☩「『自律型致死兵器』の開発と使用の再考が急務」教皇、AI利用の倫理めぐる広島での宗教指導者の会合にメッセージ

人工知能利用の倫理問題をめぐる宗教指導者らの会合の参加者たち 2024年7月10日 広島人工知能利用の倫理問題をめぐる宗教指導者らの会合の参加者たち 2024年7月10日 広島 

「平和のための AI 倫理:ローマからの呼びかけにコミットする世界の宗教」 (AI Ethics for Peace: World Religions commit to the Rome Call)と題されたこの会合は、教皇庁立生命アカデミー、世界宗教者平和会議・日本委員会、アブダビ平和フォーラム、イスラエル諸宗教関係首席ラビ委員会が共催し、13 カ国から 150人以上の参加者を得て開かれた。

 

教皇は、メッセージで、「人工知能」と「平和」を、「絶対的な重要性を持つ2つのテーマ」として結びつけられた。

そして、先月イタリア南部プーリアで開かれた主要7カ国首脳会議(G7)で「人工知能」をテーマになさった演説を引用しつつ、「機械は、新しい方法によって、アルゴリズム的な選択を生み出せるのだということを、常に頭に入れておくことが必要です」と改めて強調。

「機械がよく定義された基準、あるいは統計的な推論に基づき、いくつかの可能性の中から技術的な選択をするのに対し、人間は、選ぶだけでなく、心を通して決断する力を持っています」と指摘され、「自立した選択ができるかのように見える機械の驚くべき力を前に、決定は常に人間の側に残るべきことを明確にしなくてはなりません」と訴えられた。

さらに、「仮に、人々から自分と自身の人生についての決定力を取り上げ、機械による選択に頼るなら、人類の未来に希望はありません」と警告され、「AIのプログラムの選択プロセス上に、人間による重要なコントロールの余地を保証し、それを保護する必要があります」と言明。この催しを称賛する中で、「機械使用のこの新たな時代に、人間の尊厳を守るため、私たちが一致して積極的な取り組みを求めていることを、世界に示して欲しい」と願われた。

また、教皇は、世界を揺るがす紛争が相次いでいる中で、「戦争への憎しみに加えて、このテクノロジーについて耳にすることが多くなっていることからも、参加者らが人工知能と平和について話し合うために広島に集っているという事実」に象徴的な意味を見出され、「武力紛争の悲劇が繰り返される中で、いわゆる『自律型致死兵器』の開発と使用の再考が急務であり、使用禁止するためには、より幅広く、効果のある人的な制御を取り入れる必要があること、そして、いかなる機械も人間の命を奪う選択は決してできないことを、皆が兄弟として一致して、世界に思い出させることが重要です」と念を押された。

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 「ローマからの呼びかけ」とは、教皇庁のイニシチアブにより、2020年2月28日、ローマにおいて開かれた会議「RenAIssance 人間中心の人工知能のために」の成果として、人間を尊重する人工知能の推進のための基本原則をまとめた文書「AI倫理のためのローマからの呼びかけ(Rome Call for AI Ethics)」を指す。この文書には、最初に、教皇庁立生命アカデミー、マイクロソフト、IBM、国連食糧農業機関、イタリア政府・技術革新・デジタル化省の代表が署名を行った。

 今回の会合では、2日目の10日、日本やアジアの諸宗教の指導者らが新たに「AI 倫理のためのローマからの呼びかけ」に署名を加えた。

(編集「カトリック・あい」)

2024年7月11日

☩「社会の”傷”に指を入れ、人類の未来を問いかける信仰が、私たちに求められている」トリエステでの主日ミサで

(2024.7.7 バチカン放送)

 教皇フランシスコは7日、イタリアのカトリック教会「社会週間」閉会行事出席のため訪問されたトリエステでミサを捧げられ、地元トリエステ教区とヴェネト州、オーストリア、クロアチア、スロベニアなど近隣国から参加した約8500人の信者を前に、「社会の”傷”に指を入れ、人類の未来を問いかける信仰が求められている」と訴えられた。

 ミサの説教で教皇は、この日読まれたマルコ福音書の箇所、ナザレに帰られたイエスが故郷の人々から受け入れられなかったエピソード(6章1-6節)を取り上げられた。故郷ナザレに戻られたイエスは、旧知の間柄の人々から認められないどころか、拒絶すらされてしまった。

 「人々がイエスにつまずいたのは、何故でしょう?」と問いかけられた教皇は、「それはまさに、イエスが人間であり、大工ヨセフの息子だったので、『万能の神が一人のか弱い人間として姿を現されるわけがない』と人々が考えたからです」とされた。

 そして、「人となられた神、人類に向かって身をかがめ、その世話をし、私たちの傷に心を動かされ、疲れを分かち合い、パンを割いてくださる神。そのことが、人々にとって、つまずきの石となりました。自分に味方をし、何でも満足させてくれる力ある神は魅力的ですが、愛のために十字架上で死を遂げる神、あらゆるエゴイズムに打ち勝ち、世の救いのために命を捧げるように自分にも命ずる神は、”不都合な神”のです」と指摘された。

 そのうえで教皇は、「主イエスの御前に立ち、『社会週間』において議論された多くの社会的、政治的問題や、人々の具体的な生活の苦労を考えながら言えるのは、『このつまずきとなる信仰こそ、今日の私たちに必要だ』ということです」とされ、「人となられ、人間の歴史と生活の中に入って行かれる神への信仰、新しい世界の希望のパン種となる信仰、眠りかけた意識を呼び覚まし、社会の傷に指を入れ、人類の未来を問いかけさせる信仰が、今、求められているのです」と説かれた。

