・Sr.石野のバチカン放送今昔 ㉓教皇も‥老いや病いも人間の自然な姿‥慰められた若者たち

 58歳の若さで教皇に選ばれ、平和の使者として世界中を飛び回ったヨハネ・パウロ二世。狙撃事件の後も回復されると以前と同じように精力的に働かれた しかし彼も老いと病いに勝つことはできなかった。

 1990年頃からパーキンソンに襲われ、体力が衰え初めた。神経が麻痺して、左手はいつも震えている。お話をされてもろれつが回らず、何を言っておられるか分からない。TVでアップされた教皇のお口元からは唾が流れ、お召し物が汚れるのが見えた。それでも教皇は活動のペースを落とすことをなさらなかった。

 そんな教皇の痛々しいお姿を見て、関係者の間に、教皇の引退説が燃え上がった。 教会法は教皇の辞任を認めている-「教皇の辞任は、本人の自由意志で判断がなされ、かつ正しく表明されなければ、有効とはならない。ただし何人による受理も必要としない」(教会法332 条2項)。

 だが、教皇は引退の意志のないことをはっきりと口にされた -「私はキリストの代理者です。キリストは十字架にかけられたとき、そこから降りましたか・・・降りてその苦しみから逃れようとなさいましたか? 降りませんでした。私もキリストと同じようにします」と、「最後までキリストの後に続く」という決意を表明された。

 杖にすがり、足を引きずりながら歩まれる教皇。最後はご自分の足で歩くこともままならず、車椅子で。それでも人々の前にお姿を現わされた。そして、ある時言われた-「 老いや病いは恥ずべきものではありません。人間の自然な姿です。私は自分の苦しむ姿を人々に見てもらうことにより、苦悩を味わっている多くの人に連帯を示したいのです」と。 公けの儀式の最中に、もがくようなお姿で、痛みに耐えておられる時もあった。

 そのような姿をお見せになり、亡くなられた時、「最後のご挨拶をしたい」とバチカンを訪れた人の数はざっと500万人。中でも若者たちの姿が目立った。「ヨハネ・パウロ二世といると私たちは幸せなの」-彼らの言葉が、すべてを語ったように思われた。

( 石野澪子=いしの・みおこ=聖パウロ女子修道会修道女、元バチカン放送日本語課記者兼アナウンサー)

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2018年5月26日 | カテゴリー :