(バチカン放送 2016.7.24)今日の主日のミサの福音朗読は神への祈り「主の祈り」の意味について考察するよう促しています。主はわたしたち一人ひとりを、また、わたしたちの必要を誰よりもよくご存知です。しかし、わたしたちがそれを大胆に熱心に主に願うことを望んでいます。なぜならこれが主の救いのみ業に参与するためのわたしたちの手段だからです。
祈りはわたしたちの手にある第一の仕事の道具です。一生懸命祈るということはわたしたちの信仰と忍耐を強めるのに役立ちます。すなわち本当に重要で必要なことのためにわたしたちが神とともに戦う能力を強化してくれるのです。祈りにおいてわたしたちは一人ではありません、いつも神とわたしの二人です。重要なことのために神とわたしの二人で一緒に戦うのです。
イエスが弟子たちに「主の祈り」を教えられたとき,そこには三つの基本的な必要が明示されています。「パン」と「ゆるし」と「誘惑に対抗する助け」です。
パンなしに、ゆるしなしに、また誘惑において神からの助けなしに、誰も生きることは出来ません。
なぜなら「パン」は毎日必要不可欠ですし,またゆるしも同様です。ゆるしは何よりも先ずわたしたちが神からいただく第一の賜物です。
自分が神の限りないいつくしみによってゆるされた罪人であるという自覚を持つものだけが、兄弟姉妹たちに対して具体的な和解の態度を示すことが出来るのです。もしも自分が神からゆるされた罪人であるとの自覚がないなら、誰も決して人をゆるす事も人と和解することも出来ないでしょう。
全ては自分はゆるされた罪人であると感じる心から始まるのです。またわたしたちの人間的な状態は常に悪からのさそいや腐敗の危険にさらされていることを誰もが実感します。だからこそ天の御父に全ての誘惑に打ち勝つ力、聖霊を熱心に祈り求めなければならないのです」。