 さらに、「私たちは、沢山の小さなことに不必要なほど驚きます。では、どうして、社会に広がる悪や、侮辱された命、労働問題、移民や受刑者の苦しみには、驚きもせず、無関心なのでしょうか」と問いかけられ、「人と文化が交差する、この国境の都市トリエステから、平和と兄弟愛に基づく新しい文明を築いていきましょう」と呼びかけられた。

(編集「カトリック・あい」)

2024年7月8日

☩「カトリック信者は、民主主義の”傷ついた心”を癒すよう求められている」ートリエステでの社会週間締めくくりに

(2024.7.7 Vatican News  Devin Watkins)

 教皇フランシスコは7日、イタリアのトリエステで開かれたカトリック教会の第50回社会週間の最終日の行事に参加され、講話の中で、全国から集まった約1000人の聖職者や信徒たちに対して、参加と政治的な慈善活動を通じて民主主義の危機を正すように呼びかけられた。

 講話で教皇はまず、イタリアでのカトリック教会の社会週間が、第二次世界大戦後のイタリアの政治、社会の民主的プロセスを活性化させたことを振り返られ、この行事が、カトリック教会の社会教説に基づいており、社会現象に対する福音的なビジョンを提示することを目指している、と指摘。「現在、民主主義の危機がさまざまな現実や国家に広がっている中で、社会変革に対する責任ある姿勢を示すことが、世界中のあらゆる場所で活動しているキリスト教徒に求められているのです」と強調された。

 教皇は、現在、世界中を襲っている民主主義の危機を「傷ついた心」に例えられ、「腐敗と社会的排除の動きが蔓延し、権力が自己中心的になり、構成員に奉仕できなくなる状態」が起きつつある、と警告。「『民主主義』という言葉が、単に国民の投票と一致するのではなく、すべての人が意見を表明し、参加できる条件を作り出さねばなりません」と語られ、さらに、民主的な(政治、社会活動への)参加は、「イデオロギー的、ポピュリスト的な誘惑に対して、市民が批判的な感覚を抱くように、若いうちから教え込む必要があります」と付け加えられた。

 また、すべてのキリスト教徒に対し、「個人の尊厳を守りつつ、宗教と社会の実りある対話を促進する」よう呼びかけられ、「連帯と補完性の原則は、参加を促し、無関心を克服するため、民主主義の絆を築くのに役立ちます。無関心は民主主義の”癌”です」と指摘された。

 

 さらに、「周囲を見渡せば、家族やコミュニティでの生活に、そして、経済、技術、政治、社会の分野にさえも、聖霊の働きの多くの兆候が見られます」とされ、「友愛は、社会の関係を繁栄させ、集団に願望の精神を生み出します… ”癒された心”を持つ民主主義は、未来への夢を育み、個人やコミュニティの働きに関与し、呼びかけ続けるのです」と語られた。

 そして、「カトリック教徒は、民主主義の弊害に対する即効薬以上のものを目指さねばならず、決して、”限界的な、あるいは私的な信仰”に後退してはなりません… 耳を傾けてもらうことを要求するのではなく、何よりも、公の議論の中で、正義と平和のための提案をする勇気を持つことが必要」とされ、「キリスト教徒の政治への関与は、『政治的な愛』、あるいは『政治的な慈善』の側面を持つ必要があり、それによって政治は責任を果たし、二極化を乗り越えることができるのです」と強調。

 最後に教皇は、「市民の情熱が欠けている世界に、このような愛を広めるための訓練をしましょう… 神の民として、より良く共に歩むことを学び、私たちが属する社会で、参加の”パン種”になりましょう」と呼びかけられた。

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 今年で創設50周年を迎えるイタリアの「カトリック社会週間」は、教会の社会教説の考察と再評価を促進するために、2年ごとに開催都市を変えて行われている。2024年度のテーマは、「民主主義の中心へ。歴史と未来の間に参与する」。50回目となる今回の社会週間の開会式には、セルジョ・マッタレッラ伊大統領が訪れた。教皇はこの講話の後、キリスト教諸教会の代表、アカデミック界関係者、移民、および障害者のグループとの出会いをもち、トリエステ訪問を締めくくる行事として「イタリア統一広場」でミサを捧げ、正午の祈りをされた後、ローマに戻られる。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2024年7月7日

☩「戦争に関わる人々が平和へ回心しますように」年間13主日の正午の祈りの後に

Women mourn the loss of their family members after Israeli bombardment in al-Maghazi, Gaza Women mourn the loss of their family members after Israeli bombardment in al-Maghazi, Gaza   (AFP or licensors)

 教皇フランシスコは30日の正午の祈りで、ウクライナ、パレスチナ、イスラエル、ミャンマー、そして「戦争のために多くの苦しみがある他の多くの場所」の平和を祈り続けることの重要性を強調された。

 聖ペトロ広場に集まった信者たち全員に、「イエスの聖心が、戦争を望む人々の心に触れ、対話と平和への取り組みへ回心させてくださるように願うこと」を求められた。

 正午の祈りの後、信者たちに挨拶された教皇は、聖ペトロと聖パウロの祝日の29日にローマ教会の最初の殉教者とも呼ばれるこの二人をミサ典礼で記念したことを思い起こされ、 「私たちも、初期の数世紀よりも一層、厳しい殉教の時代に生きているのです」とされた。

 そして、世界のさまざまな場所で「私たちの兄弟姉妹の多くが、その信仰ゆえに差別や迫害を受け、それによって教会が育まれているのです」とされ、さらに、「他の人々は”white-glove”殉教に直面しています」として、「キリストへの愛の証言に励まされ、こうした人々を支えましょう」と呼びかけられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2024年7月1日

☩「神は誰一人として、のけ者にしない、だから教会も、社会も…」年間第13主日の正午の祈りで

Pope Francis during his Sunday AngelusPope Francis during his Sunday Angelus  (Vatican Media)

 

