☩「イエスに従い、救われるために、己の罪深さを、惨めさを知る必要がある」

(2018.9.6  バチカン放送)

 教皇フランシスコは6日、バチカンのサンタ・マルタ館礼拝堂で司式したミサで、イエスがシモン・ペトロたち漁師を弟子にするルカ福音書の箇所(5章1-11節)を取り上げ、説教された。

 イエスはゲネサレト湖(ガリラヤ湖)畔で、網を洗っていた漁師たちの一人、シモンの船にお乗りになり、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われ、シモンは「夜通し苦労して何も取れませんでしたが、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。その通りにすると、大量の魚がかかり、網が破れそうになり、驚いたシモンは、イエスの足もとにひれ伏し、「主よ、私から離れてください。私は罪深い者なのです」と言った。

 教皇は、この箇所と併せて、イエスがその復活後に再び弟子たちの前で見せた奇跡の大漁を思い起こしつつ、いずれの場合も、イエスはペトロに「あなたは人間をとる漁師になる」(ルカ5章10節)、「私の羊の世話をしなさい」(ヨハネ21章16節)と「司牧者としての任務を託している」ことを指摘された。

 また、「イエスはシモンをペトロと呼びましたが、ペトロはそのことで『使命を与えられた』と理解しました」とし、「主よ、私から離れてください。私は罪深い者なのです」というペトロの言葉は、イエスの弟子としての歩みの第一歩でした」と述べ、「イエスに仕え、イエスに従うためには、自分の罪深さを知らなくてはならないのです」と強調された。

 さらに、「私たちは『自分は人間です』『私はイタリア人です』というように、『私は罪人です」と、当たり前のように言うことに慣れてはいけません」と注意する一方で、「自分を批判するには、神の前で自分の惨めさを知る必要があります。ペトロがイエスに『私から離れてください』と言った時、彼は本当に自分を罪深く感じていました」と話された。

 そして、「ペトロは『罪人だ』と自覚していたからこそ、『イエスに救われた』と感じることができたのです」「神の存在に驚き、自分を罪人と自覚し、ペトロのように『主よ、私から離れてください。私は罪深い者なのです」と言える恵みを願うように、ミサに参加した司祭たちに促された。

(「カトリック・あい」が編集しました)

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2018年9月7日