駒野大使の「ペルシャ大詩人のうた」③ハーフェズの詩集を読む

 イランの新年は3月21日、春分の日である。ノウルーズ(新しい日)の休みは、一年で最高の季節、ほぼ2週間、社会全体が休み気分にひたる。しかし、2011年3月、東日本の大震災で、前代未聞の惨事を見聞きしては、休み気分に浸れない。気忙しい中、ハーフェズの詩集を読むことにした。イラン人の各家庭に一冊はあるという、超ベストセラーである。
ハーフェズ占いは、たまたま開いたページの詩句から、自分の抱える問題解決・運命へのヒントを探る遊びとしてイラン国民の間で今でも人気がある。抽象性・暗示性が高い詩句であるから、多様な解釈や占いが可能であるのだが、初心者にしてみれば難しいことこの上ない。それでも、ハーフェズ詩集の500に上るガザル(短い詩形式)を、休み中に何とか読み終えた。

 「汝決意するならば まずは働け 耕せよ そうして運命に委ねよ」(ハーフェズと並ぶペルシャ詩の2大巨星、モウラナーの詩)である。
朧気ながら分かった詩句は、全体の1割にもいかなかった。それでも、最初のコラム(1)に記したいくつかの衝撃的な表現にぶつかって、興味をそそられた(特に「虚無の大岩」という言い回し)。

その後も、詩集をめくりはしていたが、邂逅ともいえるのは、ハッダード‐アーデル先生との出会いである。
「汝の行いを かのひとのそれに 比することなかれ 似ていたとしても ライオンをミルクと書くようなもの」(モウラナーの詩)(ライオンもミルクもペルシャ語では同じ単語のシール。したがって、人を食べるシール=ライオン=と人が食べるシール=ミルク=とよく言う)。

ハッダード‐アーデル先生こそ、智と徳に長けたイラン・イスラーム文化人の典型であろう。先生は哲学者、文学者であり、自ら詩作もされる。国会議員4期を務めたうち、一期4年間は議長を務めて「ハーフェズを読みたい」と言うと、ジャラーリ先生を紹介してくれた。松浦元大使が、UNESCO(国連教育科学文化機関)の事務局長をしていた時、イランのUNESCO代表になった人である。ハーフェズ講義は、5~6度続いた。
そのうち、ハッダード‐アーデル先生自身がモウラナーの講義を始める、と聞いて、加えてもらうことにした。これは、毎週先生が自宅の地下のサロンで、40~60人の参加者を前に、モウラナーの「マスナビー」という詩集を講じるのである。

 2012年の1月から、10月にイランを離任する2日前まで、私は都合32回先生の講義に出席した。先生こそ自分の詩の恩師である。先生は当時まだ国会議員、そのほか、イランの文化・言語の普及・発展に尽くされお忙しい身であったはずであるが、毎週木曜日の朝一時間、新年休暇の一度を除いて講義を続けられた。(その後の国会議員選挙では落選したが、現在も、ペルシア言語文学院の総裁である)。

モウラナーの詩集マスナビーは、全6巻、27000を超す「ベイト」からなり、大変なボリュームであるが、筆者も1000くらいの「ベイト」まではこなした。先生は、その日読むページの主要テーマを説明の上、「ベイト」ごとに解説を加えた。学ぶことの多い講義であった(「ベイト」は、2つの短文からなる詩の基本要素)。

ジャラーリ先生とハッダード‐アーデル先生の詩の時間はまさに、「汝とともにある瞬間は 1年が一日 汝のいない瞬間は 一瞬が一年」(ハーフェズの詩)であった。
次回も引き続き、ハッダード‐アーデル先生について述べる。

(ペルシャ詩の翻訳はいずれも筆者)(駒野欽一=国際大学特任教授、元イラン大使)

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