2024年6月30日

☩「私たちもイエスの愛を体験し、命の扉が開かれるように」-29日、 聖ペトロ・聖パウロの祭日に

(2024.6.29 バチカン放送)

 ローマの保護者「使徒聖ペトロ・聖パウロ」の祭日となる29日、教皇フランシスコは、バチカンの聖ペトロ大聖堂でミサを捧げられた。ミサには、この1年間に任命された世界各地の首都大司教たち42名をはじめ、多くの枢機卿と司教、そしておよそ400名の司祭が参加して、教皇と共に司式。この祭日の伝統として派遣された正教会のエキュメニカル総主教庁の使節も参列した。

 教皇はミサの説教で、イエスによって「人間をとる漁師」となったガリラヤ湖の漁師ペトロ、当初は教会の迫害者であったが神の恵みによって異邦人への宣教者となったパウロ、この二人の使徒のストーリーとそれぞれの生涯を貫く宣教的熱心を振り返られ、「使徒聖ペトロと聖パウロは、まさにイエスとの出会いによって真の過ぎ越しの体験を生きたために、イエスによって解放され、彼らの前には新しい命の扉が開かれたのです」と話された。

 そして、福音のために迫害され投獄されたペトロが天使によって牢から救い出されたエピソードや、パウロがダマスコ途上で光に照らされイエスの声を聞き回心したエピソードなどを取り上げながら、「神の御業に手で触れた彼らは、実際の牢獄からも、自分が閉じこもっていた内的な牢獄からも、解放され、新たに開いた福音宣教の扉から、すべての人に福音の希望を伝えに行くことになりました」と振り返られた。

 さらに、来年2025年の聖年には、恵みの時として「聖なる扉」が開かれることに言及しつつ、「すべての人が『イエス』という生きた聖域の扉を越え、イエスの中で、希望と喜びをよみがえらせる神の愛を体験することができるように」と願われた。

 なお、このミサ中に、教皇は最近任命された首都大司教らに託す「パリウム」を祝別された。パリウムは、毎年1月21日の聖アグネスの日に祝別された子羊の毛を用いた幅4~6センチほどの白い帯状の織物に、黒い絹糸で6箇所に十字架の刺繍を施し、輪に仕立てたもの。祭服の上から首を通して両肩にかけるこのパリウムは、羊を肩に乗せた「善き羊飼い」の姿を象徴。教皇からパリウムを託された首都大司教は、各自の大司教区に戻った後、大司教区がまとめる教会管区の管轄下の教区の司教たちの参加のもとで教皇大使の手を通し、パリウムを信者の前で着衣する儀式を行うことになる。

(編集「カトリック・あい」)

2024年6月30日

☩「心から望んでいる旅」-教皇、来年のニカイア公会議1700周年にトルコ現地訪問の意向

Pope Francis with the Delegation of the Ecumenical PatriarchatePope Francis with the Delegation of the Ecumenical Patriarchate  (Vatican Media)

(2024.6.28 Vatican News   Christopher Wells)

 教皇フランシスコが28日、バチカン宮殿で、正教会のエキュメニカル総主教庁の使節とお会いになり、ニカイア公会議1700周年となる来年2025年にトルコを訪問する意向を表明された。

 使節は、ローマ教会の創始者で、カトリック教会と正教会の守護の聖人である聖ペテロと聖パウロの祝日(29日)に毎年慣例となっているローマ訪問をしたもので、教皇は会見でのあいさつで、公会議開催地ニカイア(現在の地名はイズニク)             での記念行事に、バルトロメオス総主教から招待されたことを明かされ、「それは、私が心から望んでいる旅です」と招待を受ける意向を示された。

 教皇は、「兄弟の出会いの喜びを体験する」機会を歓迎し、両教会を結びつける「深い絆」と、両教会の一致回復に向けて「共に前進する固い決意」を示されたうえで、70年前にエルサレムで行われた教皇聖パウロ6世とエキュメニカル総主教アテナゴラス1世との出会いを思い起こされ、両教会の再びの歩み寄りを促した「この出会いは、長い世紀を経て大きな希望のしるしとなりました」と述べられた。

 また、2014年に、パウロ6世とアテナゴラス1世の歴史的会見から50年を記念するために、教皇フランシスコご自身とバルトロメオス1世総主教がエルサレムに赴いたことに触れながら、二つの教会の完全な一致に向けて「共に歩む」という決意を強調し、「私たちの教会間の対話は信仰の完全性に危険を及ぼすものではありません。それは主への忠誠心から生じる必然であり、聖霊の導きのもと、贈り物の交換を通じて私たちを全真理へと導くものです」と強調。

 さらに、このエルサレム巡礼に続く、2014年6月8日、教皇はバルトロメオス総主教と共に、正教会のエルサレム総主教テオフィロス3世臨席のもと、バチカン庭園にイスラエルの故ペレス元大統領とパレスチナのアッバス大統領を迎えて、聖地および中東、そして全世界の平和を祈ったことを振り返られたうえで、10年後の現在の状況について「『平和のために共に祈ること』の必要性と緊急性を示しています… それは、戦争が終わり、各国の指導者と紛争当事者が和解への道を再発見し、すべての当事者が互いを兄弟姉妹として認め合うようになるためです」と訴えられた。

 そして、この平和への祈りは、特にウクライナで進行中の戦争など、すべての紛争に及ぶことを指摘され、来年2025年の「希望の巡礼」をテーマとする聖年に言及された教皇は、「この恵みの年を、祈りをもって支えて欲しい… この聖年に皆さんの参加があればとても素晴らしいものになるでしょう」と希望された。

 

