(2017・3・26 CRUXバチカン特派員 イネス・サン・マーチン)3月22-25日開催されたアフリカ教会サミットでは4人の枢機卿と司教たちが居並ぶ中で、「権力のあるものは、のん気に構えないで。信者が群集の中で迷子にならぬように努めて」と訴えたのはナイジェリア出身の一信徒の女性だった。
3月22日から25日の会議は、ノートルダム大学倫理・文化センターの支援で開催され、ナイジェリアのフランシス・アリンゼ枢機卿やジョン・オナエカン枢機卿、コンゴ民主共和国のローレン・モンセングォ枢機卿、現在バチカンの最重要職の長であるガーナのピーター・タークソン枢機卿などを含め多くのアフリカの高位聖職者が出席した。アフリカ大陸の各地から司教、神学者、大学教授や学生たち、そして、少数の一般信者も参加した。
その会議で、ナイジェリアのアブジャで人材紹介のコンサルタントをしている信徒、オビアゲリ・ヌゼンワ女史の発言が注目された。彼女は「カトリック教会が、アフリカの信者たちを、特に”ペンタコステ派”の挑戦から守ってくれるように」と強く求めた。「教会の目的は、信者の数を維持することのみにあってはならず、主体性のあいまいさと、受け身の消極的な信仰生活を止めねばならない」というのが彼女の考えだ。
彼女の経験から、アフリカのカトリック教会が直面している課題と、欧米の課題には、同じものもあれば違うものもある。「ナイジェリアの小教区はどこも、あまりにも多くの数の信者がいて、人々がしばしば群衆の中で迷子になってしまう」という彼女の訴えほど、違いを示しているものはないだろう。オナエカン枢機卿が会議で述べたように「ナイジェリア人なら無視されるくらいなら撃たれたほうがましだ」と思うだろう。小教区としての大きさをみれば、どうしてこんなことになるかよく分かる。
ナイジェリアのカトリックの中心地である南東部のジョージ・アディミケ神父がCruxに語ったところによると、彼の教区では、カテドラルでは日曜はいつでも13回ミサがあり、どのミサにも約2000人が出席する。17人の司祭で毎週平均約2万6千人を超える集まり、共同体という実感もなく、気づかれることもなくその集会から帰るというヌゼンワ女史から出された意見は全く妥当なものだ。
一つの対応策として、彼女は「ミサに始まり、聖書の勉強や急な問題の話し合い、最後は軽く飲食して終わるような共同体のグループ作りをもっと推奨したらどうか」と提案した。彼女がCruxに語ったところによると、多くのカトリック信者がカトリックに代わるもの-それはたいていペンテコステ派の教会だーを探したくなる原因の一つが、「教会に深い人間関係が欠けていることだ」。
会議では、カトリック教会に影響を及ぼすアフリカの大物たちが講演者や聴衆として居並んでいたにもかかわらず、アフリカで、カトリック教会が直面している問題の原因を明確にし、その解決法まで提案したのはこのヌゼンワ女史だった。彼女によると、主張の大部分は、最近教会離れをした人たちの話に基づいており、その理由はどこにでもある一般的なものだった。彼女はまた、「多くのカトリックの若者たちが、親から押し付けられた信仰を持たされ、道徳的問題に厳格で、説明もなければ、別の道の選択の余地もない規則を押し付けられていると感じている」と語った。礼拝のスタイルも、「時にあまりに厳格で、アフリカの人々の幸せを表すものではない。私たちは礼拝の時でさえも、踊らなくては」と言う。
家庭に関する司教たちのシノドスの間に繰り返された問題については、「異なる宗派の者同士で結婚した場合の問題についても、カトリック信徒と結婚したのちカトリックになったものとして、話すことがたくさんあります」と指摘した。また、とくに聖職者たちによる性的問題のスキャンダルが信徒たちに及ぼしたダメージについても取り上げ、「私たちはこれらのスキャンダルの衝撃が『教会の神聖さを奪うことはできない』と教えられているけれど、信徒たちは司祭の中に、また司祭の行動の中に神を見るので、そのようなスキャンダルは決定的に信徒を挫けさせるのは確かです」と強調した。
大量のカトリック離れの原因を並びあげたのち、彼女はまた、人々をきちんと信仰に導き、教会離れ防ぐためのいくつもの提案をした。
まず第一に、家族が世俗的性や、ペンタコステ派や、たくさんの教義や信条と取り組まなくてはならないので、まずは、正しい理解を持って小さいころから信仰を持つよう教えるようにすることが極めて重要。それによって、信仰が次の世代に受け渡されて行くような方法を再検討すること、実践においても信条においても神の啓示を確信することから生まれるべき何かが必要。「一般信徒も聖職者も、ミサにしても子供たちへのプログラムにしても、彼らが教義を植え付けられ、信仰が深まるように、もっと信仰を幅広いものにする方法を考え出さねばなりません」「さらに、カテキズムの先生たちはちゃんと訓練を受けて、こどもたちが安易に教え込まれるくだらない教義を吹き込まれたり混乱させられたりしないように、学校と教会の連携を強くする必要があります。」
第二に、司祭たちが伝えるメッセージに心を配るように説教壇の威力を復活することが重要。たくさんの司祭たちが退屈な説教をしている。「例えば、お説教があんまり学問的だと、みんな分からなくなり、あまりありふれたものだと、ただの懇親会になってしまう」。
第三に、「事件にだんまりを決め込んで、ただ関係した司祭を移動させる」よりも、教会の人間的な面を認めること。「その方が、既に失望されてしまったカトリック教会の信頼回復のプロセスの助けとなる」。
そして、教会は、過去の栄光に胡坐をかいていてはいけないーこの忠告のように、「のん気に構えていることほど危険なことはない」のだ。
(岡山康子訳)