教皇フランシスコの枢機卿新任は、次のコンクラーベを波乱含みにする可能性(Crux)

(2017.6.29 Crux editor ジョン・L・アレンJr.)典型的な言い方では、カトリック教会の枢機卿が担当するであろう最重要事項は、教皇を選ぶことだ。結果として、教皇が新たに枢機卿を任命するイベントは、教皇自身の後継者選任の前触れでもある。教皇フランシスコが28日に開いた枢機卿会議に焦点を絞ってみると、彼は会議で5人の新枢機卿を任命任命したことが、次の教皇にとってどういう意味を持つか、という問いに対するバチカン専門家の唯一の正直な答えは、恐らく「誰が知っているかね?」だ。

 (はっきり言えるのは、教皇の空位が差し迫っていること示す兆候は現在、全くないことだ。教皇フランシスコの周りに健康的な危険は存在しないし、辞任を表明する兆しもない。だが、そのことが、次に来ることについての臆測が飛ぶのを抑えることにはならないのだ。)

 教皇フランシスコによるこれまで四回の枢機卿任命の特徴を定義するとすれば、「新任枢機卿が全世界にわたっている」ということだ。28日の新任を含めて、フランシスコはこれまでに、枢機卿のいなかった13の国から新人を選んでいる。その中には、トンガ、モーリシャスなどこれまでの尺度ではありえなかった国も含まれている。

 その結果、これら新しい‶フランシスコの枢機卿たち〟は西欧以外から、通常の統計的な基準からは外れた国の出身者が一定の比率を占めるようになった。一般的に言って、西欧出身者が最も関心を持つのは、教皇が選ぶ新枢機卿に「進歩派が多いか、保守派が多いか」であり、彼らがいつの日か、自分自身が教皇になることを念頭に、教会を進歩的な方向に、あるいは保守的な方向に舵を切ろうとする握ろうとするのではないか、ということだ。そのような派閥分けは、非西欧文化の人々には当てはまらない。左と右の断層線に沿って、それを壊さないようにすることが重んじられる。

  十年ほど前に、ウガンダである教訓を学んだ。取材旅行をし、カンパラの大学で政治学を勉強しているカトリックの学生たちに会った時のことだ。彼らは頭がよく、自分の意見をはっきりと話し、色々なことを良く知っていた。

 私はある時、彼らにこう質問した。「それで、君たちは進歩派か、それとも保守派か?」。しばらく沈黙があって、20人ほどいた学生の一人が答えた。「その用語の意味は分かりますが、もう少し具体的に言ってくれませんか?」。私は、ブッシュ政権時代だった米国を念頭に置いて、こう返事をした。「では、君はブッシュが好きか、嫌いか?」。すぐに出てきた反応は、ブッシュがアフリカにとても良いことを幾つかしているが、イラク戦争は好まない、だから、ブッシュに対する評価は好きと嫌いが混ざったものだ、ということだった。最後に、一人の学生がこう答えた。「あなたは、私たちが進歩派か、保守派か、と尋ねました」「あなたの基準から考えると、私たちはその両方、ということになります」と。それが私の問いに対する彼らの最終回答だった。

 そして、それが、多くの非西欧文化の国、地域―カトリックの教会共同体も含めて―の真実だ。例えば、アフリカのカトリック教徒は、性道徳に関わる問題には極めて保守的でありうるが、社会正義については極めて進歩的だ。アジアの人々は宗教間対話についてはとても進歩的だが、礼拝や典礼については極めて敬虔かつ伝統を大事にしている。要するに、進歩的対保守的と言う語句でイデオロギー的な潔白さを示そうと躍起になるのは、西欧文化の産物であり、西欧以外の世界では共有されることのないものだ。

 さらに、教皇フランシスコが任命した新枢機卿たち―これまでに約50人、次期教皇の選出権をもつ80歳以下の枢機卿全体の約4割に当たる―の多くは、西欧のカトリック教会で議論になっている問題について明確な態度を示していない、知名度の低い人々だ。例えば、ハイチ、ミャンマー、あるいはパプアニューギニアのような国の教会では、教皇が昨春出した使徒的勧告Amoris Laetitia(家庭における愛の喜び)、教会の地方分権化や女性に助祭職を認めることの是非などで、激しい論争が起こることはない。なぜなら、こうした地域は、貧困や経済発展の遅れ、国内紛争など深刻な問題を抱え、教会の指導者たちに西欧とは異なる優先課題を負わしているからだ。

 それが普遍的な真実、という訳ではない。アフリカの枢機卿たちは、Amoris Laetitiaをめぐる論議で、その内容を支持する立場をとった。そのような場合にも、彼らの多くは西欧の基準による反直感的な結果に道を譲った。

 大まかに言えば、フランシスコの選んだ人々を考慮に入れて、次のコンクラーベにおける判断の可能性について、少なくとも二つのことを概括できるだろう。一つは、枢機卿団が世界的な広がりを強めていることは、おそらく、次の教皇を選出する際に、候補者の出身地域 がカギとなることはないだろう。次の教皇が例えばアフリカあるいはアジアから選ばれる可能性は十分にあるが、同じように、選挙の時点で適切な候補者が出れば、イタリアを含む欧州から選ばれることもあり得る。言い換えれば、独占的と言うもののが存在しない時に、それを打ち壊す必要性は薄い、ということだ。

 もう一つは、枢機卿団の構成の多様化が進むことは、おそらく、この世界について幅広い視野を持つことが次の教皇の必要条件になることを意味する事になるだろう、と言うことだ。ラオス、ブルキナファソなど、フランシスコが枢機卿を選んだ国で過ごした経験がある必要はないが、西欧的なものの見方をする人物が候補になる必要もない。

 それ以上に、率直に言って、次のコンクラーベ―それがいつ行われようとも―は、カトリック教会の最近の歴史において最も予測困難なものになるだろう。ハンディのスコア票を放り出し、慣例を無視し、ベルトを締めよう。どのような中身になろうとも、波乱含みとなることが避けられないからだ。

(翻訳・「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも昨年、全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載します。

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2017年7月6日