*改めて「既婚男性の司祭叙階の是非」を議論
この日の会議でも、あらためて、「viri probati(既婚男性)」の司祭叙階の是非をめぐる問題が、複数の参加者から提起された。何人かが「照明の不足はアマゾン地域に特異な現状ではない…そうであるなら、なぜ、この地域だけを特別扱いするのか?」という疑問を投げかけ、この問題を今後開かれるシノドスの議題にする、という提案も出た。
一方で、「原住民の人々の中には、独身だからという理由で司祭を歓迎するケースもある」という意見や、「今日の世界は、司祭の独身制を『快楽主義と世俗主義の文化の圧力によって破壊すべき最後の砦』とみている… だから、司祭の独身制が持つ価値について注意深く考える必要がある」との意見もあった。
また、他の複数の出席者は「司祭職の新しいモデルに関する議論は避けることができず、望ましいもの」としたうえで、「司祭を他の教区や地方に送り出すことが奨励されるなら、信仰が証明された賢明な(注:既婚の)男性を叙階することもまた、推奨される必要がある… このような考え方は教会の共同体を傷つけることも、司祭の独身制を覆すことにもならない。それよりも、この考え方は、『地域をちょっと訪問するのでなく、そこにとどまる』司祭職を実現する決定的な第一歩となるかも知れない」と述べた。
さらに、「このような対応は、召命の不足を解決する方策として進めるのではなく、教会が、真のアマゾン地域のアイデンティティを持てるようにするものだ」「このシノドスは、聖霊を信じて新たな一歩を踏み出すための土台を置けるだろう… 聖霊を信じることは、過ちを犯す恐れに勝るのだ」との考えも、参加者から表明された。