「キリスト教的希望は、希望の無いところにこそ表される」

 教皇は「使徒聖パウロは『ローマの信徒への手紙』の中で、アブラハムを信仰の父としてだけでなく、希望の父として示しています」とされた。神はアブラハムに、救う神、絶望と死から解放する神としての姿を啓示され、「これによってアブラハムの全生涯は、解放し再生させる神への賛歌、預言となった」と語り、「神は私たちにとっても同じ方であり、私たちはイエスの過ぎ越しの神秘を通して、この救いの完成を思い起こし、記念するのです」と説かれた。

 さらに、聖パウロが信仰と希望の関係を示している通り、「キリスト教的希望は、論理や、予測、人間的な保証に基づかず、希望の無いところ、希望するすべもないところにこそ表されるのです」とし、「偉大な希望は信仰を土台したものであるがゆえに、希望の無い状況をも乗り越えていける。私たちの希望は、自分の言葉ではなく、神の御言葉に基づいているからなのです」と強調された。

 そして、教皇は、信者たちに「私たちもまた、『神は私たちを愛され、私たちに約束されたことを完成してくださる』と信じていますか」と問われ、この約束の完成に私たちが払う唯一の代償は「神への信仰に心を開くこと、だけなのです」と述べられた。そして「人間的な視点による約束に基づいた希望は不確かなものですが、復活と命の神の約束は、たとえ死を前にした時でも、確かなもの」と強調された。

 

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2017年3月30日