回勅「フマネ・ヴィテ(人間の生命)」50年、避妊と堕胎問題今も(CRUX)

(2018.2.4 Crux  EDITOR  John L. Allen Jr.)ロサンゼルス発―2月1日、 カトリック神学者のジャーメイン・グリセツが他界した。カトリック教会は、最近50年間で最も独創的な神学者であり倫理学者の一人を失ったばかりか、いわゆるカトリック教会の「カルチャー(精神文明)戦争」で大きな影響力のある人物の一人を失ったことになる。

 グリセツは、トマス・アクイナスの自然法学説の見解を修正することを通して、今も論争が続く産児制限、妊娠中絶など性道徳に関する伝統的な見解の、最も率直で強力な擁護者となっていた。現在進行中の産児制限と妊娠中絶に関する議論の妥当性は、明らかにいくぶん異なる方向に意見を差しはさむ形にはなっているものの、それぞれをめぐる新たな論議に反映されている。

 パウロ6世が1968年に出した、人を驚かす回勅「フマネ・ヴィテ」は、人工的な産児制限を禁止する伝統的なカトリックの教えを確認していた。回勅発布から50周年にあたる今年、教皇フランシスコが、それを今にも徹底的に骨抜きにするのではないか、とカトリック保守派が危惧する明確なしるしがある。

 今週初め、長く尊敬を集めてきたバチカン専門記者、サンドロ・マジステル氏が「さよなら、『フマネ・ヴィテ』」と題する記事で、こう書き立てた―「フマネ・ヴィテ」は「教皇フランシスコのもとで”革命的に解釈改定”され、その教えがもはや絶対的なものではないという”パラダイム・シフト”が起きる。なぜなら、そのメッセージは、識別の道が男女のカップルが異なる選択をするように道理にかなった形で導くような状況を示すものだからだ。

 マジステル氏はいくつかの例証の中で、最近、教皇から生命アカデミー会員に任命したイタリアの神学者、マウリツィオ・チオーディ師がローマのイエズス会のグレゴリアン大学で行われた会議で意見発表の場を与えられ、そこで彼が明らかにした見解がイタリア司教協議会の広報紙Avvenireによって前向きに評価された事実をあげている。

 どうであろうと、この新たな動きは、この記念の年にひとつのドラマをもたらす。教皇フランシスコがいつかの時点で、そうした線に沿って「フマネ・ヴィテ」に関する重要な声明をだすのは、ほぼ確実である。(その時期として可能性が最も高いのは、回勅発表の記念日、7月25日だ)

 中絶問題については、新たな動きが、新たな意見対立の気配からではなく、人を驚かすような意見の一致から起きている。第一に、米国の”ミレニアル世代(1980年代から2000年代前半に生まれた世代)”は、他の世代よりも中絶反対の主張を受け入れる兆しがある。米国コネチカット州のクイニピアック大学の最近の世論調査では、「18歳から34歳」の49%が妊娠後期の中絶の禁止に賛成している。これは「35歳から49歳」を除くどのグループよりも高い。

 ミレニアル世代は、米議会上院の採決で妊娠20週間以降の中絶を禁止するのに失敗した後、最も大きな声を上げた人々の中にいた。採決では、カトリックの上院議員14人が中絶禁止に反対票を投じ、カトリックの中絶反対派の怒りを買った。

 また、妊娠中絶に対する米国人の態度に関するマリスト・カレッジの2008年からの世論調査(Cruxの主要協力者であるコロンバス騎士団がスポンサーとなった)によると、この10年の間に、単なる是非論を超えて、堕胎への政策について合意が進んでいる。米国人の四分の三は妊娠中絶に対して、妊娠初期3か月以内についての制限を含む厳しい規制を支持しており、その中には民主党員と共和党員の強力な多数派も含まれている。「中絶賛成」と自認する人の六割が、中絶手続きの実質的な制限を支持している。

 妊娠中絶が法律的に容認されるべきかどうか、という問題について意見対立が続いてはいるが、経験豊富な為政者がこの問題に積極的に取り組もうとすれば、誰もが、合意のための強力な裏付けを提供するだろうと思われる。

 以上をまとめて言えば、「フマネ・ヴィテ」公布から50年目にあたる現在の産児制限と妊娠中絶をめぐる動きは、それが引き起こした論争―はっきり言えば、第二バチカン公会議からこのかたカトリックの倫理神学を支配し続けてきた論争―が当時とは異なった外観、異なった輪郭をもつにもかかわらず、今も生き続けていることを示しているのだ。

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2018年2月10日