☩「私たちが主に心から祈るとき、主は私たちを拒まれない」年間第20主日の正午の祈り

(2023.8.20 Vatican News  By Deborah Castellano Lubov)

 年間第20主日の20日、教皇フランシスコは正午の祈りに先立つ説教で、この日のミサで読まれた福音(マタイ15章21‐28節)を取り上げ、「私たちが、祈りの中で執拗にイエスに助けを求めるとき、イエスは私たちを拒むことはなさりません」と強調、キリストとの個人的な関係を大切にすることで信仰をしっかりしたものとするよう、信徒たちに促された。

 灼熱の聖ペトロ広場に集まった数千人の会衆に向けた説教で、教皇は、この日のマタイ福音書に登場する”異邦人”であるカナンの女性の、自分の娘を癒してくれるよう執拗に、強い信仰をもって、イエスに願う姿勢に注目され、彼女のように「神に対して、”少々強引”に助けを求めても、私たちが神に立ち返り、神に信頼する」とき、神は心を動かされる、と述べた。

 この女性が示した信仰の強さに心を動かされた主は、彼女に「あなたの信仰は立派だ。あなたの願い通りになるように」と言われ、娘の病は癒された。イエスは私たちの心からの信頼を込めた祈りを拒むことはなさらない。この女性の場合も、彼女の強引とも言える願いを聞いて、イエスは深く心を動かされた。

 教皇は、「これが神という方のなさり方なのです。神は愛なのです」とされ、「愛ある方は、ご自分の立場に固執せず、心を動かされ、もともとの計画を変える方法を知っておられるのです。私たちキリスト教徒は、そのようなキリストに倣うべきです」と説かれた。

 また、この女性の信仰に注目され、 「彼女には(信仰についての)豊富な知識ではなく、(表現すべき)行動がありました。イエスと話すためだけに、イエスに近づき、ひれ伏し、自分の意見を述べ、言葉のやり取りをし、(異邦人に課せられた)障害を乗り越えたのです。彼女の信仰は、具体的であり、表面的なレッテルではなく、主との個人的な関係によって成り立っている」と強調。

 さらに、「この女性の信仰は、神学的な勇気ではなく、主張、言葉ではなく、祈りに満ちています。神は、祈られると拒まれません。イエスは、このように言われています―「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。叩きなさい。そうすれは、開かれる」(ルカ福音書11章9-10節と」と語られた。

 続けて教皇は、「以上のすべてを踏まえて、私たちは、このように自問する必要があります。イエスのカナンの女性に対して見せた態度の変化を念頭に置きつつ、『私は自分が表明していた意見を変えることができるだろうか?』『(助けを求める相手に)理解と同情心を持つ仕方を知っているだろうか?それとも自分の立場に固執し続けるのだろうか?』と。自分の心に頑ななところがないか点検してみましょう」と信徒たちに勧められた。

 そして女性の信仰に目を向けて、「私の信仰はどのようなものですか?概念や言葉にとどまっているのでしょうか、それとも祈りと行いによって本当に生きているのでしょうか?私は主と対話する方法を知っていますか?私はそうなのですか?」と尋ねることを提案しました。 それとも、私は美しい公式を暗唱することに満足しているのでしょうか?」 教皇フランシスコは、聖母が私たちを「善いことに心を開かせ」、「信仰を具体化」させてくださるよう祈って締めくくった。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

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2023年8月20日