+「あなた方の心にイエスが生む歓喜を消さないように」

受難の主日、枝を掲げての宗教行列、3月25日、バチカン・聖ペトロ広場 – AP

(2018.3.25 バチカン放送)

 教皇フランシスコが25日、バチカンの聖ペトロ広場で「受難の主日」のミサを捧げられ、全世界のカトリック教会はキリストの受難を記念する「聖週間」に入った。

 25日は教区レベルの「世界青年の日(ワールドユースデー)」が記念され、第33回目となる今年のテーマは、「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた」 (ルカ 1,30)で、ミサには、ローマ教区と周辺教区の青少年、また、ローマで開催された若者をテーマとしたシノドス準備ミーティングや、大学生のフォーラムの 参加者たちの姿が見られた。

 ミサ開始前、教皇は、聖ペトロ広場のオベリスクの前で、人々が手にする枝を祈りと聖水をもって祝別。続いて、若者たちや、修道者、司祭、司教、枢機卿、そして教皇は、枝を掲げ、賛歌に声を合わせながら、大聖堂前の祭壇まで行列した。

 ミサの説教で、イエスのエルサレム入城に響く様々な叫びを観想。エルサレムに入城したイエスを迎える民衆の歓喜と祝祭、主を賛美する叫びに私たちも招かれる一方で、主の十字架の道行と共に、その喜びは苦しみと苦さへと変えられていく。教皇は、人々の叫びを通し、こうした主の受難の出来事に交差する喜びと苦悩を見つめられた。

 そして「主の受難の物語は、多く愛することができる一方で憎むこともでき、立派な犠牲ができる一方で『自分は関係ない』と背を向けることもできる、今日の私たちの感情や矛盾を明るみに出すもの」と話された。

 イエスはエルサレムで人々の歓呼に囲まれるが、そのような歓喜は「自分たちの苦しみや惨めさの中でイエスの憐れみに触れ、イエスに従った人々の叫び、赦され、自信と希望を取り戻した罪びとたちの喜びの声」である一方で、「『律法や宗教上の義務に忠実で、自分は正しい』と考えている人々には迷惑なもの、人々の苦しみや貧しさに対する感受性を失った人々にはいらだたしいものでした」と指摘。「自分の力を過信し、他人より優れた者と思い込む者たちにとって、人々と喜びを分かち合うのは、いかに難しいことだったでしょう」と振り返られた。

 そして、イエスに対する「十字架につけろ」という叫びは、「自分の立場を守りたい者の声、驕りや傲慢による計略が作り出した叫びでだった」とされ、「最後には、民衆の祝祭は止められ、希望や夢は壊され、喜びはかき消され、人々は心を閉じ、愛は冷えてしまったのです」と話された。

 こうしたすべての叫びを前に、私たちがとるべき態度、「それは十字架上のキリストを見つめ、キリストの最後の叫びを聞いて、そこから自問すること」と強調され、「私たち一人ひとりへのご自分の愛を叫びながら亡くなられたイエスを思うように」と促された。

 また、ミサに集った若者たちに「あなた方の心にイエスが生む歓喜を消さないように」と願われた。さらに、イエスのエルサレム入城の日に響いたもうひとつの声-神を賛美する弟子たちにいらだち、「先生、お弟子たちを叱ってください」(ルカ福音書19章39節)とイエスに言った人々の声-と、それに対し「言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫び出す」(同40節)と答えたイエスの言葉を思い起こされ、「様々な形で若い人たちの声がかき消されても、また、たとえ世界が沈黙し、喜びが失われても、『石が叫び出す』前に叫ぶことができるかどうか。それは皆さんの決断にかかっている」と若者たちを励まされた。

(バチカン放送日本語訳をもとに「カトリック・あい」が編集しました)

 

 

 

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2018年3月27日