☩「イエスの父への帰還は、私たちの最終目的地を示している」-「主の昇天の主日」に

(2024.5.12 Vatican News   Lisa Zengarini)

  教皇フランシスコは13日、「主の昇天の主日」のRegina Caeli の祈りに先立つ説教で、「イエスが天に上げられ、神の右に座された」(マルコ福音書16章19節)ことが私たちにとって何を意味するか、について考察された。

 説教で教皇はまず、「イエスの御父のもとへの帰還は、私たちにとって別れではなく、むしろ私たちの最終目的地の予感のように見えます」とされ、「 イエスは、私たちが山の頂上に向かって登るときの”パートナー”として、教会を、ご自身の体を、ご自身が昇天された天国に引き上げてくださるのです」と説かれた。

 そして、「神の手足である私たちも、頭である神と共に喜びをもって立ち上がります。『一人の一歩』が『すべての人の一歩』。私たちは、皆が一つの体であり、誰も道に迷ったり、取り残されたりしてはならないことを、知っています 」と強調。

 続けて、「着実に、イエスは私たちに進むべき道を示してくださっています」とされ、この日のミサで読まれた福音が「神の愛の業-人に命を与え、希望をもたらし、あらゆる悪意と卑劣さから遠ざけ、善をもって悪に対し、苦しんでいる人々に寄り添うこと―を実行するという、とるべき歩みを私たちに告げています… そうした業を行えば行うほど、私たちは主の御心によって変えられ、主の模範に従い、山の中にいるように、周りの空気が明るく清らかになるのを感じるのです」と説かれた。

 そのうえで、教皇は、信者たちに、「自分が主の歩みに従っているかどうか」、次のように自問するよう勧められた―「私の中に、神への願望が、限りない愛が、神の永遠の命が生きているだろうか? それとも、つかの間のもの、お金、成功、楽しみなどに縛られているだろうか? 天国への願望が私を孤立させるのか、それとも、兄弟を愛し、天国への旅の仲間として感じるように私を導くのか?」。

 説教の最後に、教皇は「私たちが天国の栄光に向かって喜びを持って共に歩むことができる」よう助けてくださるよう、聖母マリアに願われた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

このエントリーをはてなブックマークに追加
2024年5月13日