*「カトリック・あい」注

・ニカイア(ギリシャ語、ラテン語では「ニケア」)公会議325年にローマ皇帝コンスタンティヌス1世により、キリスト教会内で起きていたさまざまな教義上の対立をなくすために開かれた初の世界公会議。帝国領内、当時キリスト教が広がっていたすべての地域から250名以上の司教が参加したと言われ、「父なる神と子なるキリストを同一本質」とする教理が全会一致で宣言され、現在も信仰宣言に使われているニケア・コンスタンチノープル信条が採択された。復活祭の日付についても「春分の後の満月の次の日曜日」とされ、現在に至っている。また、キリスト教禁教下でび離教を表明した者でも、回心すれば復帰を許すことが教義として定められた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2024年6月29日

☩「AIを人間と自然の支配に用いてはならない」ー9月1日「被造物を大切にする世界祈願日」に向けて

2024年度「被造物を大切にする世界祈願日」に向けて教皇メッセージ2024年度「被造物を大切にする世界祈願日」に向けて教皇メッセージ 

(2024,6,27 バチカン放送)

 教皇フランシスコが27日、9月1日の2024年度「被造物を大切にする世界祈願日」に向けたメッセージを発表された。今年のテーマは「被造物と共に希望し、行動する」で、聖パウロが「ローマの信徒への手紙」中で、被造物と共に贖いを待ち望む、信仰を通した救いの希望について記した箇所(8章19-25節)から採られている。

 カトリック教会は、毎年9月1日に「被造物を大切にする世界祈願日」を記念する。環境保護に対して関心をもつよう呼びかけ、環境を取り巻く問題についての考察と祈りを深めることが目的だ。

 教皇はメッセージの中で、様々な不正義や、兄弟同士が殺し合う戦争、人間にとって不可欠な環境に対する汚染など、世の中の多くの悪を見つめる教皇は、聖パウロがアダムの原罪に暗に触れつつ、「被造物全体が今に至るまで、共に呻き、共に産みの苦しみを味わっていることを、私たちは知っています」(ローマの信徒への手紙8章22節)と述べている箇所を観想。「万物、すべての被造物は、今ある状況を乗り越え、本来あるべき姿に落ち着くことができるようにと、待ちきれずに、呻き、喘いでいます」と述べられた。

 そして、「被造物自身も滅びへの隷属から解放されて、神の子どもたちの栄光の自由に入る」(同8章21節)と聖パウロが記すように、「キリストによる人間の救いは、被造物にとっても確かな希望であり、キリストの贖いにおいて、人間とその他すべての被造物との連帯の絆を希望のもとに観想することができるのです」と強調。「イエスの輝かしい再臨を希望と忍耐のうちに待つ中で、聖霊は信者の共同体を見守り、教え、環境をめぐる人的堕落に抗するための生活スタイルの回心へと招きます」とされた。

 さらに、「この回心とは、他者と自然を支配しようとする者の傲慢から、他者と被造物をいたわる者の謙遜への移行に根差しています… 自分を神に代わる存在にしようとする人間は、自分自身の最大の危険となるでしょう」と警告しておられる。

 また教皇は、今年の祈願日のテーマである「被造物と共に希望し行動する」は、「何よりも、すべての善意の人が力を合わせ、共に歩み、人間の力の意味とその限界を再考することに貢献すること」とされ、「人間の能力はこの数十年で増し、驚くべき技術発展を遂げましたが、それと同時に多くの生物の命と自分たち自身を危険に陥れるほどに危ない存在になったことに気づいていません… コントロール不能な能力は恐ろしい状態を生み出し、それは私たち自身を襲う可能性があります」と改めて警告。特にAI(人工知能について、その発展に「倫理的制約を設け、人間と自然の支配に用いるのではなく、平和と統合的発展に役立たせる必要」を改めて説かれた。

 今年の三位一体の祝日にバチカンで開かれたカトリック教会の「第1回世界子どもの日」の大会について、「子どもたちは、神とは抽象的な概念ではなく、愛情深い御父、すべての人の贖い主にして友である御子、私たちの愛の歩みを導く聖霊であることを理解しました」と回想され、「愛の霊への従順は、人間の態度を略奪者から庭を耕す者の態度へと根本的に変えます… 大地は、人間に託されても、神のものとして残る(参照 レビ記25章23節)のであり、自然を所有・支配し、自分の好きなように変質させようと試みることは、一つの偶像崇拝の形です」と批判された。。

 以上のように、教皇はこのメッセージ全体を通して、「被造物を守ることは、単なる倫理を超えた、人間の神秘と神の神秘の交わりをめぐる、何よりも神学的な問題であること」と強調されている。

(編集「カトリック・あい」=聖書の和訳は「聖書協会・共同訳」を使用)

2024年6月28日

☩「一刻も早く平和が実現するように」教皇、ロシアに捕らわれウクライナ兵の家族とお会いに

教皇フランシスコ、捕虜になったウクライナ兵の家族らと 2024年6月26日 バチカン聖ペトロ広場教皇フランシスコ、捕虜になったウクライナ兵の家族たちとお会いに(VATICAN MEDIA Divisione Foto)

(2024.6.26 バチカン放送)

 教皇フランシスコは26日の水曜恒例一般謁見で、世界中で戦争に苦しむ国々のために祈られ、ロシアの捕虜になっているウクライナ兵の家族たちとお会いになり、訴えに耳を傾けられた。

 教皇は29日にローマの保護者、使徒聖ペトロと聖パウロの祭日が祝われることに言及され、「キリストの弟子、宣教者として、福音の素晴らしさをいたる場所で証しした聖ペトロと聖パウロに倣うように」と、謁見に参加した信者たちに願われた。

