政治の世界で、特に議会制民主主義国家の首相とその政府、大統領とその新政権にとって、発足後の100日は重要な節目だ。
政府が形成され、主要な人事が行われ、政策の優先課題が設定され、実行段階に入っている。100日時点では任期の方向性が定まっているはずで、具体的な政策実行に本格的に取り組む時期だ。だが、レオ14世教皇は今週末、5月8日の就任から100日目を迎えたが、バチカンからは特別な発表はなかった。
これは驚くべきことではない。まずローマは第一に夏季休暇の真っ最中で、教皇は夏の離宮、カステル・ガンドルフォに滞在している。第二に、教皇職は、首相や大統領(または世俗的な君主)の職務とは、目的と範囲が根本的に異なる。教皇職の教会の生活における役割は、主に教会の教義を守り、教会内および信者間の秩序と調和を保証することにある。
レオは、少なくとも、どのように統治するつもりかについて、いくつかの示唆を与えている。
「私は兄弟としてあなたたちの前に立つ」と、レオは5月18日のミサでの説教で、教皇職の始まりを祝う際に述べた。「私は、あなたがたの信仰と喜びの僕として、神愛の道と共に歩むことを望みます。なぜなら、イエスは私たち全員が一つ家族として結ばれることを望んでおられるからです」。「愛と一致」とレオは述べた。「これらは、イエスがペテロに委ねた使命の二つの次元でです」。
教皇就任の際の説教で、最初の印象よりもはるかに具体的な方針を示した、と言えるかもしれない。彼は、不和と憎しみ、暴力、恐怖—特に違いへの恐怖—の蔓延と、それらがもたらした傷跡について語った。フランシスコ教皇の言葉を借りて、レオは「地球の資源を搾取し、最も貧しい人々を 疎外する経済パラダイム」について言及した。
「私たちの立場から言えば」とレオは述べた。「私たちは、世界における一致、共鳴、兄弟愛の小さな酵母になりたい」と。この三つ—一致、共鳴、兄弟愛—は、福音の柱であり、レオが形成されたアウグスティヌス の霊性の要だ。
「私たちは世界に対して、謙虚さと喜びをもって言いたい—キリストを見よ!彼に近づけ!彼の言葉を受け入れよ!それは照らし、慰める!」と訴えた。 そして、「彼の愛の申し出に耳を傾け、彼の唯一の家族となれ」と言い、司教としてのモットーを提示した—「一つのキリストにおいて、私たちは一つである」。
レオの最初の100日間は、法律や政策、人事において目立った変更はなかった。ウォーレン・G・ハーディングが言うところの「正常化への回帰」だった。(米オハイオ州の共和党員であるハーディングは、この表現を1920年の大統領選挙のスローガンとし、オハイオ州のジェームズ・コックスを大差で破って勝利した。ハーディングは、実は政治の無名人物ではなく、共和党の保守派と進歩派の両翼が受け入れられる妥協案として指名されたダークホース候補だった。)
しかし、レオが印象を残していないわけではない。
聖ペトロ広場での予定外の夜間の散歩と、若者のための聖年の開幕式で歓迎ミサに集まった数千人の若者たちへの即興の演説は、聴衆を鼓舞した。「あなたがたは地の塩です… 世界の光です!そして今日、あなたがたの声、熱意、叫び、すべてがイエス・キリストのために、地の果てまで響き渡るでしょう!」
数日後、若者のための聖年の閉幕ミサ前の 徹夜祭 とミサで、レオはローマのトル・ヴェルガタ公園に集まった推定100万人の群衆を再び熱狂させた。
フランシスコの独創的なスタイルは、極めて個人的で、莫大なエネルギーを放ったが、彼が”爆発的”だったのに対し、レオはむしろ、キリストに焦点を当て、エネルギーを集中させる傾向がある。
レオは、いずれにせよカトリック教会の統治を任されている。彼が行動に移す際は、物事が比較的迅速に進むだろうが、レオは方法論的で正確であり、特に行動に移す際には万全の態勢を整えるだろう。次の100日、そしてその次の100日が注目すべき期間だ。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)