☩「現実に自己を閉ざさず、偽善的な行い、世俗的な汚染に警戒しなさい」

(2018.9.2 Vatican News)

 教皇フランシスコは2日の正午の祈りの中の説教で、信徒たちに、信仰の真の意味に関心を向け、神の言葉に忠実であるように、偽善的な行い、虚栄心、強欲に汚染されないように警戒を求めた。

  聖母マリアへの祈りの前に、教皇フランシスコは2日の主日のミサで読まれたマルコ福音書(7章1‐8節,14-15節,.21-23節参照)の箇所を取り上げられた。そこでは、エルサレムからやって来た律法学者やファリサイ派の人々が、イエスの弟子たちが昔の人の言い伝えを守らない振る舞いをしているのを批判し、それに対してイエスが答えている。

 教皇は、私たちの主は、イエスが試されているのをご存知だが、イエスは、彼らを過ちから引き離すことを望まれ、「人間の言い伝えを守るように、という神の戒めに背くことで、神の意志を覆したのです」と語られた。

 そして、「この福音書の箇所のメッセージはまた、使徒ヤコブの言葉によって補強されます。彼は私たちに真の信仰の在り方を教えています-『孤児や寡婦が困っている時に世話をし、世の穢れに染まらないように』(ヤコブの手紙1章27節)と」としたうえで、「孤児や寡婦が困っている時に世話をする」は「他の人々に慈愛を実践すること、いちばん助けを必要としている人、いちばん弱い人、いちばん小さな人から始めること、を意味します。彼らは、神が特別に思いをおかけになる人々であり、神は私たちにも同じようにすることを求めておられます」と強調された。

 また、「世の穢れに染まらないように」ついては、「この言葉は、現実の世界から自己を遠ざけ、閉ざすことを意味しません…私たちの考え方と振る舞いが、虚栄心、強欲、驕りで怪我されないように、警戒しなさい、ということを意味しているのです」と説明された。

 さらに、教皇は、神の言葉を開かれた頭と心で進んで受け取るように促し、こう付け加えられた。それが「私たちの心と振る舞い、神と、他の人々とのつながりを清め、偽善から解放するのです」と。 

 正午の祈りの終わりに、教皇は前日のスロバキアのアンナ・コレサローバの列福に触れられ、「彼女は自分の尊厳と貞節を侵そうとする人々に抵抗して殺されました」とし、「この勇敢な少女は、若いキリスト教徒たちが福音へのしっかりとした忠誠心を持ち続ける助けとなります。たとえ(社会や周囲の)流れに逆らうこと、大変な代償を払うことを求められても、です」と、とくに若者たちを勇気づけられた。

(翻訳「カトリック・あい」)

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2018年9月2日