 そして、ウクライナ、パレスチナ、イスラエル、ミャンマーをはじめとする、戦争に苦しむ国々を、この二聖人の取り次ぎに託し、「一刻も早く平和が実現するように」と祈られた。
 また、この謁見で、ロシアの捕虜になっているウクライナ兵の家族たちとお会いになり、一人ひとりの兵士の写真や経歴をまとめた冊子や、縛られた両手を表現した彫刻作品を受けとられ、速やかな釈放と戦いの終結と訴える彼らの声に耳を傾けられた。
 教皇がお会いになったのは、一昨年春、一方的にウクライナ侵攻を始めたロシア軍に南東部の都市、マウリポリで防戦、捕虜となった兵士たちの妻や母親。捕虜たちはロシアから終身刑を言い渡され、安否確認はもちろん、ほとんど連絡も取れない状態という。(編集「カトリック・あい」)
2024年6月27日

☩「違法薬物の製造、取引を阻止するのは道徳的な義務」教皇、26日の国際薬物乱用・違法取引反対デーに

(2024.6.26 Vatican News  Deborah Castellano Lubov)

      26日の国際薬物乱用・違法取引反対デーにあたって、教皇フランシスコは同日の水曜恒例一般謁見の説教で「(違法)薬物の中毒者とその家族の多くの悲劇的な話を知って、私はこれらの危険な物質の製造と取引を終わらせることは道徳的義務であると確信しています」と言明された。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2024年6月26日

☩「試練の”嵐”に襲われたとき、私はキリストにしがみつくか?」-年間第12主日の正午の祈りで

(2024.6.23 Vatican News   Deborah Castellano Lubov)

 教皇フランシスコは23日、年間第12主日の正午の祈りに先立つ説教で、信者たちに、私たちの人生のあらゆる不確実性と恐怖の中で常に”嵐”を鎮めてくださるキリストに、恐れることなく近づくように呼びかけられた―「混乱と苦悩の最中にあっても、私たちは常に主に信頼を寄せ、主に身を委ねるべきです…」。

 説教で教皇は、この日のミサで読まれたマルコ福音書の箇所(4章35-41節)を取り上げられた。この箇所では、イエスと弟子たちが舟でガリラヤ湖の対岸に向かう場面が描かれている―イエスが眠っておられる時、突然、強い風が吹きつけて舟が沈みそうになり、弟子たちが恐怖に襲われた…。

 

(2024.6.23 バチカン放送)

 教皇の説教の要旨は次のとおり。

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 今日の福音は、イエスが弟子たちとガリラヤ湖で舟の上にいた時のエピソードです。突然の嵐によって、舟は転覆しそうになった。眠っておられたイエスが、起き上がり、風を叱ると、すべてはまた穏やかな状態に戻った…。

 その日の夕方、舟に乗って「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われたのは、イエスご自身です。弟子たちはベテランの漁師であり、そこは慣れ親しんだ場所でした。それでも、突風が彼らを困難に陥れました。まるで、イエスが彼らを試されたかのようです。

 イエスは彼らと共に舟におられ、落ち着いて、いや、それどころか、眠っておられました。嵐が吹き荒れる中、イエスは、(助けを呼ぶ彼らの叫びで目を覚まされ、)ご自身が共におられることで彼らを安心させ、励ましながら、「もっと信仰を持つように」と促し、危険を去らせました。なぜ、イエスがこのような態度をとられたのでしょう。

 それは、弟子たちの信仰を強めるため、彼らに勇気を与えるためです。弟子たちは、イエスの力と、イエスがそばにおられることを、それまでよりももっと知ることになり、福音宣教をしていくうえでの危険に対する恐怖を含む、多くの障害や困難に立ち向うための、強さと心構えを持つようになったのです。弟子たちは、イエスと共に試練を超えたことで、すべての人に福音をもたらすために、十字架と殉教に至るまでの多くの困難に立ち向かうことができるようになるのです。

 イエスは、私たちにも同じようにされます。ミサで、イエスは私たちをまわりに集め、御言葉を与え、ご自身の御体と御血で養ってくださいます。そして、私たちが聞いたこと、受け取ったものすべてを生活の中で皆に伝えるために、「沖へ漕ぎ出すように」と励まされます。私たちはイエスの助けによって、イエスのもとにさらに固く一致し、その力に信頼することを学ぶでしょう。

 自分に問いかけましょう―「試練の時、これまでの人生で主の存在と助けを経験した時のことを思い起こすことができるだろうか」「”嵐”がやって来た時、動揺するだろうか、それとも落ち着きと平和を取り戻すために、祈りと、沈黙、御言葉の傾聴、礼拝、信仰の分かち合いの中で、イエスにより頼むことができるだろうか」。

 神の御旨を謙遜と勇気をもって受け入れたおとめマリアよ、試練の時、神に委ねることの平安を、私たちに教えてください。

(編集「カトリック・あい」)

Ultimately, the Lord had the whole situation under control, and taught them a lesson about trusting Him.

Even if it may have seemed “that Jesus wanted to test them” and their faith, the Pope observed that ultimately they come out of this experience more aware of Jesus’ power, and of His presence, in their midst.

Therefore, the frightening episode, the Holy Father explained, makes them stronger and more ready to face other obstacles and difficulties, including the fear of venturing out to proclaim the Gospel. Asking why the Lord did this, the Pope suggested the episode strengthened their faith and made them more courageous.

“Having overcome this trial with Him,” the Pope observed, “they would know how to face many others, even to the cross and martyrdom, to bring the Gospel to all peoples.”

Applies to us

Likewise, the Holy Father suggested, Jesus does the same with us.

“Especially in the Eucharist,” he noted, “Christ gathers us around Himself, gives us His Word, and nourishes us with His Body and His Blood.”

With this experience, the Pope said, the Lord “invites us to set sail, to transmit everything we have heard and to share what we have received with everyone, in everyday life,” and to do so “even when it is difficult.”

The Lord, he observed, does not spare us from hard times, but, without ever abandoning us, He helps us to face them.

