・四旬節×排除ZEROキャンペーン 叫び特集(カリタス・ジャパン) 

(2018.2 カリタス・ジャパン)

2018年 四旬節「愛の献金」キャンペーン

 

 昨年9月27日に「排除ZEROキャンペーン」が始まってから最初の「四旬節」を迎え、今回は、日本カトリック難民移住移動者委員会の関係団体(教区別支援センターや難民支援団体のネットワーク)の皆様にもご協力いただき、日本に住む外国籍の方々の「叫び」を特集しました。私たちの身近な隣人の「叫び」に皆で真摯に向き合いましょう。また、カリタスジャパンが支援先の国で聴いた、移住労働経験者の「叫び」にも耳を傾けてください。

*仮放免者の叫び 生きる権利を求めて*

 入国管理局は2017年10月から、仮放免者(在留資格のない状態で、収容を解かれている人)のほぼ全員に対し「就労を禁止する」という条件を付けるようになりました。そして、違反が発覚した場合、仮放免許可を取消し、収容施設に収容するという大変厳しい運用を行うようになっています。

 「働かないでどうやって生きてゆくの?」「働いていることがばれて再収容されることを考えると眠れない」。そんな悲痛な叫びは、日に日に大きくなっています。仮放免者の中には、30年近く日本に滞在している人、子どもが日本の中学校、高等学校、大学、大学院に通っており日本語しかできない家族、祖国で受けた迫害が原因のPTSD(心的外傷後ストレス障害)で治療を続けている難民申請者がいます。

 家族を養うため月8万円程度の就労をしたことを理由に仮放免を取り消され、再収容された男性が「人間が、人間らしく尊厳を持って生きてゆく権利=生存権」を求めて訴えを起こしています。

*長期被収容者の叫び 犯罪者のように*

 長崎には長期収容型の大村入国管理センターがあり、現在100名以上の外国人が収容されています。ほとんどが関東や関西から移送されてきた人々です。

 10月に移送されてきた男性は、犯罪者のように暗い護送車に揺られ、高速道路サービスエリアでトイレのみが許され一日かけて大村に着き、疲れ切っていました。難民認定申請中の彼は、これまで仮放免を8回申請してきましたが全く許可がおりません。「妻が面会に来てくれていたのがせめてもの慰めであったのに、会いに来るにも遠すぎる長崎までどうして移送されなければならないのか」と訴えます。

 技能実習生として渡日するも、劣悪な就労環境のため逃亡した後、身柄を確保され収容を余儀なくされた人もいます。「技能実習生になるために祖国で借金して来て、職場で危険を感じて逃げただけ。未だに還付金(社会保険の脱退一時金など)ももらえていない状況なのに、入管は、早く自分の国に帰った方がいいという」。近年、各地の入管収容所で全くと言っていいほど仮放免許可がおりず、また非人道的な強制送還の回数も増えてきた中で聞こえてくる被収容者たちの叫びです。

*アフリカ人女性難民申請者の叫び 「明日がきたらもう目覚めない方がいい」*

 日本に逃れてきた難民の中には、家がない、その日食べるものがない、病院での治療費が払えないといった困窮状況に置かれる人も少なくありません。2008年に来日したアフリカ人女性は、裁判で勝訴し、2016年にやっと難民として認められました。8年もの間、彼女は就労の許可がないため仕事について自立することもできず、健康保険にも加入できず、日本に在留する資格や住民票などもない中で、先の見えない生活を強いられていました。公的な生活支援金(保護費)も裁判中は受給できず、「明日、朝がきたら、もう目覚めない方がいい」と言って支援団体に連絡をしてきたこともありました。

*難民申請者の叫び  家族の身を案じながら、ゼロから生きる*

 単身で来日したある男性は、難民としては認められませんでしたが、半年で人道的な配慮から在留特別許可を受けました。安心したのも束の間、同時にそれまで受給していた保護費が停止され、公的な定住支援もありません。家族をいち早く呼び寄せたいと思っていましたが、民間のシェルターで暮らしていた彼は、自立するための住居も仕事もすぐにはみつかりませんでした。普段は自分の思いや感情を一切表に出さない人でしたが、子どもの話をする時だけは柔らかい表情になり、家族を思う強い気持ちが伝わってくるようでした。

 その後、困窮者支援事業(カリタスジャパンも一部支援)を通じて、一時的な生活費を支援することができ、現在は、奥さん、娘さんたちとともに日本で暮らしています。このように、政策が実態に追いついておらず、難民の最低限度の安全と生活が確保できない状況が生まれています。

*ある技術実習生の叫び 「わたしも人間です」*

 技能実習生として来日したカンボジア人のNさんは、建設業の会社で働きました。建設現場での仕事はたいへん厳しく、休憩時間もほとんどありませんでした。十分な安全教育がないままに水道管の埋め立て工事をさせられ、人差し指を切断するほどの大きな怪我を負いましたが、会社は労災手続きもとりませんでした。そして2カ月の入院を経て仕事に復帰したNさんは、日本人の同僚や上司から「仕事できない」「国に帰れ」と怒鳴りつけられ、さらに「カンボジア人あほう」「日本にもどってくるな」などのひどい暴言や、殴る蹴るの暴行をうけるようになりました。Nさんのヘルメットは、ハンマーで殴られたために、ひびが入ってしまいました。

 食べられず夜も眠れなくなり追い詰められたNさんは、日本に来ていたお姉さんのもとに逃げ、労働組合に助けを求めました。病院を受診し「うつ病」と診断されました。労働組合に加入してたたかい、Nさんの指の切断事故およびうつ病は「労災」との認定を得ることができました。

 「日本に来る前、日本はよい国だと思っていた。でも本当に酷かった。日本に来る前にたくさんのお金を払ったので、もっと仕事がしたかった。でも、うつ病で働けなくなってしまった。わたしも人間です。人間として同じに扱ってほしい」

 


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2018年2月17日