☨「三つのたとえ話で、神は私たち罪人への無限の愛を示された」

 教皇フランシスコは15日、サンピエトロ広場で行われた主日の正午の祈りの説教で、「私たちは決して恐れてはなりません。神は私たち罪人を無限に愛してくださいます。その赦しを通して、悪は打ち負かされるのです」と語られた。

 説教で教皇はまず、この日のミサで読まれたルカ福音書の15章1-32節を取り上げられた。ここで、イエスはファリサイ派の人々や律法学者たちから、徴税人や罪人たちと一緒にいることを非難され、「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言われる。

 教皇は、このことはまさに素晴らしい告知、と指摘。それは、イエスがその通りのことをなさった-罪人を迎え、一緒に食事をされたーからだ、とされた。そして、「これは私たちの教会の入り口に書かれてもいい言葉… どの教会の、どのミサでも、イエスは私たちがテーブルにつくことを歓迎され、ご自身を私たちにお与えになるのです」と説かれた。

ご自身を批判した人々に対して、主は、ご自身から遠く離れていると感じている人々をとても気にかけておられることを示す三つのたとえ話をなさった。まず、イエスは「あなた方の中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を探しに行かないだろうか」と問いかける。これは羊のたとえ話だが、ご自身から離れた人を探し、連れ戻すのを「神はあきらめません。神にとって、ご自身の愛の素晴らしさをまだ知らない人々が、心の中心にあるからです」と教皇は語られた。

 二つ目のたとえ話は、ドラクメ銀貨を十枚持っていて、そのうちの一枚を無くした女性の話だ。「あなた方は、主があきらめずに懸命にお探しになる、この小さな銀貨です。このたとえ話で、主は、あなた方一人一人が唯一無二の存在だ、ということを、おっしゃろうとしているのです」と説明された。

 三つめは「放蕩息子の帰還をまつ父親」のたとえ話。教皇は「主は私たちを待っておられます。あきらめることなく、失望することもなく…たとえあなた方がたくさん酷いことをしたとしても、恐れてはいけません。神はあきらめません。なぜなら、私たちは、父にところに再び戻って来る息子、探して見つけられる銀貨、やさしくなでてもらう羊だからです」と説かれた。

 さらに教皇は、「神は私たちがご自身の無限の愛を受け入れるのを待っておられるが、この無限の愛は時として拒まれることがある。それは、まさに、放蕩息子の兄のとった態度」と指摘。「兄は、父親としてよりも、主人として神をみています。慈しみ深い方、というよりも、厳しい神を見ているのです… でも、そうではない。神は、力ではなく、愛をもってお救いになるのです。ご自身をお示しになっても、押し付けることはされません」と説明された。

 だが、私たちも時として、このたとえ話の兄のように誤った理解をすることがあり、「自分自身が正しいと信じ込み、他の人は間違っている、と考えることがあります」と教皇は指摘されたうえで、「自分自身が良い者だと信じ込まないようにしましょう。私たちは自分だけでは、神の助けがなければ、どのように悪に打ち勝つことができるか分からないからです」と説かれた。そして、最後に、教皇は「それでは、私たちはどのようにすれば悪を打ち破ることができるのでしょうか」と会衆に問いかけ、「神の赦しを受け入れることです… 神は悪を追い払ってくださいます… 神がおられるので、罪は思い通りできないのです」と強調された。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

 

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2019年9月15日