(2017.3.19 Crux Editor John L. Allen Jr.)地政学と反テロの専門家は、世界中で行われているキリスト教徒への迫害を現実の危機とは見なしていないようだ。それは、一つには、キリスト教徒が武力で反撃をしようとしないことがある。アフリカでは、とくにナイジェリアではそのような‶伝統″がいつまでも続くと思えないことが起きつつある。
最近数か月の間に、ナイジェリア中央のカドゥナ州南部で、遊牧民労働者が現地の農民を襲い、数百人が命を落とした。遊牧民の大部分はイスラム教徒で、農民はキリスト教徒だったから、宗教的な側面があったことは否定できまい。
ナイジェリアは世界で最も大きいイスラム教徒とキリスト教徒が共存する国だ。2つの宗教の信徒が1億9000万人の人口のほぼ半分づつを占めている。首都アブジャのイマームが語ったように、バチカンとサウジアラビアが一つになったような国なのだ。
カトリック教会は昨年12月に、カドゥナの衝突で800人以上が命を落としたと見ているが、ナイジェリア政府は公式発表で、それよりも死者数は少ない、としている。政府幹部はまたこの衝突には宗教的な要素はないと強調し、少数民族のフラニ族遊牧民とその地域で農業を営む小さな部族の集団の間で生じた緊張によるものだ、という見方を示している。だが、フラニの武装集団が「アラー・アクバル」と叫び、イスラムの旗を振り回し、「異教徒をこの地から追い出す」と公言しながら、自分たちの村を焼いているのを目撃したキリスト教徒の農民たちにとって、そのような言い方は通じない。
ナイジェリアの問題は、孤立したカドゥナの農民の共同体社会は無力だが、同国全体としてみた場合、キリスト教徒は無力ではない、ということだ。彼らは国の人口の半分を占めており、キリスト教徒の企業経営者、政治家、その他の専門職で功している人は多くいる。その意思があれば、武力で反撃することができるのだ。実際、二人のフラニ族牧童が18日、カドゥナ南部で殺された。明らかに先日の事件の報復とみられ、多くの関係者は紛争拡大の前兆ではないかと懸念している。
2015年6月、同僚記者、 Inés San Martín と私はナイジェリアの別の場所にいたが、そこでは、イスラム教徒の遊牧民とキリスト教徒の農民の間で紛争が何年も繰り返されており、犠牲となった人たちは、紛争に宗教的な側面があることを隠さなかった。「本当の問題は宗教的な危機にあるのです」とナイジェリア・キリスト教会の会長、ダウダ・ムサ・チョイア師は語り、キリスト教徒を襲ったフラニ族武装集団に他の少数民族のイスラム教徒も加わっていた、と非難した。
もう一つ、ナイジェリアのキリスト教徒が共感を示していることがある。それは彼らが、‶左の頬を出す″ことに耐えられなくなっており、相手と同じ銃火で反抗する用意が次第に整ってきている、ということだ。キリスト教徒の弁護士で、プラトー州の多くの犠牲者の家族を代表しているダイロップ・サロモン氏に聞いたことがある。「なぜ自分たちを襲う人々に反撃しないのか」と。彼は答えた。「我々には、反撃する武器がないのです。武器が手に入れば、それを持って、戦う権利が法的に認められている」。
サロモンは、この地域のキリスト教徒は「国際機関が、政府の保護を得られない人々には武器を購入して自分を守ることが認められる、との判断を示してくれることを望んでいる。我々は常に受け身だ」「なぜなら、キリスト教徒はいつも犠牲者なのです」と指摘している。
暴力の犠牲者の1人、ダイロップ・ダボウ・ジュグ氏も全く同じ考えだ。「我々の宗教指導者たちがなぜ『戦ってはならない』と教えるのか、理解できない。彼らは、何もしてはならない、これが我々の宗教の行き方だ、と言う。だが、我々は自分たちを守らねばならないのです」。
これらすべてが、キリスト教徒に対する迫害の激化になぜ注意を払わねばならないかの理由だ。大規模な人権侵害、信教の自由、良心の自由、そして特にキリスト教徒にとって、信仰上の私たちの兄弟姉妹に関わることだ、と言うことで十分だ。もしそれが不十分なら、反テロ戦略の問題である、ということも言える。仮にキリスト教徒と他の宗教的少数者たちが世界の様々なところで罰されることのない攻撃の標的になるなら、過激な行動を誘発し、地域を不安定にし、世界を今よりも危険なところにしてしまうだろう。
ナイジェリアが際立だせているのは、キリスト教徒に対する迫害を深刻に捉えるさらに別の動機だ:暴力行為が起きており、キリスト教徒がもはや嵐が過ぎ去るのを待つ、小さく、弱々しい羊の群れではなくなっている地域が、地球上にはいくつもある、ということである。彼らには(反撃するための)人数も、資源もあり、暴力を振るわれる時間が長くなればなるほど、‶左の頬を出す”ことは、なくなってくる。
すでに、中央アフリカ共和国でこの見方を立証することが起きている。多数派を占めるキリスト教徒が、我慢の限界に達し、武装集団を組織し、血で血を洗う悪循環の引き金を引き、何千人もの死者を出し、何十万人の難民を生んでいるのだ。この国が小国で、500万人に足らない内陸国だとしても。仮にナイジェリアで同じことが起きたら、広範な地域で連鎖が起き、アフリカ大陸でキリスト教徒とイスラム教徒の‶世界大戦″に似た現象を目の当たりにするような事態になり得る。
ほかの例が必要なら、エジプトを考えればいい。キリスト教徒の推定人口には様々な見方があるが、少なく見積もって1000万人はいるだろう。彼らが過激になれば、この国の安定にとって深刻な脅威になるだろう。中東全域の現状をみれば、追加的な安定措置がほとんど必要ない、とはとても言えない状態だ。
さしあたり、キリスト教徒迫害によってもたらされている地政学的リスクに関する冷徹な分析は、遠慮なく言えば、キリスト教徒が一般的に言って、反撃をしないという可能性は、極めて少ない、ということだ。
(南條俊二訳)
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