(2019.4.15 カトリック・あい)
バチカン報道官が10日発表したところによると、枢機卿顧問会議が8日から10日にかけてバチカンで教皇フランシスコ同席のもとに開かれ、長期にわたって検討を進めてきた新使徒憲章「 Praedicate Evangelium(仮題)」の最終原案を決定した。同案は今後、全世界の司教協議会と東方教会協議会の会長たち、教皇庁担当部署代表、主要修道会総長、教皇庁立大学代表などに送付され、意見を聞いたうえで、最終決定される。
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(2019.4.15 Crux
ローマ発ー教皇フランシスコの枢機卿顧問会議が、29回の検討会議を重ねた末に、全世界の司教協議会、バチカンのさまざまな部署のトップ、神学者、教会法学者などに提示する「新使徒憲章」の最終案を決めた。枢機卿顧問会議のメンバーで憲章案とりまとめの代表を務めたインド・ボンベイのオズワルド・グラシアス枢機卿によると、最終案は、教皇フランシスコが6年前の就任以来の課題としてきた、バチカンの”中央集権”との闘いが大きなテーマの一つとなっている。最終案は全世界の司教たちに送付され、次回の枢機卿顧問会議が開かれる6月までに回答を得る予定。
グラシアス枢機卿は先週、会議終了後にCruxとの会見に応じ、”中央集権”との闘いは原案作成者たちの主要目標となったが、これは、ホルヘ・マリオ・ベルゴリオをベネディクト16世の後継教皇に選んだ枢機卿たちが話し合っていたもので、「教皇フランシスコは、それを進めることを委任する形で選ばれたのです」と説明した。
枢機卿はまた、全アジア地域シノドス開催についての自身の計画や、教皇が今もなお「熱心に教皇としての任務に取り組まれている」と考える理由についても言及した。また、聖職者による性的虐待への教会の戦いについて、「被害者の親たちは自分の子供たちが教会が運営する施設の中で安全に過ごせることを知る権利がある」として、教皇の訴えておられる“zero tolerance(手心を加えない加害者への制裁)”を強く支持することを言明した。
グラシアス枢機卿との会見内容の要約は次の通り。「新使徒憲章の主眼の一つは”バチカン中央集権”との闘い」
「新使徒憲章の主眼の一つは”バチカン中央集権”との闘い」
Crux: 枢機卿顧問会議の主要な職務の一つが、バチカンの使徒的憲章の改定でした。そして最終原案が出来上がりました。私たちにおっしゃりたいことは何でしょうか。
グラシアス:私たちは教皇庁の再建を主眼に作業をしてきました。私たちは教皇庁の部署ごとに検討を加え、顧問会議のメンバーの一人一人がいずれかのとりまとめを担当しました。私自身は法務部門、諸宗教対話評議会、東方教会省を担当しました。それぞれの部門の長と面談し、変革について協議しました。私たちには自分たちの取り組み方があり、それを「フランシスコ・タッチ」と呼んでいます。
私たちのいくつかの考え方のうちの一つが、教皇庁での中央集権化を好まない、ということでした。それは、前回の教皇選挙前の話し合いの中で出てきた考え方です。教皇フランシスコは、それを課題とすることで選ばれたのです。私たちはまた、教皇庁は教皇に仕え、司教たちに仕える存在であることを明確にすることに努めました。全員一致してその努力をしました。これには意識の変革が求められます。
私たちが取り上げたもう一つの課題は、教会における司教協議会の役割でした。私はこれまでに神学者たちのグループと二度会い、collegiality(協働制)、司教協議会の問題に検討を加えました。変革は極めて限られていますが、大きな進歩です。
教皇庁の組織改革については、手始めとして、教皇が既に(注:いくつかの関係部署を統合・再編して)人間開発のための部署と、信徒・家庭・いのちの部署を作られ、情報通信と経済でそれぞれ部署を新設されています。この最終原案の文書はすでに、教皇庁の各部署、全世界の司教協議会、東方教会、そしていくつかの教皇庁立の大学に渡されており、5月末までにそれぞれの検討結果を報告してくれるようにお願いしています。つまり、枢機卿顧問会議の6月の次の会議で、それを吟味することになります。
Crux: 最終文書はイタリア語のものをお送りになったのですか、それとも多国語にも訳されましたか?
グラシアス:最終文書は、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語に訳しましたが、9日に技術的な手直しをしたので、翻訳が完了するのに若干時間がかかりました。
Crux:あなた方の一人一人が一章ずつ執筆を担当されたと言われましたが、最近の何回かの会合では、もともと9人いた枢機卿顧問会議のメンバーが、ジョージ・ペル枢機卿の退任などで6人に減ってしまいいました。3人の担当部分は誰が変わったのですか?
グラシアス:私たち9人全員が教皇に辞任を申し出たのですが、教皇は3人から辞表を受け取られました。3人が担当した分野の作業は辞任前に終わっていました。
教皇への批判は、大半が見当違いだ-情熱をもって役割を果たされている