(評論)レオ14世教皇の100日:論争を避けた穏やかな教皇職が浮き彫りに(Crux)

(2025.8.16 Crux   Nicole Winfield, Associated Press)

 ローマ発 — 教皇レオ14世は、最近開かれた聖年を記念する「青年の祝祭」で、数万人の若者たちを驚かせた即興の”教皇車パレード”は、前教皇フランシスコの12年間の治世を特徴付けた非公式な即興性がバチカンに戻ったかのような印象を与えた。

 しかし、その夜、レオが伝えたメッセージは、彼自身のものだった。レオは、流暢な英語、スペイン語、イタリア語で、若者たちに「あなたがたは、地球の塩、世界の光です」と語った。そして、どこへ行っても、希望とキリストへの信仰、そして平和の叫びを広めるよう、彼らを促した。

 ロバート・プレヴォストが教皇レオ14世として100日目を迎える今週末、彼の教皇職の輪郭が明らかになり始めている。それは主に、フランシスコとの連続性、そして変化の兆しが見られる部分だ。おそらく最大の印象は、フランシスコの12年間の時として激動となった教皇職の後で、教皇職に一定の「落ち着きと控えめ」が戻ってきたことだ。

 レオは、論争や教皇職を自分中心のものにするのを何よりも避け、「キリストと平和」に焦点を当てたい、と考えているようだ。

 それはまさに多くのカトリック信者が望んでいることであり、今日の教会が必要としていることに応えるものかもしれない。

 「彼は非常に率直ですが、自発的にマスコミの取材に応じるようなことはしていません」と、レオの母校であるヴィラノバ大学の神学・宗教学部長、ケビン・ヒューズ氏は語る。レオはフランシスコとは異なるスタイルを持っており、「それが多くの人々に安堵感をもたらしている」とヒューズ氏は電話インタビューで指摘した。 「教皇フランシスコを心から愛していた人々でさえ、常に少し息を詰まらせていました。次に何が飛び出すか、彼が何をするか分からなかったからです」。

*論争を避ける努力

 レオは、フランシスコの在位中に深まった分裂を修復するための努力を、最初の100日間で積極的に進めてきた。ほぼすべての場面で団結を呼びかけ、論争を避けてきた。彼の特徴的な課題である「AI(人工知能)がもたらす可能性と危険性に対峙する」という問題は、保守派と進歩派の両方が重要だ、と認めている。フランシスコの環境保護や移民への配慮は、保守派を疎遠にさせた。

 内政では、フランシスコの独裁的なスタイルがバチカンの一部で反発を招いていたのに対し、レオはバチカン官僚機構に対し、安心感と和解のメッセージを送った。

 「教皇は『来て、去る』が、教皇庁は残る」と、レオは5月8日の教皇選出直後、バチカン当局者に語った。

*フランシスコとの継続性は依然として否定できない

 しかし、レオは、史上初の生態学に触発されたミサを執り行うことで、フランシスコの”環境遺産”を確固たるものにした。さらに、ローマ北部の1000エーカーの土地を巨大な太陽光発電所に転換する計画に承認を与え、バチカン市国の電力需要を賄い、世界初の”カーボンニュートラル国家”にするという遺産を推進している。

 フランシスコが始めたバチカン財務の透明性に関する規制を微調整し、他のいくつかの勅令を修正して一貫性と論理性を高めた。また、19世紀で最も影響力のある聖人の一人であるジョン・ヘンリー・ニューマンを「教会の博士」に列聖する決定をフランシスコと共に確認した。

 しかし、彼は前任者ような”座り込みの告白インタビュー”や、見出しを飾る即興の発言は一切行っていない。彼は、自分の前職を含む重要な人事も一切行っておらず、大きな海外出張も行っていない。

 先週、広島と長崎への米国による原子爆弾投下 80 周年に当たって、彼には、「核兵器の保有そのものを”不道徳”だ」とするフランシスコ教皇の斬新な発言に賛同するチャンスがあった。しかし、彼はそうしなかった。

 2025年1月に二度目の米国大統領に就任し、大統領令を次々と発令したもう一人のアメリカ人の世界のリーダー、ドナルド・トランプ氏と比べると、レオは、ほとんど人目に付かないように、ゆっくりと、慎重に、そして静かに新しい職務に就いている。

 レオは、69歳の自分に時間的余裕があること、そしてフランシスコの革命的な教皇職の後、カトリック教会には「少し”息抜き”が必要かもしれない」ということを理解しているようだ。レオをよく知るバチカンのある高官は、彼の教皇職は「教会に”穏やかな雨”のような効果をもたらすだろう」と予想している。

