・三輪先生の時々の思い ㉑「至福観賞」と「至福奉仕」

 「至福観賞」と「至福奉仕」を対語として学んだのは、旧制高校の一年生の時。同じころ対語は英語で「pormanteau words」という、と習った。中学5年、高校が3年の時代であった。もっとも、中学は4年から高校進学は可能で、受験に合格しさえすればよかったのだ。

 実際、私自身、4年生で筆記試験には合格したが、身体検査で不合格となった2人のうちの1人になってしまったのだった。当時「官立」と言っていた松本高校へは、晴れて中学は5年枠で入学した。

 もともと華奢な体躯だったが、別に病弱というのではなく、それに開智小学校の5、6年次の担任教師、山口先生は、昭和15年の未発に終わった東京オリンピックに体操選手として出場が予定されていた運動選手だったから、松本中学に進学してからは、市内の他の小学校から進学してきた同級生などから、体操の時間になんで「開智出身者は皆、体操が上手なのか」と感心されたものだった。

 いや話がそれてしまった。「至福観賞」と「至福奉仕」である。連想ゲーム風に言えば、「至福観賞」は「美しいもの、旨いものを楽しむ」ということ、エピキューリアンの生き方である。バランス感覚がきかなければ、享楽から堕落へと向かう事必定と戒められていた。「至福奉仕」はといえば、「博愛主義で、自我を忘却して、世のため、人のために生きる」ことであった。

 個人的に私は「享堕」はなじまず、努力しなくても、この陥穽に堕ちるおそれは無かった。倫理学の教室で、「至福観賞」は古代ギリシャのアテネにその典型をみると教わった。ヴィジュアルに私はパンテオンとか大理石のオリンピアンの彫像が好きだったから、文句なしに「至福観賞」を選び、社会の一構成員としての自覚からは、「至福奉仕」にも半分以上の生命力を向けなければならない、と覚悟していたのだと思う。

 まあ平たくいえば、至福観賞はレジャーであり、社会のニーズにそれなりの貢献をするのが生産的生活であるということだった。そのことを松高入学式の時の校長の訓話ではっきり自覚した。

 「君たちが卒業するまでに、国は国庫から一人当たり10万円を支出するのです。その恩を忘れないように」とのことであった。この恩に報いようとする時、至福奉仕の一端を担うことになる筈だ、と観念したのだった。(2020 8 31 記)

(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授、元上智大学国際研究所長、プリンストン大博士)

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2020年9月1日