(2019.3.13 カトリック・あい)
教皇フランシスコが教皇に選出されたのは、2013年3月13日。それから6年がたった。以下にVaticanNewsのアンドレア・トルニエッリ記者の解説を掲載します。
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(2019.3.12 Vatican News Andrea Tornielli)
教皇フランシスコは、その航海といくつものシノドスの間の苛酷な月日を生き、そして生き抜こうとされている。その六年は、聖職者による性的虐待の苦難と内部からの攻撃の苦衷に特徴づけられたーその返答は、信仰の核心に向かう招きだ。・アル・タイーブ師と「世界平和のための人類の兄弟愛」に関する文書-信教の自由の分野で成果が期待される文書-に共同署名したことだった。今後の外国訪問では、ブルガリアとルーマニア訪問は教会一致が大きなテーマになるだろうし、まだ公式予定に入っていないが期待がもたれている日本訪問が実現すれば、核兵器によって引き起こされた未曽有の惨事の記憶を絶やさないための助けとなり、教皇がしばしば言われる「分散した第三次世界大戦駐米大使のカルロ・マリア・ビガーノが教皇フランシスコの「マカリック問題」への対応を公に非難し、引責辞任を迫るという、バチカン内部での亀裂をあからさまにする事態も-教皇フランシスコがアイルランドの首都ダブリンでミサを捧げ、キリスト教徒の結婚の素晴らしさと価値を改めて提起している最中にー起きた。
このような事態に直面して、教皇は昨秋、世界中のカトリック教徒たちに、聖母マリアの月である10月を通して日々、ロザリオの祈りを唱えるよう求められたー「神の民として、”交わり”と”痛悔”において一致するように、聖母マリアと大天使聖ミカエルに、私たちと神の間を引き裂き、私たちの間に分裂を起こさせようとする悪魔から教会を守ってくださるよう、祈るように」と。
教皇がこのような詳細な求めを信徒たちにするのは教会の最近の歴史にはなかったことである。教会が一致を保持するために祈るように、との神の民への訴えによって、教皇フランシスコは、聖職者による性的虐待問題の深刻さを明確にし、同時に、人間的な治療だけでは進むべき道を確かなものにできない、というキ」を生きる人類の現在と未来への警鐘となるだろう。
しかし、この一年を改めて振り返ってみると、聖職者による性的虐待が再び大きな問題として浮上したことを無視することはできない。これに関連して、前バチカンリスト教徒としての理解を表明したのだった。
教皇は欠かすことのできないものを、改めて想起させられた-教会はスーパーヒーロー(あるいはスーパー教皇)で構成されているものではない、人的資源と戦略の力で前に進むものではない、ということだ。教会は、邪悪なものはこの世界に存在し、原罪は存在していること、そして救いを得るために、私たちが天からの助けを必要としている、ということを、知っているのだ。だからと言って、それは個々人の個人的な責任、組織の責任でさえもが消えることを意味しない。実際の文脈の中にそれぞれの責任をあてはめることが必要なのだ。
教皇がロザリオの祈りを求めた昨年10月のバチカンの声明には、このように書かれていたー「このとりなしの求めで、教皇は全世界の信徒たちに対して、神の母聖マリアに教会をあなたのマントで守ってくださるように、悪魔の攻撃から保護し、教会が現在と過去に犯した失敗、過ち、虐待をもっと認識するように、祈るようにお願いします」と。
「現在と過去」-なぜなら、それは、私たちの前に来た人々をとがめ、私たち自身を”けがれない者”とするのは、誤りだからだ。今日でさえも、教会は、悪からお救いくださいと他の力を借りてお願いしなければならない。これが、教皇が、前任者たちを継いで、常に思い起こしておられる厳然たる事実なのだ。
(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)