教皇は、この徹夜祭で「平和の賜物」を祈るよう参加者たちに求められ、ロザリオの祈りにおける黙想で、「神から授けられた賜物である平和を、私たちが受け取るよう努め、強く誓約すべきものである平和を、倦むことなく祈り続けるように」と呼びかけられた。
そして、イエスの言葉を決して「地に落とす」べきではない、と強調。受難前のゲッセマネの園における「剣を置きなさい」という御言葉を、「武器の放棄への熱烈な訴え」として取り上げ、「平和は無防備であり、武器の放棄をもたらすものです。抑止力ではなく兄弟愛であり、最後通告ではなく対話なのです」と語られた。
さらに教皇は「平和は『敵に対する勝利の結果』として訪れるのではなく、『正義と勇気ある赦しを蒔くことの果実』として訪れるもの… 『剣を収めよ』というイエスの言葉は、世界の権力者たち、諸国民の運命を導く人々へのメッセージです。『武装解除する勇気を持ちなさい』と」とされ、「イエスは同時に、いかなる思想、信仰、政策も殺戮を正当化しないことを、私たち一人ひとりが認識するよう、招いておられます。まず自らの心の武装を解かねばなりません。なぜなら、内なる平和を持たなければ、他者にそれを与えることはできないからです」と説かれた。
教皇の「武装解除」の呼びかけは、福音書におけるマリアの言葉に基づくマリア的霊性についての考察の中でされた。「このマリアの霊性の聖年において、私たち信者は希望の巡礼の道を導いてくださる聖母マリアに目を向けます。真のマリアへの信仰とは、マリアの人間的かつ福音的な徳に倣うこと」とされ、苦しむすべての兄弟姉妹、そしてあらゆる被造物に対する「思いやりの賜物」を祈るよう呼びかけられた。
そして福音書に記されたマリアの最後の「尊い」言葉-「この方の言いつけ通りにしてください」(ヨハネ福音書2章5節)を思い起こされ、「灯台のように、マリアは自らを超えた先を指し示し、最終的な行き先が主イエスとその御言葉であることを示しておられます… 神の母は私たちに『福音を生きていくこと─それを体現し、決意と喜びをもって実践すること』を呼びかけ、そうすることで私たちの人生が『空虚で退屈なものから、満ち溢れ活気に満ちたものへと変容する』ことを知らしめておられます」と述べられた。
続けて教皇は、信者たちに「異なる視点」を採用するよう呼びかけました。すなわち、権力者の視点ではなく「小さな者たち」の視点から世界を見ること―「未亡人、孤児、旅人、傷ついた子供、亡命者、逃亡者」の視点から歴史の出来事を解釈することを求められた。「私たちがそうすることを学ぶまでは、何も変わることはなく、正義と平和の王国である新たな時代は決して訪れないでしょう」。
最後に、教皇はイエスが山上の説教で説かれた「平和を造る人々は、幸いである」(マタイ福音書5章9節)という言葉を思い起こされた後、 「平和の女王マリア」に祈りを捧げ、次のように助けを願われた—「貧しい者たちと母なる大地の叫びに耳を傾け…奉仕への献身の導き手となり…[そして]キリスト教の愛を生き、証しし、すべての人を兄弟姉妹として迎え入れ、自己中心の闇を捨て去り、人類の真の光であるキリストに従うことができますように」。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)