
教皇レオ14世は11日、教皇庁立キリスト教考古学研究所創立百周年を記念する使徒的書簡を発表され、その中で考古学の重要性を強調、「この学問分野は、神が肉となられた事実を証ししている」と指摘された。
そして、「発掘作業、遺跡の物理的取り扱い、時代の活力を再発見すること―キリスト教考古学者の仕事は物質的なものだけでなく、真に人間的なものにまで及ぶ。発見された遺物を形作った手、それを構想した心、そしてそれを愛した心です」と語られた。
*物質と神秘は、キリスト教考古学における二つの交差する糸
教皇は続けて、「物質と神秘は、キリスト教考古学における二つの交差する糸。キリスト教は、思想から生まれたのではなく、肉体を通して…子宮と身体と墓を通して生まれたからです」とされ、「最も本質的な核心において、キリスト教の信仰は歴史的であり、特定の出来事、顔、身振り、そして特定の言語・時代・環境で語られた言葉に根ざしています。これこそが、考古学が明らかにし、実感させるものなのです」と説かれた。
そして、「神は人間の言葉で語り、地を歩み、場所や家、会堂や街路に宿ることを選ばれた。だからこそ、人工知能と無数の銀河探査が特徴のこの時代において、キリスト教考古学は、依然として、社会と教会にとって多くの実りをもたらす研究分野となり得るのです」と強調。「キリスト教神学は、初期の数世紀の信仰を証しする場所や物質的証拠を解明せずに完全に理解することはできません」と語られた。
*考古学は「文化的持続可能性」と「精神的生態学」の学校
そのようにして考古学と神学は、キリスト教考古学者の仕事の中で絡み合い、「信仰の物理的痕跡」を慎重に扱う鋭い感性をその基盤としており、「石や廃墟、その他の遺物を調べることで、信仰に触れたもので、何一つ取るに足らないものはない、と教えてくれます。考古学は…最も小さな証拠片でさえ注目に値し、あらゆる細部に価値があり、何も捨て去れないことを教えてくれます」と指摘された。
また、「考古学は、物質と記憶と歴史を尊重することを教える『文化的持続可能性と精神的生態学の学校』と見なすことができる。何も捨て去られることはない。歴史の記念碑たる最小の品々さえも保存され解読される。なぜなら、あらゆる発見の背後には『時代の精神、信仰の意味、祈りの沈黙』が横たわっているからです」と語られ、考古学者の「眼差し」は「今日の司牧と教理学習のあり方について多くを教えてくれる眼差しです」と述べられた。
*考古学は神学教育の基礎部門に数えられるべきだ
続けて教皇は、「現代の技術的手段は、これまで『取るに足らない』と考えられていた発見物から新たな情報を引き出すことを可能にする。この意味で、考古学はまた、『希望の学校』でもあります」と指摘され、教皇フランシスコの使徒憲章『真理の喜び』を思い起こしつつ、「考古学は、教会史や教父学と共に、神学教育の基礎学問に数えられるべきです」と主張された。
そして「考古学は、過去の事象だけでなく、人々について語り、私たちが、啓示が歴史にどのように具現化されたか、福音が文化の中でどのように表現され形成されたかを、理解する助けとなる。したがって考古学を受け入れる神学は、教会の身体に耳を傾け、その傷を評価し、その徴を読み取り、その歴史に触れる神学です。同時にそれは、慈善の一形態でもある。なぜなら歴史の沈黙に声を与え、忘れられた者たちに尊厳を回復させ、教会を築くことに貢献した多くの信徒たちの無名の聖性を明るみに出すからです」と説かれた。
*歴史的真実に基づいて、キリスト教の希望を聖霊の新しさへと導く、福音宣教の貴重な道具となる
さらに、「キリスト教考古学の使命はまた、福音宣教にある。すなわち、教会がその起源を思い出し、始まりの記憶を保ち、救いの歴史を言葉だけでなく、イメージや形態、空間を通じて語るのを助けることにあるのです。文化がその根源を見失いがちな時代において、考古学は、歴史的真実に基づいて、キリスト教の希望を聖霊の新しさへと導く、福音宣教の貴重な道具となります 」とされた教皇は、「過去に福音がどのように受け入れられたかを考察することは、今日、それを広める動機となる。それは信徒だけでなく、人生の意味を問う信者出ない人々や、しばしば真実性と意義を求める若者たちにも、語りかけるものとなります」と指摘。
