(2026.3.29 Vatican News Devin Watkins )
教皇レオ14世は29日、聖ペトロ広場で、受難の主日(枝の主日)のミサを捧げられ、説教で「戦争を拒み、戦争を仕掛ける者の祈りに耳を傾けない、平和の王」としてのイエスについて語られた。
イエスが「ご自分に暴力が迫る中でも、自らを『平和の王』として示されたこと」を強調された教皇は、「イエスが十字架の道を歩まれたように、私たちもイエスと共に歩み、人類のために愛の賜物として背負われたイエスの受難」を黙想するよう信者たちに求められ、「他者が暴力を煽る中でも、イエスは柔和さを貫き通されます…他者が剣や棍棒を振りかざす中でも、イエスは人類を抱きしめるためにご自身を捧げられるのです」と語られた。
そして、闇と死が自らを飲み込もうとしていたまさにその時、「イエスは、世界に命と光をもたらすために来られました。イエスは世界を父の御腕へと導き、私たちを神や隣人から隔てるあらゆる障壁を取り払おうと望まれていたのです」と指摘された。
また教皇は「平和の王」という言葉を幾度も繰り返されながら、「平和をもたらそうとするご自分の願いを証しする、受難におけるイエスの行い」を強調。ある弟子が大祭司の僕を打ち、その耳を切り落とした時、イエスは「剣で生きる者は剣で死ぬ」と述べ、その弟子に剣を収めるよう命じられた。
「十字架にかけられ、死に至ろうとした時でさえも、イエスは自ら武器を持ったり、身を守ったりすることはなく、屠殺場へ連れて行かれる小羊のように身を委ねられます。イエスは、常に暴力を拒む神の優しい御顔を現された。自らを救うことよりも、十字架に釘付けにされることを受け入れ、人類の歴史を通じてあらゆる時代、あらゆる場所で背負われてきたすべての十字架を受け入れられたのです」と語られた。
教皇はさらに、預言者イザヤの言葉を引用する形で「あなたがたがいくら祈りを捧げても、私は聞き入れない。あなたがたの手は血にまみれているからだ」(イザヤ書1章15節)と述べられ、「イエスは平和の王であり、戦争を拒絶する方。誰もイエスを戦争を正当化するために利用することはできません… イエスは戦争を仕掛ける者たちの祈りに耳を傾けることはなく、それらを拒絶するのです」と言明。
そして、教皇は、今日の世界における人類の家族の多くの傷を嘆かれ、「暴力に抑圧され、戦争の犠牲となっているすべての人々が、痛ましい呻きをもって、神に叫び求めているのです」とされ、「平和の王であるキリストは、十字架の上から再び叫ばれます―『神は愛である!憐れみよ!武器を捨てよ!あなたがたは兄弟姉妹であることを思い出せ!』と」と語られた。
説教の最後に教皇は、御子の十字架の足元に立たれた聖母マリアに注意を向けられ、神の僕トニーノ・ベッロ司教の言葉を引用して、次のように祈られた。
「聖母マリアよ、どうか私たちに確信を与えてください。いかなることがあっても、もはや死は私たちを支配しないこと、人々の受ける不正には終わりが来ること、戦争の閃光は黄昏へと消え去ること、貧しい人々の苦しみは息絶えようとしていることを。そして、暴力と苦痛のすべての犠牲者の涙が、春の太陽の下で霜が溶けるように、まもなく乾くとの確信を、お与えください」。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)