・「パトモスの風 」②「サン・ダミアーノの十字架」に描かれた百人隊長と三本の指の意味は

 アッシジの聖フランシスコを回心に導いた「サン・ダミアーノの十字架」のイエスの両側に描かれているのは、イエスが亡くなった時に十字架のそばに立っていた人々です。しかし、その人々の中で、十字架のイエスの左腕の下、一番右に描かれている百人隊長は、ヨハネ福音書には一度も登場しません。

 前回紹介した「聖フランシスコに語りかけた十字架」の著者マイケル・クーナン氏は、「意味深いことには、百人隊長の三本の指は、伝統的イコン画法のなかでは、『私は話している』というサインです。キリスト教的な文脈においていえば、これは『私はイエスが主であることを証ししている』という意味です」と書いています。この説明はとても興味深いものです。

 「サン・ダミアーノの十字架」の中央のイエス・キリスト像の頭上には、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書かれています。これはヨハネ福音書だけにみられる罪状書き(ヨハネ福音書19章19節参照)。祭司長たちがピラトに、「『ユダヤ人の王』と書かずに、『この男は「ユダヤ人の王」と自称した』と書いてください」(19章21節)と求めたのを、ピラトが取り合わず、「私が書いたものは、書いたままにしておけ」 (19章22節)と答えたことによるものです。

 私たちは今も、信仰宣言の中で、ローマ帝国の総督であったピラトの名を毎回唱えていますが、これは特別なことです。イエスが、彼のもとで苦しみを受け、ローマ帝国の刑罰である十字架刑を受けたことで、ローマ帝国はイエスの名を刻印されたのです。エルサレムの崩壊を予告したイエスは、キリスト者のためにすでにローマを見据えていました。

 イエスはピラトの尋問に、「私の国は、この世のものではない」(ヨハネ福音書18章36節)、「私は、真理について証しをするために生まれ、そのために世に来た。真理から出た者は皆、私の声を聞く」(18章37節)と答えました。

 神の現実を明らかに語るこれらの言葉に接したピラトは、「真理とは何か」(18章38節)と問い返しましたが、この時彼は、すでに「私の声を聞く」者になっていたのです。「私はこの男に罪を見い出せない」(19章6節)と言うピラトに、「私たちには律法があります。律法によれば、この男は死罪に当たります。神の子と自称したからです」(19章7節)とユダヤ人たちが答えると、「ピラトは、この言葉を聞いてますます恐れ、再び官邸に入って、『お前はどこから来たのか』とイエスに言った」(19章8~9節)と書かれています。「神の子」という言葉が、彼の耳に残ったのです。

 イエスは、その最期の時に、ローマ総督ピラトに関わることで、ローマへの軌跡を残しました。祭司長たちに訴えられ、総督と王の前に立ち、十字架に向かった道筋です。パウロも、イエスと同じこの道を
辿ってローマへ向かったのです(使徒言行録22章30節~28章16節参照)。

 イエスが十字架上で息を引き取られた後、「ピラトは、イエスがもう死んでしまったのかと不思議に思い、百人隊長を呼び寄せて、すでに死んだかどうかを尋ねた。そして、百人隊長に確かめたうえで、遺体
をヨセフに下げ渡した」(マルコ福音書15章44~45節)とあります。

 この百人隊長は、十字架上で息を引き取られたイエスの方に向かって立ち、「まことに、この人は神の子だった」(15章39節)と言った人です。この言葉には、以前、彼がそのことを思いめぐらしたことが示唆されています。

 マタイ福音書によると、イエスがカファルナウムに入った時、一人の百人隊長が、病気の子を癒してもらおうと、イエスに近寄り、懇願しました。それを聞いたイエスは、「私が行って癒やしてあげよう
」(マタイ福音書8章7節)と言います。そう言いながら、すでに歩を進めていたかもしれません。人々も周りを取り巻いていたでしょう。百人隊長は、自分の子が癒される最後の可能性に期待してイエスの評判
に賭けて夢中で近づいたけれども、ローマ兵である彼の家に見物人を従えてイエスが来られることは、避けたかったに違いありません。

 そこで彼は、「主よ、私はあなたをわが家にお迎えできるような者ではありません。ただ、お言葉をください。そうすれば、私の子は癒やされます」(8章8節)と言って、イエスの来訪を断わります。そして、「私も権威の下にある人間ですが、私の下には兵隊がおり・・」(8章9節)と、自分の部下との関係を引き合いに出して理由を説明します。

 しかしイエスは、彼の来訪を断るその言葉に、「イエスがキリストだ」と信じる彼の直観的で純粋な思いを見抜きます。百人隊長の言葉は、イエスのローマへの思いのこだまでした。そこには御父の御心がありました。イエスの御言葉はかならずローマに行くのです。

 イエスは、それが一人の異邦人の言葉であることに驚き、付いて来た人々に、「よく言っておく。イスラエルの中でさえ、これほどの信仰は見たことがない」(8章10節)と言われます。そうです。それは目に見えることが、「イエスをキリストだと信じる」という目に見えないことからくる、という新しい信仰の在り方だったからです。ヨハネ福音書で復活したイエスが、「私を見たから信じたのか。見ないで信じる
人は、幸いである」(ヨハネ福音書20章29節)と言ったとおりです。

 イエスは、「行きなさい。あなたが信じたとおりになるように」(マタイ福音書8章13節)と言ってそのまま彼を返します。そのとき彼の子は癒されました。

 パウロがローマの信徒に宛てて手紙を書いているように、御言葉は、パウロより先にローマに来ていました(ローマの信徒への手紙1章6~7節参照)。「主よ、私はあなたをわが家にお迎えできるような者では
ありません。ただ、お言葉をください。そうすれば、私の子は癒やされます」と言った百人隊長の言葉は、御言葉がローマに到達するという神の計画の現れでした。

 そしてそれは実現しました。「サン・ダミアーノの十字架」に描かれている百人隊長は、イエス・キリストを信じるようになったローマ帝国の象徴として描かれたのです。その事実なくして、ここに和気あいあいと描かれている人々はなく、この十字架と聖フランシスコとの出会いもなかったのです。

 イエスを求め、イエスを見た百人隊長の直観的で純粋な信仰は、やがて、十字架上で息を引き取られたイエスの方に向かって立ち、「まことに、この人は神の子だった」(マルコ福音書15章39節)と言うと
ころにまでに至りました。

 この言葉こそが、マイケル・クーナン氏の「キリスト教的な文脈において言えば、これは『私はイエスが主であることを証ししている』という意味です」と合致する言葉なの
です。「サン・ダミアーノの十字架」は、私たちにそれを提示してくれているのです。

(横浜教区信徒 Maria K. M.)

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2025年8月7日