・「世に投じられた聖霊の炎が燃えさかるように」菊地大司教の年間第20主日メッセージ

2022年8月13日 (土) 週刊大司教第89回:年間第20主日

2015_06_02img_8151-2 台風が接近する天候の不安定な週末となりました。東北をはじめ各地で大雨の被害が続出しています。被害に遭われた皆様に心からお見舞い申しあげると共に、この週末もまた充分に気をつけられますように、皆様の安全をお祈りいたします。

 旧統一協会の事が、大きく取り上げられています。日本のカトリック司教協議会は、いわゆる霊感商法の被害などが大きな社会問題となり、またカトリック教会内での混乱も見られた1985年に、「世界基督教統一神霊協会に関する声明」を発表しており、その内容は現在も変わりません。

 この声明では教えが全く異なっていることを指摘し、関連のいかなる運動や会合にも参加しないようにと、カトリックの信者に呼びかけています。また2008年の情報ハンドブックの特集でも、詳しく取り上げていますので、ご一読ください。

 このような状況にあって、私たちの信仰は、神からの賜物である人の命を生かす信仰であって、人の命を見捨てたり、排除したり、暴力的に奪う信仰ではないこと、さらには社会の共通善の実現を目指す信仰であることを、改めて心に留めたいと思います。

 (なお「共通善」とは、第二バチカン公会議の現代世界憲章26項に「集団と個々の成員とが、より豊かに、より容易に自己完成を達成できるような社会生活の諸条件の総体である」と記されています)

 8月14日は年間第20主日、その翌日15日は聖母被昇天の祝日です。聖母被昇天の祝日は、関口教会で午前10時と午後6時のミサがささげられる予定ですが、午後6時、夕方のミサが、大司教司式ミサとなります。

 以下、「週刊大司教」第89回、年間第20主日メッセージ原稿です。

【年間第20主日C(ビデオ配信メッセージ)週刊大司教第89回 2022年8月14日】

 ルカ福音は、「私が来たのは、地上に火を投ずるためである」とイエスが述べた言葉を記しています。しかし同時にイエスは、「自らの十字架での受難と死と復活を経なければ、その火が燃えさかることはない」とも述べています。

 このことから、「地上に投じられる火」は、「聖霊の火」を示唆する言葉であろうと推測されます。もちろん聖霊に導かれて、神の福音が燃えさかる火のように広がっていくことも、示唆しています。

 使徒言行録に記された聖霊降臨の出来事は、騒々しくて落ち着かない出来事でありました。粛々と進むのではなく、周囲の人たちが驚いて見物に来るような、騒々しい出来事です。聖霊の働きがあるところには、騒々しさがあります。なにぶん火が燃えさかるのですから、落ち着いているはずがありません。聖霊が豊かに働くところは、騒々しくて落ち着かないのです。

 ルカ福音は、「対立と分断をもたらす」というイエスの言葉を記します。これこそ落ち着かない言葉です。感染症の不安の中で戦争まで始まり、様々な暴力が支配する社会は、まさしく対立と分断の社会であり、現実は教会が主張し続ける「支え合いと連帯の社会」の対極にあります。一体これがイエスがもたらす現実なのでしょうか。

 もちろんイエスの言葉は、対立や分断を推奨しているわけではありません。イエスの真意は、福音の価値観を前面に掲げ、「聖霊の燃えさかる炎を広げようとするならば、この世を支配する価値観と対立する」という指摘です。

 ヘブライ人への手紙でパウロは、この世の迫害に負けることなく、受難と死を耐え忍んだイエスの模範に倣い、「自分に定められている競争を忍耐強く走り抜こう」と呼びかけます。

 日本の教会は、8月15日の聖母被昇天の祝日までを平和旬間としています。コロナ禍でまだ制約がありますが、各地で平和を求める行動が繰り広げられています。

 私たちの行動は、この世界に神の秩序を実現させ、福音の価値観を生きる社会を実現し、賜物であるすべて命が、その始めから終わりまで、尊重され、守られる社会を実現しよう、とする行動です。あたかも暴力が支配するかのような現実は、ともすれば同じ暴力に頼って自らを守ることを良しとする方向に、私たちをいざないます。

 激しくそちらへ引き込もうとする潮流の中で、立ち止まって平和を唱えることは、容易なことではありません。まさしく福音の価値観を堅持しようとするとき、そこに社会の主流である価値観との対立が生じかねません。イエスの模範に倣い、忠実に忍耐強く、走り続けたいと思います。

 その聖母被昇天の祝日に朗読されるルカ福音は、聖母讃歌「マグニフィカト」を記しています。

 「身分の低い、この主のはしためにも、目を留めてくださった」と歌うことで、聖母は、神が人を量る秤について語ります。その秤は人間の常識が定める価値観によるのではなく、神ご自身の価値観に基づく秤、すなわち、すべての命はご自身がその似姿として創造されたものとして大切なのだ、愛する存在なのだ、という神の愛と慈しみに基づいた秤であります。

 自らの神の母としての選び、それ自体が、人間の常識をはるかに越えた神の価値観に基づいた、すべての命を愛する神の具体的な行動であると、聖母は強調します。

 私たち一人ひとりを、その慈しみを持って導かれる主の愛に信頼し、この世界に投じられた聖霊の炎がさらに燃えさかるように努めて参りましょう。

(編集「カトリック・あい」)

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2022年8月13日