(2017.2.7 バチカン放送) キリシタン大名、ユスト高山右近(1553-1615)の列福式が2月7日、大阪城ホールで行われた。列福ミサは、教皇庁列聖省長官アンジェロ・アマート枢機卿を教皇代理として迎え、日本の司教団、駐日教皇大使ジョセフ・チェノット大司教、右近とゆかり深いフィリピン・マニラのルイス・アントニオ・タグレ枢機卿、そしてアジアを中心とした各国の司教たちが参加して行われた。日本の各教区から多くの司祭が集り、司式関係者は300人以上に及んだ。ミサはラテン語と日本語を中心に進められ、信徒の祈りは英語・タガログ語・韓国語・ベトナム語など、説教は日本語訳を伴ったイタリア語で行われるなど、国際色豊かなものとなった。
この中で、アマート枢機卿は、ユスト高山右近を福者として宣言する教皇フランシスコの書簡を厳かに読み上げた。これと共に、十字架を手にし、神の光に内心を照らされるかのように座するユスト高山右近を描いた画が除幕された。およそ1万人の参加者は、信仰の人、ユスト高山右近の生涯を改めて振り返り、大きな感動と感謝をもってその列福を祝った。
アマート枢機卿はミサの説教の冒頭で、「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが死ねば、多くの実を結ぶ」(ヨハネ12,24)、「人々がわたしを迫害したのであれば、あなたがたをも迫害するだろう」(ヨハネ15,20)というイエスの言葉を引用し、このイエスの言葉がユスト高山右近の中に実現することになった、と話した。また、迫害者にも愛をもって向き合い、そのために祈ることさえした殉教者たちを、キリストの愛の証し人として示し、残忍さに対し愛にあふれる親切で答えた殉教者の生き方は、弱々しさではなく、強さの現れである、と述べるとともに、聖パウロ三木ら26聖人、聖トマス西と15殉教者、福者ペトロ岐部と187殉教者らに代表される、老若男女、社会のあらゆる階層の人々からなる、多くの殉教者たちの証しによって祝福された日本の教会の歴史を振り返った。
枢機卿は「ユスト高山右近とは誰だったのか」、「そのキリスト者としての真髄はどのように息づいていたか」、「右近の言葉は現代のわたしたちにどのような意味があるのか」を考えるように勧め、キリストの教えを伝えることを望み、日本人の宣教師やカテキスタを養成するため、各地にセミナリオを創設するなど、領民に福音をもたらしたユスト右近の活発な宣教活動を紹介し、キリスタン追放令に対して棄教よりも欠乏、孤独、流浪を選び、マニラ到着後まもなく病に倒れた右近の最期を心に留めると共に、フィリピンにおいて右近の死とその聖性が人々に及ぼした感化に言及。「右近は、キリストの教え、愛の言葉、贖いの業に魅了され、その確信により日本の福音宣教の不屈の推進者となった」「真のキリストの武人、その技に長けた剣ではなく、言葉と業による武人であった」と語った。
特権的な地位を失い、生活の貧しさが増し、打ち捨てられ隠れた境遇になっても、気落ちすることなく、平静を保ち、洗礼の約束に常に忠実だった右近の強い信仰を称え、「悲劇的な死を予感し続けた右近であったが、その殉教は、血を流す殉教ではなく、流刑による引き延ばされた死、十字架のキリストの苦しみに与ることでした」と指摘し、「自分を迫害する人々のために祈り、彼らを赦し、日本の回心を念じて命を捧げた右近は、不和と迫害の困難な時代にあってキリストへの信仰を卓越した方法で証したのです」と述べた。
さらに、右近が日本の教会とすべての信者に残したものは「偉大な信仰の宝」だったことを強調し、貧者を助け、病人を見舞い、寛大な施しをし、父ダリヨと共に身寄りのない人の埋葬を行なったユストの、深い福音性に満ちたその数々の慈愛の業、「だれがキリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう」(ローマの信徒への手紙8,35)という聖パウロの言葉をそのままに生きたユストを思い起こし、「わたしたちの福者の模範が、イエス・キリストの福音への信仰と信頼へと、わたしたちすべてをを突き動かしますように。福者ユスト高山右近、わたしたちのために祈ってください」と呼びかけて、列福ミサの説教を締めくくった。