・バチカン教理省が超自然的現象の識別に関する新規則を発表

教理省、超自然的とされる現象をめぐる新しい規則を発表

 教皇庁教理省が17日、超自然的とされる現象をめぐる新しい規則を発表した。19日に発効し、超自然的とされる現象の識別のプロセスを刷新することになる、という。

 具体的には、司教も教皇庁も超自然的な現象そのものの定義は宣言せず、信者の信心や巡礼を許可し推進するために、許可から否定に至るまでの6レベルを備えた識別を行う。

 これにより、民間信心に対する通達がより早くなり、これまで研究のために非常に長い時間をかけていた「超自然的とされる現象自体の公式な定義」をすることが、通常はなくなる。

 もう一つの新しい点は、教理省の従来よりも明確な関与である。同省は司教の最終決定を認可すると同時に、あらゆる時点で教令によって介入する力を持っている。

 ここ数十年間、個々の司教が表明した多くの件で、同省の介入は公にされなかった。今回、教理省の積極的な関わりを明白にした動機には、これらの現象をめぐる影響が地域レベルに留まらず、しばしば全国的、あるいは世界的な規模にまで達し、そのために一教区の決定が別の場所でも余波をもたらすことがあったためだ。

*新規則導入の理由

 

 この文書の作成は、ここ100年間の長い経験があった。たとえば、地域の司教が非常に短期間にある現象の超自然性を宣言した後で、教理省がそれとは逆の見解を示したり、一司教がある現象について行った宣言に対して、後継の司教がそれを覆したことがあったりした。超自然的か否かをめぐる決定に至るまで、あらゆる要素を判断するために長い時間を要し、しばしば、信者のために緊急に司牧的回答を与えることの妨げとなっていた。

*霊的な実りとリスク

 教理省長官ヴィクトル・マヌエル・フェルナンデス枢機卿は文書の序文で、「多くの場合、これらの現象は、非常に豊かな霊的実り、信仰の成長、信心、兄弟愛と奉仕をもたらした。あるケースでは、今日多くの人々の民間信心の一つの中心をなす、世界中に散らばる巡礼聖堂の原点ともなった」と述べる一方、「超自然的とされる現象のいくつかのケース」では、「信者に害をもたらす非常に重大な危険性」が明らかになったり、超自然的現象とされるものが「儲けや、権力、社会的名声、個人の利益」を引き出し、「人の支配、あるいは虐待」にまで達したりすることがあった、と語っている。

 また、そこには「教理的な過ち、福音のメッセージの適切でない書き換え、セクト的な考えの伝播」がある可能性や、神の働きかけとされるある現象が単なる想像や、誇大妄想癖、誰かの偽装的傾向に過ぎないにも関わらず「信者たちがその影響に巻き込まれる」可能性もある、と指摘している。

*超自然的現象とされるものに対する6つの可能な判定

 

 「ある超自然的現象と言われるものの神的起源について、教会当局側からの積極的な公認を想定してはならない」(1章 11節)。それゆえに、通常、「教区の司教も、司教協議会も、教理省も、ある現象が超自然的な起源を持つと宣言することはない。教皇だけが、この意味における手続きを認可することができる」(同 23節)。 識別の後に行われる6つの可能な判定は次のとおり。

①Nihil Obstat:超自然的な信憑性の確実さは表明されないが、聖霊の働きのしるしを認める。

②Prae oculis habeatur:ポジティブなしるしを認めるが、そこには混乱やリスクの要素があり、識別およびそれを受け取る人々との対話が必要とされる。

③Curatur:批判的要素があるが、実証しうる霊的実りと共に現象が広く伝えられている。信者を動揺させる禁令は勧めないが、司教にその現象を刺激しないように招く。

④Sub mandato:問題が現象そのものに関してではなく、人々あるいはグループによるその不当な利用にある。教皇庁は司教あるいは代表者にその地の司牧指導を委ねる。

⑤Prohibetur et obstruatur:いくつかのポジティブな要素にも関わらず、問題とリスクは重大である。教理省は司教にその現象に同調することは認められないと公式に宣言するように命じる。

⑥Declaratio de non supernaturalitate:司教は、具体的な証拠に基づき、その現象は超自然的ではないと宣言することを認められる。

(バチカン放送日本語課訳=「カトリック・あい」編集)

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2024年5月18日