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(2025.8.22 Vatican News Valerio Palombaro) 教皇レオ14世は22日、自身のX(旧ツイッターア)のアカウントPope Leo XIV @Pontifexで、全世界の信者たちに、ご自身が主導された同日の「平和のための祈りと断食の日(day of prayer and fasting for peace)」への参加を呼びかけられ、イタリアはじめ多くの国の司教団と教会共同体が賛同し、祈りと断食に参加した。
Xアカウントで教皇は、「本日、私たちは、天の元后マリアの記念日を祝います。マリアは平和の女王としても崇められています。主から平和の恵みを請い求めるため、断食と祈りに専念しましょう。#PrayTogether を通じて、憎しみの束縛から解放され、分断と報復の論理を超越し、共通善に鼓舞された共有の願いが実現するよう祈りましょう」と呼びかけられた。
独立系ポータルサイトACLED(Armed Conflict Location and Event Data Project)によると、ガザ、 ウクライナ、スーダンといった世界から注目を浴びている激しい戦闘から、非国家主体が関与するあまり知られていない紛争、解決されていないまま「凍結状態」にある紛争、そして、最近タイとカンボジアの国境紛争やパキスタンとインドのカシミール紛争のように再燃のリスクを抱えるものまで、少なくとも56件が報告されている。
これらの地域の速やかな和平実現を繰り返し訴えてこられた教皇レオ14世は、20日の水曜恒例一般謁見で、22日の天の元后マリアの祭日に「平和のための祈りと断食の日」とすることを明らかにされた。具体的には、憎しみから心を解放し、分断と報復の論理を捨て去り、共通善に鼓舞された和平への願いが世界に広がることを、祈りと断食を通して願うことを、世界の信者たちに求めている。
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世界中で続く戦争、和平実現へ視点の転換が必要
教皇レオ14世の呼びかけはカトリック教会内部では広く受け入れられたが、政治・外交レベルでの「ペースの変化」が依然として実現していない。世界は「断片的な第三次世界大戦」によって分裂しており、昨年の軍事費は記録的な$2.718兆ドルに達した。2022年2月のロシアのウクライナ全面侵攻以来、3年半にわたり、ヨーロッパはバルカン半島での紛争以来、大陸の心臓部で見たことのない血塗られた戦争の悪夢に陥っている。
欧州大陸の周辺部では、アルメニアとアゼルバイジャン間の歴史的な和平合意に向けた進展が見られ、30年以上に及ぶ流血と誤解に終止符を打つ可能性が浮上している。
ガザ地区では、2023年10月7日のハマスの残虐なイスラエルへの攻撃後、ガザ地区の住民を巻き込んだイスラエル軍による徹底的な報復攻撃で、21世紀で前例のない飢餓の深刻化を含めた人道危機が起きている。
レバノンでは、昨年秋の戦闘停止後、最も暗いシナリオは回避されたように見えるが、隣国シリアは、バシャール・アル・アサド政権の崩壊後、重要な転換期を迎えている。
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アフリカは依然として紛争の最も多い大陸の一つだ。スーダンでは、2023年4月に激化した軍と迅速支援部隊(RSF)の権力闘争が、国連が「世界最悪の避難民危機」と形容する事態を引き起こし、1400万人が故郷を追われた。
大陸には他の多くの紛争の温床が存在している。コンゴ民主共和国東部では、数百の武装グループが長年、国の資源を略奪し、流血と不安定を招いている。モザンビーク北部やサヘル地域の多くの国々ではジハード主義者の暴力が続く。エチオピア、ソマリア、リビアでは、もう一つの「忘れられた戦争」によって分断されている。
アジア大陸にも紛争は絶えない。ミャンマーでは、4年以上にわたり、統治する軍事政権と反政府勢力が激突する残虐な紛争が続き、一般住民にも多くの死傷者が出、国境の不衛生なキャンプに閉じ込められた少数民族ロヒンギアの人々の悲劇は忘れられたようになっている。
- 朝鮮半島では、北朝鮮が核兵器を手にし、国力に見合わない軍事力の増強を続け、韓国はもとより、日本など周辺国に軍事的な脅威をまき散らしている。パキスタンとアフガニスタンの国境地帯では、長年注目を浴びないまま紛争が継続している。 オセアニアも例外ではなく、パプアニューギニアでは部族間の暴力事件が時折発生している。
ラテンアメリカは、表立った国家間、国内の武力紛争はないものに、麻薬取引など犯罪と暴力に支配された国が数多く存在する。その中でも、最貧国であるハイチでは、国土の約80%が犯罪組織の支配下に置かれ、政府と国際社会の無力さが浮き彫りになっている。
- 多くの紛争、多くの未解決の問題は、特に最も脆弱な市民に与える苦痛によって結ばれている。教皇レオ14世が指摘したように、世界は「赦しなしに平和は決して実現しない」という理由から、視点の転換が急を要している。「真の赦しは悔悛を待たず、まず最初に与えられるものだ」と、教皇は20日の水曜恒例一般謁見で強調され、「赦すことは悪を否定することではなく、それがさらに悪を生むのを防ぐことだ」と述べている。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)