Thus, he suggested, we too, overcome them with His help, learning, more and more, to cling to Him and to trust in His power, which goes far beyond our capacities.”

This abandonment to Jesus, he also suggested, enables us to “overcome uncertainties and hesitations” and rather, “with courage and greatness of heart,” tell everyone “that the Kingdom of Heaven is present, here, and that with Jesus at our side, we can make it grow together, beyond all barriers.”

My constant help amid any storm

Given this, the Pope called on faithful to ask themselves some questions.

“In times of trial,” he pondered, “can I remember the times when I have experienced, in my life, the presence and help of the Lord?”

“When a storm arrives,” he continued, “do I let myself be overwhelmed by the turmoil, or do I cling to Him, to find calm and peace, in prayer, silence, listening to the Word, adoration and fraternal sharing of faith?”

Pope Francis concluded by imploring that the Virgin Mary, who accepted God’s will with humility and courage, grant us, in difficult moments, the serenity of abandonment in Him.

2024年6月23日

☩「自分の信念と信仰に忠実であり続けるように」ーアジア太平洋地域の若者とオンライン対話

教皇フランシスコとアジア太平洋地域の若者たちとのオンライン対話 2024年6月21日 

 教皇フランシスコが20日、アジア太平洋地域の若者たちとオンラインで対話され、「自分の信念と信仰に忠実であり続けるように」と願われた。

 「アジア太平洋地域に架け橋を」と題されたこの催しは、米シカゴのロヨラ大学と教皇庁ラテンアメリカ委員会の共同企画によるもの。教皇と若者との対話、また世界の若者たちの国や地域を超えた架け橋作りを目指すこの試みで、すでに、南北アメリカ(2022年3月)、アフリカ(2022年11月)、南アジア(2023年9月)の若者たちを対象に3つのオンライン対話が行われている。

 今回の教皇とアジア太平洋地域の若者の対話には、アテネオ・デ・マニラ大学(フィリピン)、オーストラリア・カトリック大学(オーストラリア)、輔仁大学(台湾)、西江大学(韓国)、上智大学(日本)、サナタ・ダルマ大学(インドネシア)の学生や教員をはじめ、今年9月に教皇が訪問を予定しているシンガポール、東ティモール、パプアニューギニア各国の大学生たちも参加した。

 この対話で、参加者たちは自らの体験や考えを述べ、教皇はこれに対し、助言やヒントなどを与えられた。対話の中では、社会への帰属、アイデンティティー、女性の偉大さ、他者への寄り添いと誰をも排除しない姿勢、信仰と祈りによって結びついた心、信仰に育まれた真のキリスト者となること、「水でうすめられた生ぬるいキリスト教」への誘惑、過去の悲劇から学び、平和のために働くことなどがテーマになった。

 教皇は、イデオロギーという病に注意し、調和を作り出し、他の文化との対話を推進すること、戦争に「ノー」と言い平和を築くこと、失望し希望のない世界で自らの価値観を奮い起こす必要などを若者たちに説かれた。

(編集「カトリック・あい」)

*Vatican News の英語版報道は以下の通り

Pope to university students: ‘Stay true to your convictions and faith’

(2024.6.20 Vatican News   Deborah Castellano Lubov)
Via livestream, Pope Francis dialogues with students in the “Building Bridges Across Asia Pacific initiative” organized by Loyola University Chicago together with the Pontifical Commission for Latin America.

Always hold true to your convictions…. and even if you are tempted to live a lukewarm faith because others torment you, hold true to your identity and stay strong like the Christian martyrs who were persecuted…

This message was at the heart of Pope Francis’ remarks during a dialogue with university students from Asia. They were participating in the ‘”Building Bridges Across Asia Pacific” event, on Thursday 20 June, organized by Loyola University Chicago and the Pontifical Commission for Latin America.

The Holy Father participated via livestream.

Loyola University Chicago launched the Building Bridges Initiative (BBI), a student-centered and university-organized series of events, having been inspired by Pope Francis’ call to synodality. The first encounter took place in February 2022, entitled “Building Bridges North-South.” The second, “Building Bridges Across Africa”, took place in November that same year and involved students from across Sub-Saharan Africa. This event followed a similar model, but welcomed the Pope’s participation.

Pope Francis engages in dialogue with university students
Pope Francis engages in dialogue with university students

Among those participating in this most recent synodal encounter were university students, pursuing various fields, from the Ateneo de Manila University (Manila, Philippines); Australian Catholic University (Brisbane, Australia); Fu Jen Catholic University (Taipei, Taiwan); Sogang University (Seoul, South Korea); Sophia University (Tokyo, Japan); Universitas Sanata Dharma (Yogyakarta, Indonesia). Students also participated from Singapore, Timor Leste, and Papua New Guinea, nations the Holy Father is set to visit during his Apostolic Journey to Asia and Oceania in September.

Pope Francis: Ask others to help you in your vulnerability

Pope Francis joined the encounter, warmly greeting those present in Spanish, and apologizing for running a little late due to some confusion with his agenda.

The student groups were introduced to the Pope and offered reflections, to which the Holy Father, in return, offered his advice, concerns, and suggestions.

The Holy Father spoke to the first group about feeling a sense of belonging to society, and how our ‘belonging’ heightens our security in ourselves and our own human dignity.

All these factors, he noted, “save us from vulnerability, because today youth are very vulnerable. We must always defend this sense of belonging in order to ward off vulnerability”.

“Look at where you are most vulnerable, and ask someone to help you,” he said.

‘Greatness of women must never be forgotten’

The Pope also discussed mental health, discrimination, stigmas, and identity, and called for bearing witness and carrying on.

“Focus on having your own identity,” he said, as he encouraged all those present to always cooperate with one another and stay united.