 ペルーのカトリックのカリスマ的団体のメンバー、マリア・イサベル・イバルセナ・クアリテ氏は、彼女や 100 万人以上の若者を、今月のローマでの聖年の「青年の祝祭」に引き寄せたのは、まさに「レオの教会の伝統、その秘跡、そしてキリストへの愛を静かに強調する姿勢でした」と語った。

 イバルセナ氏は、フランシスコ教皇がLGBTQ+のカトリック信者へのアプローチや同性カップルへの祝福承認で、「自分を含む若者たちを混乱させた」と言う。「そのような行為は、教皇がすべきことや教会が教えることを超えている」と彼女は考えている。

 レオ教皇は「結婚は男性と女性の間での秘跡だ」と強調している。「フランシスコは曖昧だったが、レオは明確です」と彼女は述べた。

*アウグスティヌス派の教皇

 

 聖ぺトロ大聖堂のロジアに初めて現れた時から、レオは、自身がまず第一に「聖アウグスティヌスの息子」だ、と主張してきた。これは、5世紀の初期キリスト教の神学者であり敬虔な人物であるヒッポの聖アウグスティヌスを指している。彼の作った規則に基づいて修道生活を送っていた修道士のグループが、13世紀に修道会・アウグスチノ会を「托鉢修道会」として設立した。

 初期キリスト教の他の主要な托鉢修道会—フランシスコ会、ドミニコ会、カルメル会—と同様に、アウグスチノ会は数世紀にわたり西欧で広まった。アウグスチノ会の霊性は、祈りの深い内面的生活、共同体での生活、神における真理を求めて共に旅する姿勢に根ざしている。

 レオは5月8日に教皇に選ばれて以来、ほぼすべての演説や説教で、何らかの形で聖アウグスティヌスを引用している。「彼がこれらのことを提示する仕方には、一種のアウグスティヌス的な風味を感じます」と、アウグスティヌス研究家のヒューズ教授は述べた。

 レオは、フィラデルフィア近郊のアウグスチノ会が運営するヴィラノバ大学を卒業後、同会に入会し、総長に二度選出された。今日に就任してからも、聖ぺトロ大聖堂に近いアウグスチノ会本部を数回訪問し、会員をバチカンに招いていることから、一部には、アウグスチノ会の”共同生活精神”を再現するかどうか注目する向きもある。

*フランシスコの姿を体現する宣教の教皇

 レオはフランシスコ教皇の時代を色濃く反映した人物でもある。フランシスコは2014年にプレヴォストをペルーのチクラヨ教区の司教に任命し、2023年にはバチカンで最も重要な役職の一つである司教省長官に任命した。振り返れば、フランシスコはプレヴォストを後継者の候補として見ていたようだ。

 フランシスコが2013年のコンクラーベで教皇に選出される前の演説で、当時のベルゴリオ枢機卿は、教会の現在の使命を説明する際、プレボストを次のように描写した—「教会は、自分自身を超えて、地理的な周辺だけでなく、存在の周辺へと向かうよう召されている」と。

 シカゴ出身のレオは、成人後をペルーの宣教師として過ごし、最終的にチクラヨの司教に就任した。「彼は『違いの統一』の体現者だ。なぜなら、彼は(米国という世界の)中心から来たが、周辺で活動しているからだ」と、ラテンアメリカ教皇庁委員会の秘書、エミルセ・クダは述べた。

 クダ氏は、ジョージタウン大学で開かれた最近の会議で、レオは「フランシスコが提唱する宣教的な教会の姿を、言葉と行動で体現している」と語っている。

 もっとも、レオがベルゴリオに負うものは多いものの、二人の関係は必ずしも良好ではなかった。

 例えば、プレボストは、自身がアウグスチノ会の総長だった頃、当時ブエノスアイレス大司教だったフランシスコから、「自分の教区での特定の職務にアウグスチノ会の神父を任命したいのだが」と相談を受け、こう返事をした、という。「ご相談は理解します、彼は立派な人物ですが、別のことをせねばなりません」。そして、「別のポストに転任させた」と、2024年に故郷のイリノイ州の信者たちに語った。

 そして、フランシスコが2013年に教皇に選ばれた時、「彼は私を覚えおられない、考えていた。いずれにせよ、あの時の意見の相違のため、決して私を司教に任命なさらないでしょう」と語っていた。だが、フランシスコは、教皇就任の翌年に彼を司教に任命しただけでなく、南米出身初の教皇となったフランシスコに続く、北米出身初の教皇となるための地盤を築いたのだった。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2025年8月17日