・「パトモスの風」 ⑩ 神様が創世記で語られた『敵意を置く』とは

先月のコラムについて、知人から次のような感想をいただきました。

 「私は、神様が創世記で語られた『敵意を置く』(3章15節)について、どうしても飲み込めないものがあります。約束を守らなかったアダムとイブに象徴される人間の罪に対して、神様は永遠に『敵意を置く』という言葉で罰せられました。『敵意を置く』という言葉は、とても厳しいものです。人間の本質的な部分は、神様から『敵意を置く』と厳しく諭されましたが、イエス様を通して赦されていくものと、信じたいです」。

 ここには、自分の考えを伝える私の努力が足りなかったために、少し誤解があったと思います。そこで、前回の内容をもう少し掘り下げて分かち合いたいと思いました。

 それは、世が「言」を認めず、民も受け入れなかった理由を創世記に探した時でした(ヨハネ福音書1章10~11節参照)。この時も、前々回のように、創世記の「蛇」は、初めの女と男の間に発現した「人間の情報」だと捉えてみました。前回考察したように、アダムは「女」と共有した「人間の情報」を、彼女と異なる捉え方をしたために、「善悪の知識の木」の実を食べた後、神と対峙した時、すでに「神への敵意」を持っていました。このアダムが持った「神への敵意」は、アダムからすべての子孫に伝わっていきました。しかし、アダムの子孫は、同時に「女」の子孫でもありますから、「私は敵意を置く」という御言葉も、すべての子孫に伝わっていったのです。

ここに「敵意」が二つ継承されました。人が抱いた「神への敵意」と、神が人と「人間の情報」との間に置いた「私は敵意を置く」という御言葉です。

 問題なのは、人が抱いた「神への敵意」が進化する事です。「私は敵意を置く」という御言葉は、人が「人間の情報」を神と区別して、神との関係を守ることができるように働くので、神ご自身が変更されない限り、変わらず働きかける永続性があります。しかし、人が持った「神への敵意」は、人間の知識の進化と共に変わっていく、ということです。それも他の生き物に比べて急速に進化するのです。この事情を考えてみたいと思います。

 そもそも神が「人を創ろう」と決心された時、人を大地の土で作ったので、人はアダム(「土の人」)と呼ばれたのだそうです。はっきり書いていないので分かりにくいですが、創世記1章で書かれた男と女は、ヘブライ語では、雄と雌といったニュアンスで書かれているようです。神は、人を神のイメージで、神との類似点を持った者として造ろうと決心されたのですが、まずはとにかく神のイメージで人の肉体を創った、というように書かれています。

 それでは、もう一つの似姿、つまり類似点はどうなったのかというと、それは創世記の2章に詳しく書いてあります。

 2章の冒頭には、まず、神が森羅万象を完成され、そのすべての業を終えて休まれ、その日を聖別されたことが書かれています。それはイエスが、「まことの礼拝をする者たちが、霊と真実をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真実をもって礼拝しなければならない」(ヨハネ福音書4章23~24節)と言っておられる、だから、神が人を創造されたのは、「人が地を従わせ、あらゆる生き物を治めて、森羅万象をあげて神を礼拝するように計画されたのだ」と私は思うのです。人は、神が聖別された日に向けて創造されたのです。

 そのために、神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き込まれました。人はこうして生きる者となった、ということを改めて書いて、神がご自身との類似点を人に授けたことを証ししたのです。

 後でアダムに神が、「土から取られたあなたは土に帰るまで/額に汗して糧を得る。/あなたは塵だから、塵に帰る」(創世記3章19節)と告げた言葉にある、「土から取られたあなた」と「あなたは塵だから」は、まさに肉体と霊から成る人を言い表しています。私たちには2つの死があるということなのでしょうか。

ここまでお読みくださってありがとうございます。このまま続けると、ずいぶん長くなってしまうので、また次回に続けたいと思います。どうか共に考えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

(横浜教区信徒 Maria K. M.)

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2026年3月30日