った。そして、「東京大司教区が司牧や文化・社会活動などを通して宣教において果たすべき責任」を説き、中でも「司牧的刷新、外に向かっていく宣教、キリストとの個人的出会いである福音宣教について、再び考え、それに取り組んで欲しい」と努力を求めた。
また枢機卿は関口教会で、日本の司教団と共にミサを捧げ、説教の中で「ぶどう園の労働者」のたとえ話(マタイ福音書 20章1-16節)を取り上げ、ぶどう園の主人、すなわち神の特徴として、どの時間に雇った労働者にも、約束した正当な報酬を受け取ることだけを承諾させること、また、主人はどの時間にも常に労働者を探しに出かけて行き、「なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか」と彼らに尋ねていることを指摘し、「なすべきことや人生の意味を知ら行くか分からない車を運転するようになってしまう人々」の姿を、私たちの現実の社会と重ね合わせた。
そして「私たちの行くべき道とは何だろうか。その問いに対し、イエスは『私は道であり、真理であり、命である』(ヨハネ福音書14章 6節) と言っておられます」と強調し、教皇フランシスコがこのイエスの言葉について「道・真理・命」という通過すべき3つの扉と説いていることを紹介。「日本もまた福音を、キリストを、その真理を必要としているでしょうか」かと問いつつ、「神が今だけでなく、いつも、どの時間にも私たちを探しに訪ねて来てくださるように」と祈った。
枢機卿は25日に日本の司教たちと会合を持ち、26日、日本司牧訪問を終えて帰国の途についた。(「カトリック・あい」編集)