(2024.5.14 Crux Senior Correspondent Elise Ann Allen)
教皇フランシスコは先週発表した2025年聖年の布告勅書で、「 残虐行為と暴力に直面している世界において、免責は特に重要な意味をもつ」と述べられた。人の罪が赦された後に、その一時的な結果を完全に赦す免償は、これまで「神の慈悲の限りなさを改めて認識」するための聖年になされる特別措置の一つとなってきた。
バチカン内赦院長のアンジェロ・デ・ドナティス枢機卿が署名、発表した規範は、信者が免責を受けることのできる通常の条件を概説し、「真に悔い改めることが必要」であり、免責を希望する者は告解し、聖体を受け、教皇の聖年に対する意図のために祈らねばならない。
また、聖年中に全免償を得る主な3つの方法について、①聖年に指定された場所への巡礼②世界の他の神聖な場所への「敬虔な訪問」③慈悲と奉仕の行為を行うこと、と述べている。
「聖年に指定された場所への巡礼」に関しては、信徒はミサへの参加すること、あるいは洗礼秘跡、堅信秘跡、初聖体拝領、病者塗油の秘跡授与のための特別なミサへの参加、聖務日課(教会の祈り)、十字架の道行き、ロザリオの祈り、ギリシャ正教の讃美歌、神の御言葉の祭儀、個人の告白で終わる赦免の祭儀など、これらの聖なる場所でのさまざまな祈りに参加することによっても全免償が得られる 。
全免償は、ローマの 4 つの教皇大聖堂(サン ピエトロ大聖堂、聖マリア大聖堂、聖ヨハネ ラテラン大聖堂、城壁の外の聖パウロ大聖堂)、聖地の 3 つの大聖堂(エルサレムの聖墳墓大聖堂、ベツレヘムの生誕大聖堂、ナザレの受胎告知大聖堂)のいずれかを訪問することによっても、得られる。
*現地司教が指定する大聖堂,聖年の催し会場も対象に
また、これらの場所を訪れることができない信者も、地元の司教が指定する大聖堂やその他の神聖な場所を訪れることで免償を受け取ることができる。個人またはグループで聖年の催しが行われる会場を訪れ、聖体の礼拝と瞑想に参加し、最後に御父に祈り、信仰告白をし、 聖母マリアの祈りを唱える。
特定の聖なる場所以外にも、信者たちは、世界中の多くの聖地を訪れることで全免償を得ることができる。例えば、ローマでは、エルサレムの聖十字架大聖堂、 ヴェラーノの聖ローレンス大聖堂。 サン・セバスティアン大聖堂、 サシアの聖霊教会。 聖パウロが殺されたトレ・フォンターネの聖パウロ教会。カタコンベやサンタ マリア ソプラ・ ミネルヴァ大聖堂、 カンポ・デ・フィオーリの聖ブリジット教会、サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会、トリニタ・デイ・モンティ、トラステヴェレの聖チェチーリア大聖堂、カンポ・マルツィオの聖アウグスティーヌ大聖堂などがある。
イタリアでローマ以外に免償が得られる巡礼地としては、アッシジの聖フランシスコ大聖堂と天使の聖母大聖堂、 ロレートの聖母、ポンペイの聖母、パドヴァの聖アントニオの大聖堂など。
世界中の現地の司教や教区によって指定された小規模な聖堂、大聖堂、またはマリア聖堂、および司教協議会によって指定された国内または国際的な聖域を訪問することによっても、免償は得られる。
*年齢、病い、介護などで巡礼できない人にも出来ることは
年齢や健康上の問題、介護が必要、あるいは修道院や刑務所に収容されているなどの理由で巡礼ができない人たちに対しては、聖父の言葉を唱え、信仰告白をすることで免償を得られる。 自宅、病院、養護施設、刑務所で、自身が体験している苦しみと、聖年の目的に沿った祈りをささげるからだ。
*教会などでの霊的錬成の活動や慈善の行為も対象に
第二バチカン公会議の文書やカトリック教会のカテキズムに基づいて教会などで開かれる宣教活動、霊的錬成、信徒養成に参加する場合も、聖年免償を得ることができる、としている。
伝統的に、聖年中は1日に1回の免償しか得られないが、煉獄の魂に代わって慈善行為を完了し、その日に2回目の聖体を受ける信者は、2回目の免償を得ることができ、 亡くなった信者にも適用される。
また、免償は、飢えた人に食事を与える、刑務所にいる人を訪問する、死者を埋葬する、あるいは迷っている人に助言する、苦しんでいる人を慰める、罪を赦し、耐えるなど、肉体的および精神的な慈悲の業を行うことによっても、得られる。 高齢者、障害者、囚人など、苦しむ人や困難に直面している人たちを「適切な期間」訪問することのよっても得られる。これは、「彼らのうちにおられるキリストへの巡礼」をすることを意味し、信者はこれらの訪問を行うたびに免償得ることができる。
*スマホなどでの”無益な気晴らし”を控えることも
さらに現代的な免償として、スマホなどソーシャルメディアの器具を使った「無益な気晴らし」を控えるなど、具体的な仕方で悔い改めの行為を行うことによっても得られる。こうした禁欲の精神は、「過剰な消費」を控えることも意味し、 貧しい人々に「相応の額」のお金を寄付することや、宗教的または社会的活動、特に生命を守る活動を支援すること、 捨てられた子供たち、困難を抱えた若者、貧しい人々、高齢者、移民の生活の質を支援することも、免償の対象となる。「自由時間の相当部分」を地域社会への奉仕活動やその他の同様の個人的貢献に捧げることでも、免償は得られる。