「考古学は、対話の強力な手段となり、隔たれた世界や文化、世代の間に橋を架ける助けとなる。それは、キリスト教の信仰が決して静的な現実ではなく、人類史の最も深い層にまで浸透しうる動的な力であることを証しすることができる」と強調された。
*考古学の強みの一つは、『時間を超越し、物質を凌駕する存在の力』を垣間見せる能力だ
また「考古学の強みの一つは、『時間を超越し、物質を凌駕する存在の力』を垣間見せる能力にあります。このことは、啓示の神学に対する考古学の特異な関連性も説明しています。キリスト教考古学は、物質的証拠によって聖書を照らし… 文献資料を検証し、補完し、精査し、場合によっては伝承の真正性を確認し、時にはそれらを適切な文脈に位置づけ、新たな疑問さえ提起します」と指摘。
「ですから、神学が啓示に忠実であるためには、歴史の複雑さ、その「挑戦と葛藤」、「輝きと闇の瞬間」に開かれていなければなりません」とされたうえで、「教会の神秘への深い理解が、その起源への回帰と歩みを共にするのは偶然ではない。教会は、自らの誕生過程と本質的特徴を研究することで目覚め、刷新されるのです… これは、教会生活を『過去の崇拝』に還元することではなく、『生きた記憶』の問題。つまり、『過去を現在に語りかける能力』と『歴史を導く聖霊の役割を認識する知恵』です。『創造的な忠実さ』であって、『機械的な模倣』ではありません」と言明。
キリスト教考古学はこうして「共通言語、共有基盤、和解した記憶」を提供し、「多様性の中に存在する統一性」を認識させ、「傾聴の場、対話の空間、識別のための道具」となる、と述べられた。
*キリスト教考古学研究所創設の精神に忠実であるとは、共有し、伝え、他者を巻き込むこと
教皇は続けて、ピオ11世が1925年の「平和の聖年」にキリスト教考古学教皇庁研究所を設立したことを取り上げ、「その創立100周年の今年が『希望の聖年』に当たることは、数多くの戦争に揺れる人類に、新たな地平をもたらしうる偶然です」とされ、「研究所は戦後の不安定な状況下で、勇気と先見性をもって創設された。この創設の精神に忠実であるとは、エリート主義的な知識に閉じこもることではなく、共有し、伝え、他者を巻き込むことではないか、と今日の私たちに問いかけています」と説かれた。
そして、「この点において、教皇庁考古学アカデミー、聖遺物考古学教皇庁委員会、殉教者崇敬教皇庁アカデミー、キリスト教考古学教皇庁研究所など、考古学に関わる他の機関との連帯が欠かせません」と強調。 「考古学はまた、キリスト教東方教会との実りある協力の機会も提供しています… 共有されるカタコンベや教会、類似した典礼慣行、共通する殉教者名簿は、共に評価すべき精神的・文化的遺産を構成しているのです」と付け加えられた。
*司教や文化・教育分野の指導者たちに「若者や信徒、司祭たちに考古学を学ぶよう促せ」
さらに教皇は、「教会は、記憶を育む教育を担うよう求められている」とされ、「キリスト教考古学は、そのための最も高貴な手段の一つ。過去に逃げ込むためではなく、意識的に現在を生き、永続的な未来に向けて働くための手段なのです… この意味でキリスト教考古学は、『希望の奉仕』でもある。なぜなら、信仰が、過去の困難な時代を生き延び、迫害や危機、変化に耐え抜いたこと… 刷新され再生されてきたこと… 福音には常に創造力が宿り、教会は常に再生あなたがたし、希望は決して消えなかったこと、を示すからです」と強調された。
*キリスト教考古学に携わる人々に「『命の言葉』を可視化する努力に、忠実であり続けよ」
使徒的書簡の最後に教皇は、司教や文化・教育の指導者たちに対し、「若者や信徒、司祭たちに考古学を学ぶよう促してください」と求める一方、キリスト教考古学の実践に携わる人々には「あなたがたの仕事は計り知れない価値がある。キリスト教考古学は、奉仕であり、召命であり、教会と人類への愛の形です」とされ、「あなたがたの献身の真の深い目的、すなわち『命の言葉』を可視化する努力に忠実であり続けてください。神が受肉されたこと、救いが痕跡を残したこと、この神秘が歴史的物語となったこと、を証ししてください」と励まされた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)