The Pope decried all stigmas that belittle one’s human dignity. He lamented that women at times are considered second class citizens, which, he reminded everyone, is not true.

“The greatness of women must not be forgotten. Women are better than men in terms of their insight and their ability to build communities,” he said, as he commended special qualities and competencies unique to women.

No to exclusion and stigmas

The Pope called on students to show closeness and love to others, and to never exclude.

Recalling the words of a student who spoke about gender mentioning also the high HIV rate in the Philippines, the Pope said, “We must make sure that healthcare is prepared to treat and help all people, without exclusion.”

The Pope also discussed effective education, which, in his opinion, requires “educating” and “coordinating” our “hearts, minds, and hands.”

This is how we should educate youth, he said, noting this dynamic must never be forgotten.

Pope Francis engages in dialogue with university students
Pope Francis engages in dialogue with university students

Hearts connected to prayer and others

The Pope also acknowledged how challenging it can be for young Christians to participate and “belong” in society.

In light of this reality, he urged them to cling to their faith, and to keep their hearts connected to prayer.

Doing so, the Pope said, will help in this regard and enable you to always, more effectively, engage with others.

Reject diluted Christianity and hold true to faith

The Holy Father then addressed the fact that on some occasions young people are mocked or challenged for their faith.

“Always be firmly convinced of your own convictions,” he advised, while warning against becoming isolated, which he warned can lead to poor habits and problems.

Given this, the Pope underscored the importance of being educated in the faith, and to be authentic and “real” Christians.

“The thing is this: Christians have been persecuted from the beginning,” he said, highlighting the reality that this phenomenon is nothing new.

“While it can be tempting to have a diluted, lukewarm Christianity,” the Pope said, we cannot give in to it. Rather, he appealed, “we must be solid, and must live a sort of martyrdom, in this sense.”

The ‘disease of ideology’

Finally, the Pope called for greater awareness of tragedies of the past, to learn lessons for the future and to work toward peace.

“Ideology is a disease,” he said, as he urged all people to build harmony and promote a dialogue with other cultures.

“No to war,” he said, calling for peacefulness. “In a desperate, hopeless world, we must appeal to our values,” he explained, as he called on the students present to work on this before thanking them for his efforts.

Pope Francis concluded by thanking the students for their reflections, telling them that they helped him to understand them, especially as he prepares for his journey to their region in early September. He concluded by offering his blessing.

Building bridges begins with each of us

Various Vatican offices assisted in the initiative, including the General Secretariat of the Synod, the Dicastery for Communication, the Dicastery for the Laity, Family, and Life, the Dicastery for Education and Culture and the Dicastery for Evangelization’s Section for the first evangelization and new particular Churches.

Prior to the Holy Father joining the dialogue, the event began with introductions by the organizers, including by Secretary of the Pontifical Commission for Latin America, Dr Emilce Cuda, and video messages from Cardinal Farrell, the Prefect of the Vatican Dicastery for Laity, Family Life, followed by that of Bishop Luis Marín de San Martín, O.S.A., Under Secretary of the Synod of Bishops.

Cardinal Farrell called on students to follow Jesus’ example of building bridges, and reminded them that while they live the privileged reality of being a university student, there is a world marked by hatred, war, and suffering. Given this, he invited those following to practice kindness, care, and understanding on a personal level, first and foremost, because otherwise, he lamented, we cannot expect those on higher levels to do the same.

Bishop Marín offered encouraging words in which he invited thos present, amid a time of hope and renewal, to “create bonds, break down walls, and build bridges.” While the participants waited for the Pope’s arrival, Dr Cuda also read a letter from the Prefect of the Vatican Dicastery for Culture and Education, Cardinal José Tolentino de Mendonça, in which he acknowledged that building bridges can be challenging, and can be met with struggle and resistance, but that it is always worth it, because it lives out the love that Jesus taught us.

Organizers greet Pope Francis for dialogue with university students
Organizers greet Pope Francis for dialogue with university students
2024年6月22日

☩「共に希望の巡礼を続けよう」ー教皇、ルーテル世界連盟の使節に

教皇フランシスコ、ルーテル世界連盟の使節を迎えて 2024年6月20日 バチカン宮殿教皇フランシスコ、ルーテル世界連盟の使節を迎えて 2024年6月20日 バチカン宮殿  (Vatican Media)

 教皇フランシスコは20日、ルーテル世界連盟の使節とバチカン宮殿でお会いになり、来年の聖年のモットーである「希望の巡礼」を、共に続けるよう呼びかけられた。

 教皇は会見で、「希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって、あたたがたを希望に満ち溢れさせてくださいますように」(ローマの信徒への手紙15章13節)という聖パウロの言葉を引用された。

 そして、「希望の巡礼者」をモットーにした来年の聖年は、325年のニカイア公会議開催1700周年と重なることに言及され、「歴史のあるニカイア信条は、キリストを中心に据えたエキュメニカルな絆を作るものです」と指摘。

 「まさにイエス・キリストこそ、エキュメニズムの中心。イエスは、人となられた神の慈しみであり、私たちのエキュメニカルな使命は、それを証しすることにあります」と強調された。

 教皇はまた、1999年10月31日にドイツのアウグスブルクで、カトリック教会とルーテル世界連盟の代表が「義認の教理についての共同宣言」に署名して、今年で25年を迎えることにも触れられ、これを「和解の歴史のもう一つの希望のしるし」とされたうえで、「この記憶を生きたものとし、『希望の巡礼』を続けましょう」と呼びかけられ、「希望の神がその祝福をもって、私たちの真理と愛の対話を見守り続けてくださいますように」と祈られた。

(編集「カトリック・あい」=聖書の和訳は「聖書協会・共同訳」を使用)

 

2024年6月21日

◎教皇連続講話「聖霊について」④ 詩編ー聖霊が作曲した[「祈りの交響曲」に参加しよう

(2024.6.19 Vatican News   Deborah Castellano Lubov)

