
稲垣政則撮影
高齢者専門病院では、ご家族にお目にかかる面談の場が、患者さんの治療とケアに必要な情報を共有し合う貴重な機会である。
ただ時に、はたと立ち尽くす瞬間がある。患者さんの「老い」は、ご家族に正しく理解されているだろうか? そんな疑念にとらわれる経験も多いからだ。
胃ろうの造設や人工呼吸の開始といった終末期医療の方針をめぐる「究極の選択」に至る、はるか以前のケースでもだ。
「先生、リハビリは徹底的にお願いします」「家では肉はもう嫌だと言うんですが、何とか食べさせてやってください」……。
筋力が弱まった高齢者は、「トイレに立つ」「イスに座る」といった当たり前の動きでも体への負担が大きい。健康な人にとっては、「全速で走る」「重い荷物を持つ」などの負荷に相当する。食欲や食べ物の好みも、年齢とともに異なってくる。
どんな表現で、どのように「老い」の現実を伝ええれば良いのか。こうした言葉の選び方も医療者を悩ませる事柄の一つだ。「家族に言葉で理解してもらうのは難しい」と諦念を口にする医療者もいる。
1月19日夜、第156回芥川賞(2016年下半期)の選考結果が発表された。注目の受賞作は、富良野塾で演劇を学びながら共同生活を送る青年たちの日々を描いた山下澄人さんの「しんせかい」に決まった。
しかし私は、古川真人さんの候補作「縫わんばならん」(新潮2016年11月号)に密かなエールを送る。長崎の離島にルーツがある一族四代の日常を描いた中編だ。今も島に一人で住む敬子の視点で始まる物語は、「老い」の世界を次のように記す。
<彼女は全身を覆う倦怠や膝の痛みといった老いの特徴に気を配り、しだいに不便なものとなっていく身体に、どうにか馴染もうと努めていた。それはちょうど、馴れた服を捨てて、代わりに自分にはまるで合わない丈と幅の服へと着替えるようなものだった>
<もう八十四にもなるというのに、敬子は自らの身体の衰えに対して、日々おなじ程度の、決して軽減されることのない不具合と違和を感じていた>
<考えていたことはすでに遠く流れ去ってしまっていた。ただときおり、過去の時間は夢の中に記憶をひきつれて、新鮮な感覚のまま彼女のもとに訪れる>
――描かれているのは、高齢者の心と体だ。祖母をモデルに、28歳の新人作家が感じた「老い」と「死」の重さが作品にあふれている。残念ながら受賞には至らなかったものの、若い才能による芥川賞候補作は、病棟で患者さんやご家族とも共有できる言葉の可能性を信じさせてくれた。