
教皇フランシスコの葬儀ミサが、4月26日朝、バチカンの聖ペトロ広場で、枢機卿団主席のジョバンニ・バッティスタ・レ枢機卿の司式で行われ、約250人の枢機卿、総主教、大司教、司教、司祭、奉献修道者が加わって、厳粛で感動的な祭儀が行われた。ミサには世界の数多くの国の元首、各界要人が参列。聖ペトロ広場と隣接地域を25万人を超す信徒たちが埋め尽くした。
ミサ中の弔辞の形をとった説教でレ枢機卿は、故教皇の「人々、特に私たちの中で最も小さく、最後の一人である人々との親密さと、誰にでも開かれた教会への深い愛によって特徴づけられた力強く、預言的な12年間の教皇職」を振り返り、「羊のために命を捨てる善き羊飼いである主キリストに従い、晩年の健康状態や苦しみにもかかわらず、地上の生涯の最後の日まで自己奉献の道を歩み続け、自分の羊の群れ、神の教会に、力強さと穏やかさをもって寄り添い続けられた」と故教皇を讃えた。
また、ミサ後に、故教皇の棺が約4キロ離れたローマ市内の聖マリア大聖堂に運ばれる際には、15万人以上の人々が沿道に列をなした。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
(以下は バチカン放送=編集「カトリック・あい」)
説教でレ枢機卿は、「『私の羊の世話をしなさい』。これこそが主キリストがペトロとその後継者たちに与えた常なる使命、すなわち『仕えられるためではなく、仕えるため』(マルコ福音書10章45節)に来られたキリストに倣う愛の奉仕です」としたうえで、2013年3月13日、ベルゴリオ枢機卿が、ベネディクト16世の後継者として教皇に選ばれ時に「フランシスコ」という名を選んだことは、「アッシジの聖フランシスコから霊感を得た、自身の在位の基礎となる一つのプログラムとスタイルの選択であるように思われました」と述べた。
そして、司牧者としての気質と実践方法を保ちつつ、教会の統治に強い個性を打ち出され、個人や人々と直接的なコンタクトを築き、すべての人の近くにとどまり、困難に置かれた人や疎外された人々に特別な関心を示された「人々の間にあって、すべての人に心を開いた教皇でした」と語った。
また、故教皇の使命を導いた一本の糸は、「教会は皆の家、常に扉を開け放った家である」という信念であり、よく使われた「野戦病院のような教会」という表現は、「人々が抱える問題や、今日の世界を引き裂く苦しみに積極的に対応することを厭わない教会の姿を表すものでした」と指摘。それを示す例として、難民や貧しい人々を擁護するための故教皇の数限りない発言や行いを思い起こし、具体的に、教皇として最初の司牧訪問が、海で遭難する移民たちの悲劇の象徴であるシチリアのランペドゥーサ島だったことだけでなく、ギリシャのレスボス島や、メキシコと米国の国境などにお出かけになったことを挙げた。
さらに、47回にわたる故教皇の海外訪問の中でも、特に歴史に残るものとして、「あらゆる危険に立ち向かいながら行った2021年のイラク訪問」を挙げたほか、最も遠く長い旅となった「2024年のアジア・オセアニア諸国歴訪」にも触れた。
続けてレ枢機卿は、故教皇が常に「慈しみの福音」を中心に据え、「神は、私たちを赦すことに疲れを知らず、いかなる状況でも、赦しを乞い真っすぐな生き方に立ち返る者を常に赦される、ということを強調し続けされた」と回想。故教皇は2015年12月から翌年の11月にかけてを「慈しみの特別聖年」とされ、「福音の心臓」といえる神の慈しみに光を当てられたことを挙げ、「『慈しみ』と『福音の喜び』は教皇の教えを代表する二つのキーワードでした」と語った。
故教皇は「切り捨ての文化」と呼んだ現代世界の風潮に対して、「出会いと連帯の文化」を説かれ、回勅『兄弟の皆さん』を通して、「すべての人が同じ天の御父の子、同じ人類家族の一員である、という考えに基づき、兄弟愛に対する渇望が世界に再びよみがえることを願っておられた」と回想。さらに、回勅『ラウダート・シ』をもって、全世界の人々に「共に暮らす家」(=地球)に対する義務と共同責任に関心を持つように訴えられた、とレ枢機卿は話した。
近年、多くの戦争がもたらしている非人道的恐怖と無数の死と破壊を前に、故教皇が平和を願って繰り返されたアピールと、可能な解決を探るための誠実な対話への呼びかけ、「戦争は、世界をそれ以前より悪化させる、戦争とは敗北だ」とたびたび警告をされた、また、「壁ではなく、橋を築く」ことを訴え続けられた故教皇は、「信仰への奉仕を、常にあらゆる面で人類への奉仕に結びつけておられた」とレ枢機卿は回顧した。
最後にレ枢機卿は、故教皇が講話や会見の最後にいつも言われていた「私のために祈ることを忘れないでください」という言葉を思い起しつつ、「親愛なる教皇フランシスコ、私たちは今あなたに、教会のため、ローマのため、世界のための祝福と祈りを願います」と故教皇に呼びかけた。