教皇フランシスコは19日の水曜恒例一般謁見で「聖霊について」の連続講話を続けられた。今回は旧約聖書の「詩編」をテーマに考察され、イエスがなさったように詩篇を祈ることで「祈りのシンフォニー」に参加するよう、信者たちに進められ、「詩篇を私たちの祈りとし、私たちのものとし、詩編とともに祈ることが必要です」と強調された。

 教皇は、2025年の聖年の準備として、2024年を祈りの年と宣言されたことから、講話を始められた。

 以下、バチカン放送による講話の要旨(編集「カトリック・あい」)

 来年、2025年の聖年の準備として、私は今年2024年を「大きな祈りの交響曲」とするよう提案しています。今日の講話を通して、教会がすでにもっている祈りの交響曲を思い出しましょう。聖霊によって編まれた交響曲、それは「詩編」です。

 それぞれの交響曲には様々な「動き」があるように、詩編には、個人の、あるいは民の合唱の形をとった賛美、感謝、嘆願、嘆き、語り、叡智に満ちた考察など、様々な種類の祈りがあります。

 詩編は新約聖書で特別な位置を占めています。かつて新約聖書と詩編を一緒に掲載した書があり、今も存在しています。全詩編が、また各詩編の全体が、キリスト者によって繰り返し唱えられたわけではありませんし、現代の人々にとってはなおさらです。今の人々は、ある歴史的状況やある種の宗教的メンタリティーを「もう自分たちのものではない」と考えていますが、それは彼らが詩編からインスピレーションを受けていないことを意味しません。古い掟の多くの部分のように、啓示のある期間、段階において、人々は詩編と結ばれているのです。

 私たちに最も受け入れられている詩編は、イエスや、マリア、使徒たち、またすべての時代のキリスト者たちが祈っていたものです。これらの詩編を唱えるとき、神は「諸聖人の交わり」という偉大な「オーケストラ」によってそれをお聴きになります。「ヘブライ人への手紙」によれば、イエスは「御覧ください。私は来ました… 神よ、御心を行うために」という詩編の一節を胸に世に来られ( ヘブライ人への手紙10章7節、詩編40章9節参照)、「ルカ福音書」によれば、「父よ、私の霊を御手に委ねます」という詩編の言葉と共にこの世を去られました(ルカ福音書23章46節、詩編31章6節参照)。

 新約聖書において詩編が使われたことに、教父たちや全教会も倣った。それによって、詩編はミサと教会の祈りにおいて要素として定着しました。しかし、私たちは過去の遺産だけで生きてはいけなません。詩編を「私たちの祈り」とする必要があります。詩編は、祈りながら自分のものとし、私たち自身が「詩編作者」となるために書かれたといえます。

 もし、自分の心に語りかける詩編が、あるいはその一節があるなら、それを一日の中で繰り返し、祈るのは素晴らしいことです。詩編は「オールシーズン」の祈りです。あらゆる気持ちや必要が、詩編の言葉を祈りに変えます。他の祈りと異なり、詩編は繰り返すことで効力を失わず、むしろそれを強めます。なぜなら、それは神の霊から来るものであり、信仰をもって読むたびに神に「刺激を与える」ものだからです。

 私たちが良心の呵責や罪に苦しめられているなら、ダビデと共に、こう繰り返しましょう―「神よ、私を憐れんでください。慈しみをもって。深い憐みをもって」(詩編51章3節)。また、私たちが神との強い絆を表したいときは、こう言いましょう―「神よ、あなたは私の神。私はあなたを捜し求め、私の魂はあなたを渇き求めます。あなたを待って、私の体は、乾ききった大地のように衰え、水のない地のように渇き果てています」(詩編63章2節)。そして、恐れや不安に襲われた時には、この素晴らしい言葉が私たちを救いに来てくれます。「主は羊飼い… 死の陰の谷を行くときも、私は災いを恐れない」(詩編23章1.4節)。

 詩編は、私たちの祈りが、「私にください、私たちにください」という単なる要求の繰り返しにならないように助けてくれます。「日ごとの糧」を願う前に、「み名が聖とされますように。み国が来ますように。み心が天に行われるとおり地にも行われますように」という「主の祈り」から学びましょう。詩編は、賛美、祝福、感謝の祈りといったように、自分だけを中心にすることのない祈りに心を開かせてくれます。そして、賛歌の中に被造物を関わらせることで、私たちに全被造物の声を代弁させてくれるのです。

 聖霊は、花嫁である教会に、神なる花婿に祈るための言葉を贈ってくださいました。さらに、聖霊は、それを今日の教会に響かせるように、また、聖年を準備するこの年を祈りの交響曲とするように助けてくださいます。

 

 

 

 

2024年6月19日

☩「寛大で確信に満ちた福音の種まき人となれ」教皇、年間第11主日の正午の祈りで

(2024.6.16 Vatican News  Thaddeus Jones)

   教皇フランシスコは16日、年間第11主日の正午の祈りに先立つ説教で、この日のミサで読まれたマルコ福音書の「成長する種」と「からし種」の二つのたとえ(4章26‐34節)を取り上げ、神の国は、「静かに着実に芽を出し、成熟するまで成長する種を植える農夫のようなもの」であり、その農夫とは、「私たちの中に御言葉と恵みの種を置かれ、私たちが信仰の成熟へと成長できるよう常に助けてくださる主」なのだ、と語られた。

また、この福音書で、イエスは、「土にまかれ、芽を出し、成熟していく」という種のイメージを通して、「(神の国の)この種のようなプロセスには時間がかかり、私たちの信頼と協力が必要とされるため、私たちに『確信ある期待』をもって歩むように勧めておられるのです」と説かれた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2024年6月16日