「キリストにならい、行いと生き方を通して『希望の宣教者』となれ」

教皇フランシスコ、10月4日、バチカンでの一般謁見で – ANSA

(2017.10.4 バチカン放送)教皇フランシスコは4日、バチカンで水曜恒例の一般謁見を行われ、謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)で、「キリスト教的希望」をテーマに「今日において『希望の宣教者』であるとはどういうことか」を考察された。

 まず教皇は、「キリスト者は不運の預言者ではない、キリスト者が告げるのはその反対のことなのです」とし、「イエスは愛のために死に、神はイエスを復活させられた―これがキリスト教信仰の核です」と話された。

 そして、「もしも、福音書がイエスの埋葬で終わっていたならば、イエスは預言者として、理想のために命を犠牲にした英雄たちの伝記に加えられ、福音書はためになり慰めを与えこそすれ、『希望を告げるもの』にはならなかったでしょう」「しかし、福音書は聖金曜日で終わることなく、その先へと進み、まさしくこの最後の部分が私たちの人生を変えることになったのです」と説かれた。

 『イエスの十字架上での死』によって、弟子たちの師イエスと過ごした熱狂的な3年間は終わり、彼らは『すべてが終わった』という思いの中で失望し、恐れおののいていた。それが、「『イエスの復活』という思いがけない出来事で、弟子たちのその思いはくつがえされ、さらに聖霊降臨によって変容させられました。イエスの復活は、聖霊の力と共に、私たちを変えたのです」と強調され、「イエスの復活を告げるには、言葉だけでなく、『行いと生き方を通した証し』が必要です。信仰から来る希望を、人を受け入れる態度や、微笑み、特に愛することで示していかねばなりません」と訴えられた。

 さらに、復活の力は、キリスト者に、困難の中でも、愛することを可能にする、とされ、「キリスト者には、精神力や楽観主義だけでは説明できない何かがあります」「ある存在に助けられて、キリスト者の頭上には、空が大きく広がっています」とその力を表現したうえで、「キリスト者のこの世の課題は、救いの空間を開くことにあります」と強調された。

 また、「真のキリスト者は、悲しみに沈まず、怒らず、復活の力によって、いかなる悪も無限ではなく、終わらない夜は存在せず、人間は永遠に誤りの中に留まらず、『どのような憎しみも、愛には勝てない』と確信している人のこと」と話された。

 終わりに、教皇は、中東のキリスト教徒をはじめ、迫害の中にも、神に希望を置き、人々と共に留まった信者たちの存在を思い起こし、彼らを「真のキリスト者」として称えられ、「私たちは、復活したキリストにおいて希望を保ち続けることができるのです」「キリスト者が希望の宣教者であるのは、自分たちの力ではなく、地に落ちて死に、多くの実をもたらした一粒の麦、イエスのおかげでなのです」と念を押された。(「カトリック・あい」編集)

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2017年10月5日