Pope Leo XIV at General Audience (@Vatican Media)
(2025.10.1 Vatican News Deborah Castellano Lubov)
教皇レオ14世は1日、バチカンでの水曜恒例一般謁見で、聖年連続講話「イエス・キリスト、私たちの希望」を続けられ、今回は復活をテーマに「イエスの復活こそ、私たちの希望の源泉…神は赦し、高め、信頼を回復してくださる。傷から恨みを持たずに立ち直る完璧な模範は御子にこそあり、内なる平和を育むことができるのです」と信者たちに説かれた。
講話の冒頭に教皇は、私たちの信仰の中心と希望の核心がキリストの復活に確固として根ざしていることを指摘、「福音書を注意深く読むと、この神秘が驚くべきものである理由は、一人の人間―神の子―が死からよみがえったことだけでなく、その方法にもあると気づきます」と語られた。
そして、「確かに、イエスの復活は大々的に誇るべき勝利でもなければ、敵に対する復讐や報復でもありません… それは、愛が大きな敗北の後にあっても再び立ち上がることができ、止められない旅を続けることができるという、素晴らしい証しなのです」と強調。
また教皇は、「私たちの考え方と反応がキリストのそれと大きく異なる傾向にあること」を指摘。「他者によって引き起こされたトラウマの後、再び立ち上がる時、私たちの最初の反応は往々にして怒りであり、『自分が受けた苦しみの代償を、誰かに払わせたい』という欲求です。しかし、復活された方は、死の冥界から戻られ、復讐はされません。力による威圧的な態度で戻られるのではなく、むしろ柔和さをもって、いかなる傷よりも大きく、いかなる裏切りよりも強い愛の喜びを示されるのです」と語られた。
さらに、「イエスは自らの優位性を繰り返し主張する必要を感じることなく、友人の前に現れ、極めて控えめに、彼らが受け入れるように強いることもされず、ひたすら交わりを取り戻し、罪悪感を克服させることを願ってお現れになるのです… イエスは、恐怖に麻痺した者たちの閉ざされた部屋に入られ、誰も望み得なかった贈り物、すなわち平和をもたらされました」と述べられた。
そして、「『あなたがたに平和があるように』という主の挨拶は、とても率直で日常的であるかのように私たちに響きますが、その言葉は、当惑するほど美しい身振りと共に現れます。イエスが弟子たちに、受難の痕跡を残した御手と脇腹を見せた時の身振りです」とされ、その身振りには、「イエスが今やご自身が受けたすべての苦しみに完全に和解されているため、恨みの影すら見られません」と指摘。
「主が傷跡を見せられたのは、弟子たちを非難するためではなく、いかなる不誠実よりも強い愛を確証するためであり、それは、私たちが失敗した瞬間でさえ、神が退かなかった、私たちを見捨てなかったという証拠です… たとえ私たち失敗した瞬間でさえ、神は退かれなかった。神は私たちを見捨てられなかったのです」と説かれた。
教皇はまた、「裏切りが自分を傷つける時、私たちはしばしば『どうでもいい』『過去のことだ』と言い、真の平安には至らないことがあります… でも、主イエスの働き方や考え方はそうではない。主は「ご自身の傷跡を『赦しの保証』として差し出され、復活とは『過去を消し去る』ことではなく、『慈悲の希望へと変容させる』ことを、お示しになるのです」と強調された。
続けて教皇は、「主は、平和の言葉をもって、使徒たちに『世界の和解の道具』となる責任を託されました… 彼らに息を吹きかけ、聖霊を与えられました。それは父への従順と十字架に至る愛の中で主を支えた、あの同じ霊です」とされ、「その瞬間から、使徒たちはもはや自分たちが目撃し、聴いたこと、すなわち『神が赦し、高め、信頼を回復される』という事実について沈黙を守れなくなったのです」と指摘。
「これが教会の使命の核心。他者に対する権力を振るうことではなく、まさに値しない時に愛された者たちの喜びを伝えることです… そして、これがキリスト教共同体を誕生させ、成長させた力です」と説かれた。
講話の最後に、教皇は信者たちに、「私たちもまた、遣わされています… 主は御自身の傷跡を示され、『平安あれ』と言われる。主は、私たちに御自身の平和の証人となるよう求めておられるのです」と与えられた使命を果たすよう、強く促された。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)