☩「希望を持つことは、福音に根差した選択をすること」ー教皇、「世界の移民と宣教の聖年」の特別謁見で

Pope Leo arrives in St Peter's Square for the Jubilee AudiencePope Leo arrives in St Peter’s Square for the Jubilee Audience  (@Vatican Media)

(2025.10.4  Vatican News  Linda Bordoni) 

 教皇レオ14世は4日、聖ペトロ広場での「移民と宣教の世界のための聖年」の一般謁見での説教で、アッシジの聖クララを「福音に生きる勇気の模範」として注意を向けられ、キリスト教の希望の意味について考察、希望を持つために「福音に根ざした勇気ある選択をするように」と信者たちに促された。

 教皇は、この日のミサで読まれた福音書(ルカ16章13-14節)を引用され、富ではなく神に仕えることの難しさについて語り、アッシジの聖クララを「若き信仰と徹底した弟子としての生き方の輝かしい模範」として示された。

 この福音書の箇所で、イエスの「あなたがたは、神と富とに仕えることはできない」との言葉を聞いたファリサイ派の人々が、イエスを嘲笑う。教皇は、「彼らにとって、イエスの貧しさに関する説教は荒唐無稽に思えました。より正確に言えば、金銭への執着ゆえに、彼らは個人的にイエスの言葉に脅威を感じたのです」と語られた。

 そして、聖ペトロ広場に集まった数千人の巡礼者に向けて、教皇は、「聖年が『具体的な希望の時』であり、私たちの心が赦しと慈悲を見出し、全てが新たに始まる瞬間です」と強調。「この年において、私たちは、正義か不正義か、神か金か、誰あるいは何に仕えるかを選択しなければなりません」と信者たちに決断を迫られた。

 教皇は続けて、「真の希望は、個人の決断と切り離せません… 希望を持つことは、選択することです」とされ、選択に関わる二つの重要な側面-第一に「我々が変われば世界も変わる」、第二に「選択を拒む者は絶望に陥る危険がある」-を示された。そして、「霊的な憂鬱、すなわち怠惰(アセディア)がもたらす最も一般的な結果は、『何も選ばないこと』だ」と警告。「それを経験する者は、死よりも悪い内なる怠惰に囚われる。一方で、希望を持つことは『選択すること』です」と説かれた。

 次に教皇は次に、アッシジの聖クララの例に言及し、彼女を「勇気ある反体制的な若い女性。神の恵みによって、福音のために決定的な選択をしました」と指摘。アッシジのフランシスコは家族との決別さえ厭わず福音的貧困を受け入れたが、クララの決断は「さらに驚くべきものでした。フランシスコのようになりたいと願い、女性として、あの兄弟たちのように自由な生き方を望んだ若い女性だったのです」と語られた。

 さらに、「キリスト教都市と自認する街でさえ、クララの福音への徹底的な献身は革命的に映りました… 当時も今も、選択は必須。そしてクララは選択したのです。これが私たちに大きな希望を与えます」と述べたうえで、彼女の決断がもたらした二つの永続的な実りとして、①多くの若い女性たちに貧しさの中でキリストに従うよう促した霊感②その選択が「一時の流行ではなく、時を超えて私たちにまで続く証し」となったこと、を挙げられた。

 教皇は再びルカ福音書の16章13節に戻られ、「二つの主人に仕えることはできない」というイエスの言葉に注意を向け、「教会が福音に忠実に生きる時、若さと活力を保ちます… クララは、福音が若者に訴えかけることを思い出させてくれます。若者たちは、選択をし、その選択の結果を生きる人々を好む。そしてそれは他の人々にも選択を希望させます。これは『聖なる模倣』です。福音を選択する時、人は『コピー』になるのではなく、それぞれが自分自身を選択するのです。失った自分を見つけるのです」と説かれた。

 説教の最後に、教皇は、信者たちに「祈りましょう… 金や自分のためではなく、神の王国とその正義に奉仕する教会であるように。聖クララのように、異なる方法で『都市に住む勇気』を持つ教会であるように。そのような教会が、希望を与えるのです!」と呼びかけられた。

 

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

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2025年10月4日