5人の子の母親、アフラ・アル・シャホリは食糧支援によって、最低限ながらも食べられるようになった、ただそれだけのことで嬉しさのあまり涙を流しました。「(支援を受けられるようになって)生き返ったような気持ちです」。声を震わせ、やっとのことで言葉を絞り出しました。
しかし1年半ほど前から、毎月、国連WFPの食糧配給を受けられるようになりました。配給は必要とする最低限の食材に限られますが、一家の生活には計り知れないほどの助けになっているといいます。
アフラは「支援がなければ、子どもたちと私は餓死していたでしょう」と話します。
近所の人たち
も、食べ物の余りがあれば、差し入れてくれるといいます。アフラは食べ物などを受け取る見返りに、彼らの家で掃除や洗濯などの家事を手伝っています。
また苦しい生活の中でも、子どもたちに学校だけは続けさせようとしています。「配給食糧があるおかげで、子どもたちに勉強を続けさせることができます。彼らがより良い将来を築く可能性を、奪わずに済みます」とアフラは言います。
「とにかく、食べ物が欲しい。貧しい私たちは、それ以外は何も望みません」涙を抑え、アフラは諦めたように笑いました。
持病抱える母、「治療より食事」
サナアに住む別の母親、エマンは「グルコース6リン酸脱水素酵素欠損症」という持病を抱え、貧血のため毎月の輸血を必要としています。しかし「家族が飢え、食べ物が一口も見つからない時に、治療など構ってはいられません」。
兄弟たちは路上で靴修理をしていますが、収入は大家族を賄うには到底足りません。このため、兄弟のひとりは精神的に不安定になってしまい、エマンは自分だけでなく、彼の世話まで背負うことになりました。エマンの子どもたちも、放課後は路上に出ておじたちを手伝っています。